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  • 投稿日時:2024/11/20
    「金の神様」。論評抜き。
  • 投稿日時:2024/11/20
    今日ある患者さんと「金の神様」の話になった。無論詳細は伏せるが、私はその患者さんに「佐藤さん(仮名)、エホバがいるかアッラーがいるかは分からないけど、金の神様だけは本当にいますよ。でも神様なんだから、当然毎日あがめ奉って上げ膳据え膳しないと、神様はいなくなってしまうんだ」と言った。


    患者さんはしばらくあっけにとられていたが、やがて私の言葉の意味が分かったらしく、最初はクスクス苦笑いを始め、やがて破顔一笑して診療が終わった。


    その人に何故金の神様の話をしたのかは当然書かないが、何故私が「金の神様だけは実在する」と確信したのかという理由は、別に書いて問題はない。それは無論、このあゆみ野クリニック開業の顛末だった。


    そもそも私は一昨年の7月、このクリニックの雇われ院長として呼ばれた。額面だが年収1800万。無論悪くない話で、仲介してくれたのも信用出来る(筈の)人だったので、私はその条件でこのクリニックに赴任した。


    ところが、去年の2月、当時ここを経営していた法人の会長が突然クリニックに来て、


    「先生、悪いんだけど、来月から先生達の給料払う金が無いんだ。先生経営してくれない?」・・・。


    信じられないかもしれないが、人生にはこう言うことが起きるのだ。まあ、私の人生の中では東日本大震災、直腸破裂による急性腹膜炎でICU2週間入院に次ぐ、成人してからは自分の人生で3回目の青天の霹靂だった。子ども時代にはさらに何回か青天の霹靂を経験しているのだが。


    銀行に駆け込んで副支店長に訳を話したら、副支店長が目を丸くして・・・そりゃ当たり前だが・・・え、来月ですか!?という。ええ、来月からだそうです。いや来月と言われましても、融資って来月には無理だし、みたいなごくごく常識的な会話の後、どういうわけか私は本当に来月、つまり去年の3月からここの経営者になった。


    実は去年の1月頃まで、このクリニックはその法人経営の元で大儲けをしていた。しかしその原因はコロナコロナコロナだった。つまり当時はたっぷり点数の上乗せが付いた発熱外来とコロナワクチン打ちまくりであぶく銭を稼いでいただけだった。ところがそのコロナが「もう2類でもあるまい」となった途端、ここはその本当の姿をさらけ出した。つまり、発熱外来が儲からなくなりワクチンがなくなったら、掛かりつけの患者はほとんどいなかったのだ。連日発熱患者とワクチンで立て込んでいた外来から、患者の姿が消えた。それで法人会長は、「もう儲からないからやーめた」と言い出したわけだ。


    それで、去年の2月に駆け込んだ銀行から融資が実行されたのが5月末だった。その間およそ3ヶ月で1500万あった私の貯金は0になった。クリニックの口座であれ私の個人口座であれ、ともかく金というものは一切なくなった。


    本当に文字通り一切金という金が銀行口座から消えたのが5月の第2週だった。その時は、銀行と金融公庫から融資の決定は知らされていた。つまり決定は下りていたが、実行は5月末だった。つまり、概ね2週間、クリニックにも私の個人口座からも完全に金というものが消滅した。


    思いあぐねた末、私は遂に禁断の金に手を付けた。第一生命に30年積んでいた「年金型生命保険からの貸し付け」だ。30代の頃契約したこの生命保険は、生命保険としては旧式で、入院しても4日目からしか金が下りず、あまり役には立たなかった。最近4日以上の入院というのは中年までは殆どないから。しかしこの保険の旨味は「年金型」という所だった。つまり、60歳の誕生月の前の月まで保険金を払えば、60歳になった途端、終身毎年120万の年金が下りる。そして、年金が開始される前までなら、そうやって貯めた金を必要なときに貸し付けとして借り出すことが可能だった。


    しかしこの「貸し付け」の利用は極めて危険な行為であった。なぜなら60歳になる前月までに借りた金を全額返済していないと、年金そのものが無しになる。その時は、年金分として計算された金額から借りていた金を引いた額が戻ってくるが、それだけだ。


    しかし、全ての金という金が尽きた去年5月の第2週、遂に私はその「貸し付け」に手を付けた。それも300万。


    貸し付けはそんじょそこらのATMで出来るのだが、その金を引き出したとき、私の手は振るえ、心臓は早鐘のように胸を打ち、意識を保つのすらやっとだった。だって、その時私は58歳。8月には59歳になるという状況の5月。もしこの300万を自分が60歳になる来年(つまり今年)の7月までに全額返済出来なければ、営々と30年積み立ててきた年金が消滅するのだ。しかし、融資は既に決定されていたし、融資の実行もその月の月末と分かっていた。


    しかしだからと言って、その融資の金が実際にその時点で私の銀行口座に存在したわけでは無かったのだ。あくまで実行は2週間後だった。


    1600万という金が本当にクリニックの口座に振り込まれるまでの2週間あまり、私はどうしていたか殆ど記憶がない。ともかく少なくとも私の頭の中では、私はクリニックでは医者として振る舞っていたことになっている。しかし無論家では毎晩気が狂ったように・・・いや実際狂気に囚われ、大量の酒で睡眠薬と安定剤を流し込んで布団に入ってもまんじりともせず、夜中にしばしばガバッと起き上がると心臓はドクドク、冷や汗が流れ、無論相方には毎晩のように当たり散らした。


    予定された日の朝、出勤前にコンビニのATMに立ち寄って実際に融資の金が振り込まれているのを目前にしたとき、私はまさに全身の力が抜けた。すぐさまそこから300万を下ろし、第一生命に戻した。今年の8月にその最初の年金1年分120万が私の個人口座に振り込まれたとき、私がどんな感情に包まれたかは、ちょっと私の筆に余る。


    その時、私はまさに「この世にエホバがいるか、アッラーがいるか、阿弥陀如来がいるかは知らないが、間違いなく「金の神様」はいる」と確信したのだ。


    皆さん、この世で唯一確実に存在するのは、金の神様です。金の神様だけなんです、実在するのは。


     
  • 投稿日時:2024/11/16

    一枚の、まあA4ぐらいの大きさの紙を用意します。そしてその紙を、縦線と横線で4区画に分けます。


    縦線には上向きの矢印、横線には右向きの矢印を付けましょう。縦線は「仕事の重要度」を表し、横線は「緊急性」を表します。つまり、上の右のますは「重要で緊急」、上の左のますは重要だが急ぎではない、むしろ時間を掛けてゆっくり取り組んだ方が良いことです。下の右のますは急ぎだが重要では無い事、例えばクライアントがわーわー言ってきているが内容的には重要ではない、と言うようなことです。そして下の左のますは、需要でも緊急でも無いこと、つまり下らないことです。


    今あなたが抱えているタスクを10個以内思いついて、それぞれを4つのマスに割り振ってください。もしあなたが自分の関わっているタスクを11個以上思いついてしまうなら、それはその時点であなたはタスクを抱え込みすぎだ、という判断になるので、11個目以上は問答無用に切り捨てです。要するに自分が手に負えない量のタスクを抱え込んでいるという事が既に明らかなわけです。


    それではあなたは自分の関わっているタスクを上の四つのマスに割り振ります。もしあなたがタスクの殆どを「重要かつ緊急」に割り振ってしまったら、それはその時点で実はあなたはご自分のタスクについて冷静に判断が出来ていない、と言うことを表します。だからその時は一回深呼吸して「いや、これは自分の判断が間違っている証拠だ」と考え、改めて割り振り直してください。


    さて、4つのマスにあなたのタスクを割り振ったら、まずあなたは「重要で緊急」に割り振ったことを最優先すべきです。そして「重要ではあるが緊急ではない」というタスクは後回しにしても良いが忘れないようにして、じっくり取り組みましょう。「緊急、あるいは急ぐけれども内容は重要ではない」事は誰かに振って(あからさまに言えば押し付けて)仕舞いましょう。急ぐんだから誰かがやることは必要ですが、重要じゃないんだからあなたがやらなくてよいのです。


    最後に、「重要でもないし緊急でも無い」と判断した事案は、「棚上げ」にすればよいのです。本当ならこれらは止めてしまうのがよいのですが、日本の社会や集団では「何かを自分の判断で止める」というのが極めて面倒です。だから棚上げにするのです。「棚晒し」と言った方が良いでしょう。そうしておくとこういう案件は、そのうちなんとなくうやむやになってしまうものです。ある時ふと「あー、そう言えばああ言う話があったなあ」と誰かが思いついても既にその案件は死んでいますので、それで消えていって貰えばよいわけです。


    これが私の「仕事の整理法」です。

  • 投稿日時:2024/11/15

    金儲けの知識の方が古典より大事だと抜かした福沢諭吉の馬鹿な文章を引用した奴がいた。


    今私の「高齢者のための漢方診療」は北京中医薬大学金光亮教授によって、翻訳出版の最終段階にある。金教授は一年掛けて私の本を訳した。その間教授はしばしば私の本の内容について中国伝統医学古典、特に彼の専門である黄帝内経や、あるいは傷寒金匱、脾胃論、ないし朱丹渓の著書などを引いて疑問、質問をぶつけてきた。だから私もそういう古典の文章を引用しつつ、これはこう言うことです、これはこう言う伝統医学の思想を元にはしたが、本の読者として想定したのが西洋医学の医師達だったため、このようにかみ砕いて説明したから、若干もともとの表現とはずれています、などと説明して回答した。


    このようなやりとりが出来なければ、どうして北京中医薬大学教授が私の一般医家向けの漢方書をⅠ年以上も掛けて翻訳してくれたであろうか?


    私がハウツー漢方だの最近の日本の漢方医の本しか読んでいないと分かれば、金教授はこれほどの努力をして私の本を訳してはくれなかっただろう。


    今、中国があらゆる意味で世界のセンターになっているのは論を待たない。その中国の人々が外国人について「なるほどこの人はまともだ」と受け取るのは、単に金儲けが上手いだけでは駄目だ。中国の古典でなくても、例えばギリシャ哲学やローマの哲学者の書などは読んでいる、仏教の古典は読んでいると言うようでなければ彼らは相手にしない。「無学無教養な徒」は単に彼らの掌に転がされるだけだ。

     

    教養というのは、テストの点数を取るために勉強するわけじゃないんです。

  • 投稿日時:2024/11/10
    とある老人病院に勤務していたとき、患者が肺炎になった。老人病院に入院しているような高齢者が肺炎を起こすのは日常茶飯事なのだが(大抵は誤嚥性肺炎)、その患者の肺炎はどうも様子が違った。抗生物質を連日注射しても高熱が続く。そもそもフレイルな(体力が弱った)高齢者の肺炎は、そんな高熱は起きない。一日熱が上がっても、すぐ下がってしまう。熱が下がったから肺炎が治ったのかというと、そうではない。要するに身体の免疫応答が細菌感染に負けてしまって、発熱出来ないのだ。


    ところがその人は、抗生物質を注射しても高熱が続いた。どうも変だ、とCTを撮ったら(何故かその老人病院にはCTがあった)原因が分かった。肺炎ではなく膿胸だった。


    胸腔の感染症には三つある。肺炎、膿胸、肺膿瘍。肺炎は抗生物質を注射するだけだが、膿胸や肺膿瘍は要するに胸腔内に膿が溜まっているので、その膿を掻き出さなければ治らない。何故なら膿の中に抗生物質は浸透しないからだ。


    さて困った。そこはど田舎の老人病院だ。町の病院に相談したが、治療はつれなく断られた。「年齢が年齢だし、ADLも寝たきりだし」というわけだ。まあ、御説ごもっともである。それで家族を集めて病状説明したら、なんと「どうにかしてくれ」という。いやどうにかしてくれと言っても,膿胸ってのは胸に管を刺して中の膿を掻き出さなきゃならないんだが、その人は非常に高齢な寝たきり老人だから、そういうことをやっただけで死んでしまうかもしれない。それにそういうことを試みても上手く行くかどうか分からないし、仮に上手く行っても患者が助かる保証は無い・・・と言うことを縷々説明したのだが、


    「お願いします」。


    覚悟を決めた。院長、病棟師長、事務長と話し合い、家族に念書を取った。その上で私はエコーを持ってきて,膿胸部位を確認し、局所麻酔をしてブスリとベニューラを刺した。無論この作業は医者一人では出来ない。二人でやる。一人がエコーを当てながらもう一人(私)がそこに針を刺したのだ。


    膿胸の場合、通常であればトラッカーという管を入れるのだが、その人は非常に体格が小さな老人で、かつ膿胸もそれほど広範囲では無かった。だから私は敢えてトラッカーでは無くベニューラを刺したのだ。ベニューラというのは針の中では太い奴で、通常人体には刺さない。薬液を吸い込むときなどに使う。しかし膿胸に刺して膿を出そうと言うときに21Gなどでは細すぎるから、私はトラッカーでも無く21Gの針でもなく、ベニューラを刺した。そうしたら中から膿がドロドロ出てきて、出終わった頃に逆に外から生理食塩水を入れて何回も洗った。頃合いをみて針を抜き、仮縫いを一糸かけて翌朝まで様子を見たら、翌朝にはストンと熱が下がっていた。


    まあ、これはたまたま上手く行ったのだ。いくら家族に懇願され、念書を取っても、いざ失敗すれば家族は必ず裁判を起こす。世間とはそう言うものだ。だから私はその晩、睡眠薬を飲んでも眠れなかった。2回ほど病棟に電話して患者の容態を確かめた。


    ところがその病院は、あるとき系列の診療所で患者がさっぱり来ないときに私が居眠りをしたという理由で、理事長が私を追い出した。そこは理事長がオーナーの医療法人で、院長も事務長も何の権限もなかったが、そのような危険な橋を渡ってまで私が患者を助けたことは一切評価の対象にならず、「患者がさっぱり来ない外来で居眠りをした」という理由でお払い箱になった。


    トップの評価なんか、全く当てにならないものだ。まして患者の評価おや。その理事長は少なくとも元外科医だったくせに、そういう危険を冒してまで患者を救った私の診療は一切評価せず(おそらく理事長にはその一件は伝わっていなかったのだろうが)、私が患者が来ない外来で居眠りをしたという理由で首にしたのだ。


    だから私は皆さんに言うが、職場で、あるいは上司に正当に評価されないなんて事でへこむ必要はありません。どうせ上司なんか、あなたのことをきちんと正当に評価してないから。


     
  • 投稿日時:2024/11/10

    実は「介護保険を基にした在宅医療・介護」という制度は、「イエ」という価値観を基にして成立したものでした。訪問診療に国が保険点数を付けるようになったのが1980年代です。それは徐々に拡大されてきました。しかしそう言う流れの背景には「お嫁さん」がいたのです。当時はお嫁さんが義父母の介護をしていました。つまり国は「ほう、ここに人件費0の介護者がいる」と考えついたのです。だから施設介護より安上がりだとね。


    国が何か医療介護福祉の分野で何かを始めるとき、その本音は常に「安上がりかどうか」なのです。当時は「お嫁さん」という人件費0の介護者がいたからそういうそろばん勘定になったのですが、今はいません。だから国は今年から一気に在宅関係の点数を減らしました。人件費0のお嫁さんがいなくなった以上、在宅医療介護は不経済、と言うわけです。
    つまり、嫁が夫の父母の介護をするのは当たり前という常識の元に始まったのが在宅というもので、それが消滅した今、在宅医療介護看護そのものの価値も否定されつつあります。価値が否定されつつあるというのは語弊がありますが、少なくとも「安上がりかどうか」しか評価基準が存在しない公的保険の世界では「無駄だ」という評価に変わってきているのです。無論、住み慣れた家で最後まで生きたいという人はいますが、今後は「それならそれは自費でどうぞ」になっていくのでしょう。いやな話ですが。

  • 投稿日時:2024/11/09

    私は今日、悟りに達した。実は私は頻繁に悟りに達している。


    なんて言ったら、お前は馬鹿かと人は言うだろうが、それはこう言うことだ。


    私は一週間ほど前から、右下の奥歯、大臼歯の痛みでもだえ苦しんでいる。木曜日に歯医者に行ったら、大臼歯の歯根部に感染が起き、炎症が起きているという診断だった。激痛なのだ。それで歯医者でかぶせ物を外し、歯根部の神経が通っている管をぐいっと広げてそこに生じている感染部位をやっつけ、消毒剤を入れて仮蓋をしている。しかし今日、また私の大臼歯は相当に痛み出した。それで歯医者に頼んで明日また(日曜日にもかかわらず)再受診する。


    ところが、その私の歯の激痛は、私が心から診療に没頭している間は、何故か消えてしまう。目の前の、人生を背負ってやってくる患者に正面から相対しているときは、どういうわけか歯が痛まない。しかし外来が終わった途端、再び私は歯痛で悶絶する。


    つまり、外来で患者に相対していて、その患者のことだけを考えているときは、歯の激痛をも含め、他の一切は忘れているのだ。いや、忘れているという表現は適切ではない。私は外来中も、いや、さっきまで俺は奥歯が痛かったときがつく。ちゃんと意識はあり、正常なのだが、私の意識はともかく患者に集中しているので、そんな歯根部に感染が起き、炎症になって激痛を生じているという事すら、消えるのだ。それは、例えば麻酔薬を打って眠っているからその間は痛みを感じないという状態とは違う。私は間違いなく完全に覚醒しており、私の大臼歯にそういう病変があり、それがついさっきまで激痛を起こしていた、と言うことを分かっている。だから自分では「今私は奥歯に激痛があるはずだ」と思うのだが、しかし患者の診療に集中している間はいくら激痛があるはずだと考えても激痛を感じない。しかし診療が終わった途端、激痛が再発する。朝ロキソニンを飲んだがロキソニン程度ではこの傷みは全く改善しない。


    これは不思議なことだ。私は完全に覚醒しており、眠っていたり意識レベルが下がっているわけではない。そして外来診療が始まる直前まで、私は歯に激痛を感じていた。ところが、外来診療中は、「私の歯は感染による炎症が起きていて、それは木曜日の治療では完治しておらず、ついさっきまで激痛だったんだから今も激痛を感じるはずだ」といくら考えても激痛が起きない。ところが診療が終わった途端、激痛が蘇るのだ。


    これは一過性ではあるが、一種の悟りなのだ。つまり、患者の診療にだけ私の意識が集中しているときは、歯根部に感染が起き炎症が起きることによって生じる凄まじい激痛すら、完全に意識があり理解力があるにもかかわらず、感じない。このとき私の意識は完全に患者の診療だけに集中しているから、例え腕を切り落とされても平然としているのだろう。だって歯根部に感染が起きたときの痛みというのは、まさに腕か足が切り落とされたと同じぐらいの激痛だから。


    悟りというのはそういうことだ。その一瞬に全ての意識を集中すると、余念が一切消える。余念を思い起こそうとしても、出てこない。意識が低下しているのでもなく、余念を忘れているのでもない。意識は清明で、「さっきまで激痛で、その激痛の原因は今も存在しているのだから自分は今も激痛を感じるはずだ」と分かっていても、診療に集中しているときはどう頑張ってもその激痛が生じない。ところが診療が終わった途端、当然ながらその激痛が蘇る。


    悟りの本質はこれだ。一切の意識をあることだけに集中させると、他に対する意識も感覚も消滅する。これは思い込みとかそういうことではなく、実際にそうなるのだ。それをずっと継続出来れば私もブッダになれるのだろうが、残念ながら私がそういう境地になるのは患者の診療に集中している間だけである。一過性の悟り?知らんがな。

  • 投稿日時:2024/11/08
    実は今石巻には甲状腺の病気をちゃんと診る医者がおらず、みんな困っています。


    数ヶ月前まで、石塚内科の石塚先生が甲状腺疾患を診ておられました。石塚先生は元々石巻日赤で消化器内科を担当しておられたのですが、石巻には甲状腺の病気を診る医者がいないということを患いてご自分で勉強され、甲状腺疾患を診療されていたそうです。


    ところが数ヶ月前石塚先生がまだ60歳の若さで早逝されてしまい、石巻には甲状腺疾患を診る常勤医がいなくなってしまいました。最近市立病院に週に一日専門医が仙台から来て甲状腺外来を始めたそうですので、今後専門医に診せる必要がある人はその外来に紹介することになります。


    甲状腺疾患と言っても、実はたくさんあるのです。ホルモンの値が高いか低いかで言えば、甲状腺機能亢進症と低下症に別れますが、しかし甲状腺が腫大していると「甲状腺腫」です。ところが甲状腺が腫大していても甲状腺ホルモンの値は正常だと言うことがあります。これは単に甲状腺が腫大しているだけで、悪さはしていないのです。


    ところが、甲状腺には腫瘍が出来ることがあります。これにも「良性腫瘍」と「悪性腫瘍」、つまり甲状腺癌があります。しかも甲状腺癌は大きく4種類あるのですが、ゆっくりゆっくり進行してなかなか症状を現さないものと、急激に大きくなってあっという間に転移するものがあります。しかも、良性腫瘍であっても甲状腺ホルモンを過剰に出すもの、出さないものがあるし、甲状腺癌であっても甲状腺ホルモンを過剰に出すもの、出さないものがあります。さらに加えて、甲状腺の自己免疫性疾患である「橋本病」があります。正常な甲状腺を、免疫系が外敵と間違えて攻撃してしまうのです。この疾患は日本人の橋下博士が発見したので、世界的にも未だにHashimoto diseaseと言う名前がよく知られています。今はなるべく病気の名前を個人名で呼ぶなと言うことになっているので「慢性甲状腺炎」という名前もありますが、未だにHashimoto diseaseの方が国際的に通りがよいのです。因みにバセドウ病というのはバセドウ博士が発見したのですが、今では一般的に甲状腺機能亢進症だが甲状腺癌では無い人をそう呼んでいます。


    甲状腺一つでこれだけ病気があるので、甲状腺関係は医師国家試験や内科専門医試験の「山」なのですが、到底全部は覚えきれません。「甲状腺科」という専門科があるのも頷けます。これだけ多種多様な疾患を起こすのであれば、甲状腺だけの専門家というのは成立します。ところが甲状腺の異常は副腎や脳下垂体など様々なホルモン分泌と関連して動きますから、甲状腺の疾患を診るというのはそれに関連した色々なホルモン臓器の疾患を合わせてみる、と言うことなのです。


    大変なのです。


    だからこそ、なかなか石巻クラスの地方都市では「甲状腺の専門医」はいません。非常に高度な医療になりますから。本当に、困ってしまいます。


    あゆみ野クリニックでは、健診で「血圧が高い」と指摘されてきた人や、「年中疲れやすくて怠い」という人は全員甲状腺ホルモンの採血をします。あれも、単に採血すればよいのでは無くて、必ず10分間安静臥床、つまり静からところで横に寝かせてから採血するのです。当院にはそんなに部屋が無いから、10分間一人を安静臥床させるとその間その部屋は他に使えないので、他の患者さんがつかえてしまいます。しかし10分間安静臥床させてから出ないと、こういうホルモンは正確に測れないのです。


    私は日本内科学会の認定医ではありますが、専門医ではありません。専門医を取る試験は認定医の試験より難しくて、こうした細かいことを正確に知っていなければ合格出来ないのです。でももしかしたら、開業してものすごく色々な患者さんを診るようになった今なら、専門医の試験にも受かるかも知れません。でも今となっては、別にあんな「専門医」という賞状があるかないかなんかあんまり日常診療にも経営にも関係ないので、私は改めて専門医を取ろうとは思いません。無論、石巻の患者さん達が「是非内科専門医の資格を取ってくれ」というのでしたら頑張りますが、いやだって私も今年の8月で還暦になりましたから、ああ言う「暗記物」は、ねえ。
     
  • 投稿日時:2024/11/07
    私は漢方薬を「きちんと科学的に」検証する仕事をやってきました。30歳ぐらいで社会人になってから60歳まで、30年はそれをやってきました。


    真実というものは、かなり多くの人々にとって、都合が悪いのです。漢方薬の効果が科学的に証明出来るという事は、ある種の漢方薬は従来言われているような効果はないという事も証明出来るという事です。両者は裏腹です。だからこそ「漢方の名医」などと言われる連中は、漢方薬の科学的検証を嫌うのです。


    例えば、漢方には「補う」という治療法があります。黄耆や人参は気を補い、当帰や芍薬、地黄は血を補い、麦門冬は津液(水)を補うと言います。


    しかしながら、例えば貧血の人に当帰や芍薬、地黄を飲ませても赤血球も血色素も増えません。それより鉄剤を飲ませた方が効果的です。そこで漢方医が持ち出すのが、「血(けつ)」は必ずしも西洋医学の血液ではない、という理屈です。


    それが完全に嘘だとは言いません。何故なら、例えば肌の色艶が悪く、元気がなく、手足が冷えるという女性に「当帰芍薬散」という漢方薬を飲ませると、著明に改善します。冷えなくなって元気になると言うわけです。しかしその人を採血しても、元々貧血ではないし、当帰芍薬散を1ヶ月飲ませても赤血球や血色素が増えるわけではありません。しかし漢方医はそういう患者の愁訴を聞いて、「どうやらこれは血虛だ。だから当帰芍薬散を投与すればよい」と考え、実際当帰芍薬散を投与すると1ヶ月ぐらいで上記のように患者さんは冷えが取れて元気になります。


    そうなんだからそれでいいんだ、と言うのが大塚敬節流の「漢方は術だ」という連中です。しかし、「いや、西洋医学的に採血しても元々貧血ではないのに、冷えたり肌つやが悪く元気がない人に1ヶ月ほど当帰芍薬散を飲ませるとそういう症状が改善されて元気になる。それは事実だが、ではそれはいったいどういう病態がどの様に改善されたのだろうか」、と考えるのが科学者です。つまり、現実的な理由を考えるのです。採血しても貧血ではないのに身体が冷え、怠く肌の色艶が悪い。それはいったい何なのだろうか?そして当帰芍薬散はなにをどの様に変えるのだろうか。それを研究するのが、「漢方研究者」です。


    まずは、「採血しても貧血ではないのに体が冷え、怠く、肌の色艶が悪い」という人を確実に診断するツールが必要です。名人でないと診断出来ないというのでは駄目なのです。そこそこに漢方を勉強した医者なら確実に一様に、誰でもほぼ同様にそれを「血虛」と診断出来るツールが必要。そして、そのツールを用いて、そういう患者に当帰芍薬散を使ったらそのツールで改善しました、というデータが必要です。その先に、「ではその病態はいったい何なのだ」という解析が可能になるのです。


    西洋医学ではしばしば基礎が臨床に先んじると言いますが、あれも実は逆です。例えば歳を取ったら認知記憶能力が下がるという事を発見する。それは臨床医の仕事です。そういう現象がたまたまではなくかなり普遍的に起こるという事が確かめられて初めて「認知症」という概念が生まれ「ではその原因は何か」という基礎研究が可能になります。やはり臨床は大事なのです。臨床的に全く問題が無いことをいくら基礎医学者が「いや、こういう現象がある」と言っても、それは「どのみちそういうことが起きていても臨床上それは問題になりませんから」と言って無視されてしまいます。「臨床的にこういう問題がある」という所から医学研究というものはスタートするのです。そういう意味では、漢方や中医学も西洋医学も、同じなのです。


    これまで「冷え症」というものは病気だと思われていませんでした。しかし東日本大震災の時、多くの人々が低体温症に苦しんだのです。私はその状況を間近にみてきた一人ですから、どうもあの震災を機にして「冷えるということは疾患だ」、という理解が拡がったように思います。何しろ低体温症は身体が異常に冷えて、循環障害をおこしたからです。


    漢方薬には、激烈な効果を示すものがあります。生薬で言うと、麻黄、附子、細辛などは「なんとなくの思い込み」ではなく、実際血圧を上げたり、痛みや冷えを軽減する一方、加工や使い方を誤れば確実に副作用を起こします。また処方でも、例えば「急に足がつった」というとき「芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)」エキスを2包パッと飲むと、1,2分で攣りは収まります。こういうものは、なにも数千人を集めてランダム化比較臨床試験をする必要はありません。飲めばたちどころに効くのですから。その点、漢方の生薬はラベンダーやカモミールのような西洋ハーブとは桁違いです。無論西洋ハーブにもベラドンナやジギタリスのようにものすごい効果が出るものはありますが、全体としては漢方・中医学の生薬のほうが西洋ハーブに比べ「ものすごく効果が強い」ものが多い。そしてだからこそ、専門家が慎重に使わないと危ないのです。


    一方、例えば冬虫夏草。これは滋養強壮の妙薬とされていますが、私はこれは怪しいと覧ています。そもそも冬虫夏草が何故高価な生薬になったかというと、秋に冬眠する昆虫が春には植物として生まれ変わるから、不老不死なんだというのです。しかし今では冬虫夏草というのは昆虫にキノコが付着し、冬眠している昆虫の身体を食い尽くして春にはキノコが生えるのだという事が分かっています。不老長寿どころではないのです。要するにこれは、思い込みです。真実というのは、確実に都合が悪いのです・・・ある人々にとっては。


    日本漢方は生薬の知識を概ね中国伝統医学から得ていますが、その中国伝統医学の生薬の中には、極めて激烈な効果を持つものから冬虫夏草のようなおそらくは思い込みに過ぎないものまで、色々あるのです。中国って広いですから、例えば「防已(ぼうい)」のように同じ名前の生薬でも中国の各地で実は植物が違う、なんてことも普通に起きます。


    だからそういうことをいちいち科学的に検証していくと、ある種の人々にとっては都合が悪いのです。冬虫夏草は極めて高値で売れますから。そういう人々は、中医学や漢方を科学的に検証することを嫌います・・・だから私を嫌うのです。


    しかしそう言うことを確実に、一つ一つ確かめ、検証していかなくては、漢方にも中医学にも未来はありません。どうせ隠し続けることは出来ないのです。開き直りましょう。一つ一つ検証し、「これはたしかだ」ということを確定させなければなりません。それには、ものすごい労力が必要で、かつそうした努力の結果、例えばこれまで珍重され商売としては高値で売れていた冬虫夏草には実はなんの効果も無かったという事が分かるかも知れません。しかし、冬虫夏草が売れなくなっても、そういう努力を続ければ、確実に伝統医学は残ります・・・未来の医学として。
     
  • 投稿日時:2024/11/07
    ある方から、「人生で何がいちばんつらく情なかったか聞かせて」

    と質問されました。私の60年の人生で辛く切ないことは山のようにありました。しかし個人の昔話を連ねたってあまり意味は無いでしょう。今多くの人に語るべき「辛く情けなかったこと」は、無論私の仕事のことです。これは、語り伝えるべき逸話です。

    それは、私が漢方・中医学(中国伝統学を中国政府が整理統合したもの)を科学的に研究しようとしたら、前後から弾が飛んできたことです。前、つまり西洋医学から批判を受けたのは別に驚きませんでした。だって1990年代、漢方なんか呪いだと思われていましたから、「お呪いの研究をするなんて頭がおかしいんだ」と言われました。でも私はそれには驚かなかった。

    私が驚いたのは、後ろからも弾が飛んできたことです。つまり、漢方界から強烈な批判を受けた。漢方を西洋医学の手法で研究するなんて、けしからん!!というのです。漢方は個の医学だ、だから統計処理をして集団でデータを出す現代西洋医学の手法で個の医学は証明出来ない、と言うのです。

    しかし、私は証明してしまったのです。八味地黄丸が認知症に有効であることを示した二重盲検ランダム化比較臨床試験(DBRCT)、抑肝散が高齢者認知症の心理・行動学的症状(BPSD、認知症患者が妄想、幻覚、易怒、興奮、昼夜逆転などをおこすこと)に有効であるというランダム化比較臨床試験(RCT)、半夏厚朴湯が要介護老人で誤嚥性肺炎を減らすというRCT等々、次々に漢方薬の効果をまさに西洋医学の臨床試験の手法で証明しました。

    そうやって私が成功すればするほど、漢方界の恨み辛みは高まったのです。面と向かって「こんな研究には意味が無い」という東洋医学会会長になった石川なんて言う爺さんもいましたが、大方は影でひそひそと「岩﨑には気をつけろ、あいつとは付き合うな」というわけです。そして結局、私はあること無いこと(殆どがこじつけ)を持ち出され、日本東洋医学会から追放されました。代議員、東北支部副支部長、専門医委員会東北地区委員長の肩書きを持ちながら、学会から追放されたのです。

    一方現代医学からの風当たりもますます強くなりました。日本老年医学会が「高齢者の安全な薬物治療ガイドライン2015」を出したとき、私は伝統医学についての担当委員に選ばれました。私はガイドライン作成委員会が定めた方法に厳密に従って漢方の推奨度を決めたのですが、いったん老年医学会全国総会で発表された後、委員全員の「無記名投票」に掛けられたとき、私の仕事は否決されたのです。「漢方の内容は副作用だけを残し、効果は全て削る」という事になりました。

    このときは、私を敵に回していたはずの日本東洋医学会などとも一時的に手を組んで老年医学会に圧力を掛け、どうにか「ガイドラインの全体からは外すが、独立した一章として漢方を取り扱う」という妥協が成立しました。このときほど、日本人というのは一流の学者であっても卑怯で嫌らしいのだ、と思ったことはありません。3年間も掛けた討議で何回も何回も議論した末の内容が、既に全国総会で発表された後、秘密投票となったら突然否決されたのです。その時noと投票した連中は、作業して討論した3年間、一度もなにも意見を出さなかったくせに!

    卑怯なんです、日本人は。面と向かってはなにも言わず、無記名、つまり匿名となった途端本音をむき出しにしたのです。ガイドライン作成作業は3年も掛かり、その間何度も何度も討議の場があったのです。何故あいつらは、そこでは一切なにも言わなかったのでしょうか。何故一言も疑問を発しなかったのでしょうか。そして何故、3年間沈黙し続けたあげく、匿名投票となった途端noを突きつけたのでしょうか。

    そんじょそこらのSNSに巣喰っている馬鹿どもと同じじゃないですか、これは。これこそ、私の人生で「一番辛く情けなかったこと」でした。しかし私はそれに負けなかったのです。しおしおとは逃げませんでした。とっくに険悪の仲であった日本東洋医学会や、中医学の学会である日本中医薬学会(当時は日本中医学会)に危急を知らせ、その時だけは手を結び、掛けられるだけ政治的圧力を掛け、「ガイドラインから漢方を葬り去る」事だけは阻止したのです。だからこの一件はたしかに私の人生で一番辛く情けなかったが、しかし私が誇れる一件でもありました。

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