石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
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投稿日時:2024/11/10
実は「介護保険を基にした在宅医療・介護」という制度は、「イエ」という価値観を基にして成立したものでした。訪問診療に国が保険点数を付けるようになったのが1980年代です。それは徐々に拡大されてきました。しかしそう言う流れの背景には「お嫁さん」がいたのです。当時はお嫁さんが義父母の介護をしていました。つまり国は「ほう、ここに人件費0の介護者がいる」と考えついたのです。だから施設介護より安上がりだとね。
国が何か医療介護福祉の分野で何かを始めるとき、その本音は常に「安上がりかどうか」なのです。当時は「お嫁さん」という人件費0の介護者がいたからそういうそろばん勘定になったのですが、今はいません。だから国は今年から一気に在宅関係の点数を減らしました。人件費0のお嫁さんがいなくなった以上、在宅医療介護は不経済、と言うわけです。
つまり、嫁が夫の父母の介護をするのは当たり前という常識の元に始まったのが在宅というもので、それが消滅した今、在宅医療介護看護そのものの価値も否定されつつあります。価値が否定されつつあるというのは語弊がありますが、少なくとも「安上がりかどうか」しか評価基準が存在しない公的保険の世界では「無駄だ」という評価に変わってきているのです。無論、住み慣れた家で最後まで生きたいという人はいますが、今後は「それならそれは自費でどうぞ」になっていくのでしょう。いやな話ですが。 -
投稿日時:2024/11/09
私は今日、悟りに達した。実は私は頻繁に悟りに達している。
なんて言ったら、お前は馬鹿かと人は言うだろうが、それはこう言うことだ。
私は一週間ほど前から、右下の奥歯、大臼歯の痛みでもだえ苦しんでいる。木曜日に歯医者に行ったら、大臼歯の歯根部に感染が起き、炎症が起きているという診断だった。激痛なのだ。それで歯医者でかぶせ物を外し、歯根部の神経が通っている管をぐいっと広げてそこに生じている感染部位をやっつけ、消毒剤を入れて仮蓋をしている。しかし今日、また私の大臼歯は相当に痛み出した。それで歯医者に頼んで明日また(日曜日にもかかわらず)再受診する。
ところが、その私の歯の激痛は、私が心から診療に没頭している間は、何故か消えてしまう。目の前の、人生を背負ってやってくる患者に正面から相対しているときは、どういうわけか歯が痛まない。しかし外来が終わった途端、再び私は歯痛で悶絶する。
つまり、外来で患者に相対していて、その患者のことだけを考えているときは、歯の激痛をも含め、他の一切は忘れているのだ。いや、忘れているという表現は適切ではない。私は外来中も、いや、さっきまで俺は奥歯が痛かったときがつく。ちゃんと意識はあり、正常なのだが、私の意識はともかく患者に集中しているので、そんな歯根部に感染が起き、炎症になって激痛を生じているという事すら、消えるのだ。それは、例えば麻酔薬を打って眠っているからその間は痛みを感じないという状態とは違う。私は間違いなく完全に覚醒しており、私の大臼歯にそういう病変があり、それがついさっきまで激痛を起こしていた、と言うことを分かっている。だから自分では「今私は奥歯に激痛があるはずだ」と思うのだが、しかし患者の診療に集中している間はいくら激痛があるはずだと考えても激痛を感じない。しかし診療が終わった途端、激痛が再発する。朝ロキソニンを飲んだがロキソニン程度ではこの傷みは全く改善しない。
これは不思議なことだ。私は完全に覚醒しており、眠っていたり意識レベルが下がっているわけではない。そして外来診療が始まる直前まで、私は歯に激痛を感じていた。ところが、外来診療中は、「私の歯は感染による炎症が起きていて、それは木曜日の治療では完治しておらず、ついさっきまで激痛だったんだから今も激痛を感じるはずだ」といくら考えても激痛が起きない。ところが診療が終わった途端、激痛が蘇るのだ。
これは一過性ではあるが、一種の悟りなのだ。つまり、患者の診療にだけ私の意識が集中しているときは、歯根部に感染が起き炎症が起きることによって生じる凄まじい激痛すら、完全に意識があり理解力があるにもかかわらず、感じない。このとき私の意識は完全に患者の診療だけに集中しているから、例え腕を切り落とされても平然としているのだろう。だって歯根部に感染が起きたときの痛みというのは、まさに腕か足が切り落とされたと同じぐらいの激痛だから。
悟りというのはそういうことだ。その一瞬に全ての意識を集中すると、余念が一切消える。余念を思い起こそうとしても、出てこない。意識が低下しているのでもなく、余念を忘れているのでもない。意識は清明で、「さっきまで激痛で、その激痛の原因は今も存在しているのだから自分は今も激痛を感じるはずだ」と分かっていても、診療に集中しているときはどう頑張ってもその激痛が生じない。ところが診療が終わった途端、当然ながらその激痛が蘇る。
悟りの本質はこれだ。一切の意識をあることだけに集中させると、他に対する意識も感覚も消滅する。これは思い込みとかそういうことではなく、実際にそうなるのだ。それをずっと継続出来れば私もブッダになれるのだろうが、残念ながら私がそういう境地になるのは患者の診療に集中している間だけである。一過性の悟り?知らんがな。 -
投稿日時:2024/11/08実は今石巻には甲状腺の病気をちゃんと診る医者がおらず、みんな困っています。
数ヶ月前まで、石塚内科の石塚先生が甲状腺疾患を診ておられました。石塚先生は元々石巻日赤で消化器内科を担当しておられたのですが、石巻には甲状腺の病気を診る医者がいないということを患いてご自分で勉強され、甲状腺疾患を診療されていたそうです。
ところが数ヶ月前石塚先生がまだ60歳の若さで早逝されてしまい、石巻には甲状腺疾患を診る常勤医がいなくなってしまいました。最近市立病院に週に一日専門医が仙台から来て甲状腺外来を始めたそうですので、今後専門医に診せる必要がある人はその外来に紹介することになります。
甲状腺疾患と言っても、実はたくさんあるのです。ホルモンの値が高いか低いかで言えば、甲状腺機能亢進症と低下症に別れますが、しかし甲状腺が腫大していると「甲状腺腫」です。ところが甲状腺が腫大していても甲状腺ホルモンの値は正常だと言うことがあります。これは単に甲状腺が腫大しているだけで、悪さはしていないのです。
ところが、甲状腺には腫瘍が出来ることがあります。これにも「良性腫瘍」と「悪性腫瘍」、つまり甲状腺癌があります。しかも甲状腺癌は大きく4種類あるのですが、ゆっくりゆっくり進行してなかなか症状を現さないものと、急激に大きくなってあっという間に転移するものがあります。しかも、良性腫瘍であっても甲状腺ホルモンを過剰に出すもの、出さないものがあるし、甲状腺癌であっても甲状腺ホルモンを過剰に出すもの、出さないものがあります。さらに加えて、甲状腺の自己免疫性疾患である「橋本病」があります。正常な甲状腺を、免疫系が外敵と間違えて攻撃してしまうのです。この疾患は日本人の橋下博士が発見したので、世界的にも未だにHashimoto diseaseと言う名前がよく知られています。今はなるべく病気の名前を個人名で呼ぶなと言うことになっているので「慢性甲状腺炎」という名前もありますが、未だにHashimoto diseaseの方が国際的に通りがよいのです。因みにバセドウ病というのはバセドウ博士が発見したのですが、今では一般的に甲状腺機能亢進症だが甲状腺癌では無い人をそう呼んでいます。
甲状腺一つでこれだけ病気があるので、甲状腺関係は医師国家試験や内科専門医試験の「山」なのですが、到底全部は覚えきれません。「甲状腺科」という専門科があるのも頷けます。これだけ多種多様な疾患を起こすのであれば、甲状腺だけの専門家というのは成立します。ところが甲状腺の異常は副腎や脳下垂体など様々なホルモン分泌と関連して動きますから、甲状腺の疾患を診るというのはそれに関連した色々なホルモン臓器の疾患を合わせてみる、と言うことなのです。
大変なのです。
だからこそ、なかなか石巻クラスの地方都市では「甲状腺の専門医」はいません。非常に高度な医療になりますから。本当に、困ってしまいます。
あゆみ野クリニックでは、健診で「血圧が高い」と指摘されてきた人や、「年中疲れやすくて怠い」という人は全員甲状腺ホルモンの採血をします。あれも、単に採血すればよいのでは無くて、必ず10分間安静臥床、つまり静からところで横に寝かせてから採血するのです。当院にはそんなに部屋が無いから、10分間一人を安静臥床させるとその間その部屋は他に使えないので、他の患者さんがつかえてしまいます。しかし10分間安静臥床させてから出ないと、こういうホルモンは正確に測れないのです。
私は日本内科学会の認定医ではありますが、専門医ではありません。専門医を取る試験は認定医の試験より難しくて、こうした細かいことを正確に知っていなければ合格出来ないのです。でももしかしたら、開業してものすごく色々な患者さんを診るようになった今なら、専門医の試験にも受かるかも知れません。でも今となっては、別にあんな「専門医」という賞状があるかないかなんかあんまり日常診療にも経営にも関係ないので、私は改めて専門医を取ろうとは思いません。無論、石巻の患者さん達が「是非内科専門医の資格を取ってくれ」というのでしたら頑張りますが、いやだって私も今年の8月で還暦になりましたから、ああ言う「暗記物」は、ねえ。
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投稿日時:2024/11/07私は漢方薬を「きちんと科学的に」検証する仕事をやってきました。30歳ぐらいで社会人になってから60歳まで、30年はそれをやってきました。
真実というものは、かなり多くの人々にとって、都合が悪いのです。漢方薬の効果が科学的に証明出来るという事は、ある種の漢方薬は従来言われているような効果はないという事も証明出来るという事です。両者は裏腹です。だからこそ「漢方の名医」などと言われる連中は、漢方薬の科学的検証を嫌うのです。
例えば、漢方には「補う」という治療法があります。黄耆や人参は気を補い、当帰や芍薬、地黄は血を補い、麦門冬は津液(水)を補うと言います。
しかしながら、例えば貧血の人に当帰や芍薬、地黄を飲ませても赤血球も血色素も増えません。それより鉄剤を飲ませた方が効果的です。そこで漢方医が持ち出すのが、「血(けつ)」は必ずしも西洋医学の血液ではない、という理屈です。
それが完全に嘘だとは言いません。何故なら、例えば肌の色艶が悪く、元気がなく、手足が冷えるという女性に「当帰芍薬散」という漢方薬を飲ませると、著明に改善します。冷えなくなって元気になると言うわけです。しかしその人を採血しても、元々貧血ではないし、当帰芍薬散を1ヶ月飲ませても赤血球や血色素が増えるわけではありません。しかし漢方医はそういう患者の愁訴を聞いて、「どうやらこれは血虛だ。だから当帰芍薬散を投与すればよい」と考え、実際当帰芍薬散を投与すると1ヶ月ぐらいで上記のように患者さんは冷えが取れて元気になります。
そうなんだからそれでいいんだ、と言うのが大塚敬節流の「漢方は術だ」という連中です。しかし、「いや、西洋医学的に採血しても元々貧血ではないのに、冷えたり肌つやが悪く元気がない人に1ヶ月ほど当帰芍薬散を飲ませるとそういう症状が改善されて元気になる。それは事実だが、ではそれはいったいどういう病態がどの様に改善されたのだろうか」、と考えるのが科学者です。つまり、現実的な理由を考えるのです。採血しても貧血ではないのに身体が冷え、怠く肌の色艶が悪い。それはいったい何なのだろうか?そして当帰芍薬散はなにをどの様に変えるのだろうか。それを研究するのが、「漢方研究者」です。
まずは、「採血しても貧血ではないのに体が冷え、怠く、肌の色艶が悪い」という人を確実に診断するツールが必要です。名人でないと診断出来ないというのでは駄目なのです。そこそこに漢方を勉強した医者なら確実に一様に、誰でもほぼ同様にそれを「血虛」と診断出来るツールが必要。そして、そのツールを用いて、そういう患者に当帰芍薬散を使ったらそのツールで改善しました、というデータが必要です。その先に、「ではその病態はいったい何なのだ」という解析が可能になるのです。
西洋医学ではしばしば基礎が臨床に先んじると言いますが、あれも実は逆です。例えば歳を取ったら認知記憶能力が下がるという事を発見する。それは臨床医の仕事です。そういう現象がたまたまではなくかなり普遍的に起こるという事が確かめられて初めて「認知症」という概念が生まれ「ではその原因は何か」という基礎研究が可能になります。やはり臨床は大事なのです。臨床的に全く問題が無いことをいくら基礎医学者が「いや、こういう現象がある」と言っても、それは「どのみちそういうことが起きていても臨床上それは問題になりませんから」と言って無視されてしまいます。「臨床的にこういう問題がある」という所から医学研究というものはスタートするのです。そういう意味では、漢方や中医学も西洋医学も、同じなのです。
これまで「冷え症」というものは病気だと思われていませんでした。しかし東日本大震災の時、多くの人々が低体温症に苦しんだのです。私はその状況を間近にみてきた一人ですから、どうもあの震災を機にして「冷えるということは疾患だ」、という理解が拡がったように思います。何しろ低体温症は身体が異常に冷えて、循環障害をおこしたからです。
漢方薬には、激烈な効果を示すものがあります。生薬で言うと、麻黄、附子、細辛などは「なんとなくの思い込み」ではなく、実際血圧を上げたり、痛みや冷えを軽減する一方、加工や使い方を誤れば確実に副作用を起こします。また処方でも、例えば「急に足がつった」というとき「芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)」エキスを2包パッと飲むと、1,2分で攣りは収まります。こういうものは、なにも数千人を集めてランダム化比較臨床試験をする必要はありません。飲めばたちどころに効くのですから。その点、漢方の生薬はラベンダーやカモミールのような西洋ハーブとは桁違いです。無論西洋ハーブにもベラドンナやジギタリスのようにものすごい効果が出るものはありますが、全体としては漢方・中医学の生薬のほうが西洋ハーブに比べ「ものすごく効果が強い」ものが多い。そしてだからこそ、専門家が慎重に使わないと危ないのです。
一方、例えば冬虫夏草。これは滋養強壮の妙薬とされていますが、私はこれは怪しいと覧ています。そもそも冬虫夏草が何故高価な生薬になったかというと、秋に冬眠する昆虫が春には植物として生まれ変わるから、不老不死なんだというのです。しかし今では冬虫夏草というのは昆虫にキノコが付着し、冬眠している昆虫の身体を食い尽くして春にはキノコが生えるのだという事が分かっています。不老長寿どころではないのです。要するにこれは、思い込みです。真実というのは、確実に都合が悪いのです・・・ある人々にとっては。
日本漢方は生薬の知識を概ね中国伝統医学から得ていますが、その中国伝統医学の生薬の中には、極めて激烈な効果を持つものから冬虫夏草のようなおそらくは思い込みに過ぎないものまで、色々あるのです。中国って広いですから、例えば「防已(ぼうい)」のように同じ名前の生薬でも中国の各地で実は植物が違う、なんてことも普通に起きます。
だからそういうことをいちいち科学的に検証していくと、ある種の人々にとっては都合が悪いのです。冬虫夏草は極めて高値で売れますから。そういう人々は、中医学や漢方を科学的に検証することを嫌います・・・だから私を嫌うのです。
しかしそう言うことを確実に、一つ一つ確かめ、検証していかなくては、漢方にも中医学にも未来はありません。どうせ隠し続けることは出来ないのです。開き直りましょう。一つ一つ検証し、「これはたしかだ」ということを確定させなければなりません。それには、ものすごい労力が必要で、かつそうした努力の結果、例えばこれまで珍重され商売としては高値で売れていた冬虫夏草には実はなんの効果も無かったという事が分かるかも知れません。しかし、冬虫夏草が売れなくなっても、そういう努力を続ければ、確実に伝統医学は残ります・・・未来の医学として。
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投稿日時:2024/11/07ある方から、「人生で何がいちばんつらく情なかったか聞かせて」
と質問されました。私の60年の人生で辛く切ないことは山のようにありました。しかし個人の昔話を連ねたってあまり意味は無いでしょう。今多くの人に語るべき「辛く情けなかったこと」は、無論私の仕事のことです。これは、語り伝えるべき逸話です。
それは、私が漢方・中医学(中国伝統学を中国政府が整理統合したもの)を科学的に研究しようとしたら、前後から弾が飛んできたことです。前、つまり西洋医学から批判を受けたのは別に驚きませんでした。だって1990年代、漢方なんか呪いだと思われていましたから、「お呪いの研究をするなんて頭がおかしいんだ」と言われました。でも私はそれには驚かなかった。
私が驚いたのは、後ろからも弾が飛んできたことです。つまり、漢方界から強烈な批判を受けた。漢方を西洋医学の手法で研究するなんて、けしからん!!というのです。漢方は個の医学だ、だから統計処理をして集団でデータを出す現代西洋医学の手法で個の医学は証明出来ない、と言うのです。
しかし、私は証明してしまったのです。八味地黄丸が認知症に有効であることを示した二重盲検ランダム化比較臨床試験(DBRCT)、抑肝散が高齢者認知症の心理・行動学的症状(BPSD、認知症患者が妄想、幻覚、易怒、興奮、昼夜逆転などをおこすこと)に有効であるというランダム化比較臨床試験(RCT)、半夏厚朴湯が要介護老人で誤嚥性肺炎を減らすというRCT等々、次々に漢方薬の効果をまさに西洋医学の臨床試験の手法で証明しました。
そうやって私が成功すればするほど、漢方界の恨み辛みは高まったのです。面と向かって「こんな研究には意味が無い」という東洋医学会会長になった石川なんて言う爺さんもいましたが、大方は影でひそひそと「岩﨑には気をつけろ、あいつとは付き合うな」というわけです。そして結局、私はあること無いこと(殆どがこじつけ)を持ち出され、日本東洋医学会から追放されました。代議員、東北支部副支部長、専門医委員会東北地区委員長の肩書きを持ちながら、学会から追放されたのです。
一方現代医学からの風当たりもますます強くなりました。日本老年医学会が「高齢者の安全な薬物治療ガイドライン2015」を出したとき、私は伝統医学についての担当委員に選ばれました。私はガイドライン作成委員会が定めた方法に厳密に従って漢方の推奨度を決めたのですが、いったん老年医学会全国総会で発表された後、委員全員の「無記名投票」に掛けられたとき、私の仕事は否決されたのです。「漢方の内容は副作用だけを残し、効果は全て削る」という事になりました。
このときは、私を敵に回していたはずの日本東洋医学会などとも一時的に手を組んで老年医学会に圧力を掛け、どうにか「ガイドラインの全体からは外すが、独立した一章として漢方を取り扱う」という妥協が成立しました。このときほど、日本人というのは一流の学者であっても卑怯で嫌らしいのだ、と思ったことはありません。3年間も掛けた討議で何回も何回も議論した末の内容が、既に全国総会で発表された後、秘密投票となったら突然否決されたのです。その時noと投票した連中は、作業して討論した3年間、一度もなにも意見を出さなかったくせに!
卑怯なんです、日本人は。面と向かってはなにも言わず、無記名、つまり匿名となった途端本音をむき出しにしたのです。ガイドライン作成作業は3年も掛かり、その間何度も何度も討議の場があったのです。何故あいつらは、そこでは一切なにも言わなかったのでしょうか。何故一言も疑問を発しなかったのでしょうか。そして何故、3年間沈黙し続けたあげく、匿名投票となった途端noを突きつけたのでしょうか。
そんじょそこらのSNSに巣喰っている馬鹿どもと同じじゃないですか、これは。これこそ、私の人生で「一番辛く情けなかったこと」でした。しかし私はそれに負けなかったのです。しおしおとは逃げませんでした。とっくに険悪の仲であった日本東洋医学会や、中医学の学会である日本中医薬学会(当時は日本中医学会)に危急を知らせ、その時だけは手を結び、掛けられるだけ政治的圧力を掛け、「ガイドラインから漢方を葬り去る」事だけは阻止したのです。だからこの一件はたしかに私の人生で一番辛く情けなかったが、しかし私が誇れる一件でもありました。 -
投稿日時:2024/11/06
「日本食・和食は健康によい」というのは、何故か世界常識になりつつあります。しかし純然たる日本食は、決して健康的な食習慣ではありません。
純然たる日本食しか食べないとしたら、少なくともビタミンB群、鉄、亜鉛、必須アミノ酸が決定的に不足します。しかも、塩分は過剰になります。ビタミンB群については明治時代の「脚気論争」が有名です。つまり、白米しか食わなければ日本食ではビタミンB群は摂取出来ないから、脚気になります。脚気って最近の若い医者は殆どみたことが無いでしょうが、今でもアル中で酒だけ飲んで食事はほとんど摂らないという人は脚気になります。脚気は酷くなると脚気心という、一種の心不全を起こします。この時点で「これは脚気心だ」と気づかず、単に普通の心不全に対する治療である利尿剤やカテコールアミンによる治療だけをしても、当然治りません。根本原因がビタミンB群、特にB1欠乏ですから、ビタミンB1を補充しなければ脚気心は治らないのです。
米ぬかにはビタミンB群が含まれているので、玄米を食えばビタミンB群は補えますが、充分なビタミンB群を取れるほどの玄米というものは、極めて食べ辛(ずら)いものです。玄米を食べればすぐ分かりますが、あれは口の中でもそもそして、消化も悪く、腹は張るし、要するに食べにくいんです。だから、ビタミンB群が充分に摂れるほど毎日玄米を食うというのは、まず本人が根を上げます。白米に少し玄米を加える程度なら良いでしょうが。
さらに亜鉛や鉄も、伝統的和食では不足します。亜鉛は日本の食材では牡蠣に多く含まれていますが、牡蠣を毎日食えと言われたら多くの人は尻込みするでしょう。ほうれん草にも亜鉛や鉄はたくさん含まれていますが、ほうれん草はそもそも非常に吸収効率が悪いから、和食のようにおひたしだの味噌汁の具にしても、殆ど吸収されず、うんこになって出ていきます。もしどうしてもほうれん草を消化吸収したければ、最低でもインド料理の「サグ」のようにペースト状にするしかありません。あのぐらいペースト状にすれば、ほうれん草もある程度は吸収出来ますが、和食に出てくるようなほうれん草は、殆ど吸収されず、うんこになるだけです。
鉄分補充にもビタミンB群も、肉を食うべきなのです。赤身の肉にはビタミンB群が豊富に含まれています。また本来肉を食う連中は、動物の血も食べるし、レバーも日常的に食べます。レバーは肉食が普通の社会では当たり前に食べますが、日本人は極たまにしか食べません。また動物の血は、ヨーロッパでは料理に混ぜ込んで食べるし、アジアではかんてん状にして食べます。だからああいう地域では「鉄欠乏貧血」なんて言う疾患はありません。だって日常的に極めて吸収効率がよい方法で鉄分を摂っているのですから。なお「鉄鍋を使えば良い」という人がいますが、日本に於ける加熱食器、要するに煮炊きの道具は殆ど土鍋などの「土器」です。鉄板焼きというのは稀では無いけど、あれは古来からのものではないです。明治時代肉食が広まったことにつれて普及したのです。かつ、和食の調味料はあまりにも塩分に偏りすぎています。スパイスをほとんど使わない。だから塩、醤油、味噌など、あらゆる調味料が要するに塩分です。だから和食はどうしても塩分過剰になり、これは高血圧を引き起こします。精製塩はよくないが自然塩は良いなんてのは、何の根拠もない「トンデモ」です。どんな塩でも要するに基本的な成分は塩、つまりNaClですから、摂りすぎれば高血圧になります。それは自然塩でも同じです。
要するに、「日本食が健康によい」というのは、日頃日本食を摂っていない人々がある程度日本食を取り入れると良いですよ、と言うことです。日本食・和食そのものは、ビタミンBも亜鉛も鉄分も足らず、なおかつ塩分過剰ですから、決してよい食習慣ではありません。 -
投稿日時:2024/10/30
当院でもHPVワクチン、別名子宮頸がんワクチンを積極的に接種しています。
HPVワクチン(子宮頚癌ワクチン)というのは、HPV、ヒトパピローマウィルスの感染を予防します。人間の癌のなかでも子宮頚癌はこのヒトパピローマウィルスに感染しない限り、絶対に発がんしません。ウィルスと癌とには時々そうした強い関連性があります。当院で実施しているシルガードはHPV感染を80%から90%予防するから、子宮頚癌そのものを80%から90%予防することが出来ます。
子宮頚癌は、女性1万人当たり毎年132人が発症し、34人が亡くなります。その人達は、HPV感染を防げば0に出来るのです。該当する年代の女性には自治体からお知らせが届いて、毎年決まった時期に摂取すると全額補助が受けられ、無料になります。あれは、絶対に受けた方が良いワクチンです。無論ワクチンですから色々な副反応はあるのですが、死に繋がる子宮頚癌を予防するためには絶大な効果があります。何しろ、HPVと言うウィルスに感染しなければ、子宮頚癌というものには絶対にならない」からです。
医療機関も民間であれば、日々の売り上げで必死になります。当院もそうです。しかし医療機関である以上、売り上げよりはるかに重要なことがあります。
人の命を守り助ける・・・このことです。
子宮頚癌ワクチンって、一人あたり粗利は7千円です。インフルエンザと違い受ける人はそんなに多くはないので、クリニック経営にはたいして関わりません。しかし、このワクチンは「女性を子宮頚癌に掛からせない」という、金には換えられない価値があるのです。だからこそ、毎年助成期間の連絡が届いたら、該当する方はぜひ受けてください。子宮頸がんワクチンをめぐっては、ワクチン反対派が有る事無い事を騒ぎ立てるのですが、「毎年130人以上の女性に発症し、30人以上が亡くなっているがんを80%から90%予防できるワクチン」なのだと言うことをきちんと知っていただきたいのです。
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投稿日時:2024/10/23裏千家だかなんだかの家元が、大学で講義をしているそうだ。ところが彼が講堂に入っていっても、学生は知らん顔。私語はするわ、スマホをいじくるわ。それで家元はカチンときて、
「君たちは学問をする志があるのか!」と怒り、それ以来講堂に入ると自分で「起立!礼!」と言うことに決めた。
というインタビュー記事を読んで私が感じたのは、それはその大学のレベルが低く、かつあなたの講義もつまらないからじゃないの?と言うことだった。
文科省が「医学部で漢方を教えろ」と言い出したとき、あちこちの大学が困った。何しろ何所の大学の医学部にも、漢方を教えられる教員がいない。それで東北大漢方内科准教授だった私は、全国から引っ張りだこになった。今覚えているだけでも岩手医大、福島県立医大、山形大、そして東大から漢方の講義を頼まれた。無論東北大でも漢方を教えた。
岩手医大、福島県立医大、山形大のような大学は「駅弁大学」と言われる。各県に最低一つは医学部を置きますという国の方針の下作られたからだ。各県に一つだから、駅弁というわけだ。
駅弁大学の医学部生は、その土地のガリ勉だ。地方で一生懸命勉強したけれども東大、東北大は無理という連中が入ってくる。彼らはともかく勉強熱心である。講義をすると、ひたすらノートを取る。最初から最後までノートを取り、一言も書き漏らすまいとするのだが「質問は?」と聞いても誰も手を挙げない。ともかく授業は丸覚えすればよいと思い込んでいる連中だ。
ところが東大で講義したときは仰天した。東大の老年内科が漢方の講義の主幹になったから、私は「高齢者医療と漢方」という題で自分の八味地黄丸とか抑肝散、半夏厚朴湯などのRCTデータを次々出した。最初は講義だったのが、途中から次々と質問の挙手が上がり、それに答えている内にいつしか講義はディスカッション、セミナーになった。東大の学生はたいしたものだと思った。
東北大はと言うと、准教授の私が講堂に入っていっても学生は見向きもしない。平気でケータイ(まだスマホはなかった)をいじくり、ちょっと真面目な学生は他の講義の予習をしている。それは何故かというと、私は東北大学で初めて漢方医学の講義をしたのだ。だから学生達は「どうせこれは試みの講義であって、試験問題なんか出ないだろう」とたかをくくっていた。試験問題に出ないものは聞く必要は無い、というドライな判断の下、彼らは私の講義を聴かなかったのだ。
ところがこの学年は数年後、ぎょっとする羽目になった。何故なら、私が講義をしたこの学年が卒業するその年から、東北大学医学部は卒業試験に漢方の問題を出題することになったからだ。
医学部の卒業試験に受からなければ、当然医師国家試験も受験出来ない。医師国家試験は医学部を卒業したものだけが受けられるからだ。その卒業試験に漢方の問題が出ているのを目にした彼らは、心底ぎょっとしたことだろう。
実は卒業試験に漢方の問題を出すかどうか、医学部内で相当揉めたのだ。反対する教授も多かった。しかし最終的に色々と根回しをした結果、一題出すと言うことになった。私はその問題は、誰でも解ける問題にした。たしか甘草の偽アルドステロン症を答えさせる問題にしたはずだ。そうしたら、その問題の正答率が非常に高かった。すると、医学部の教育委員長(私の同級生だった)が私を呼び出し、「先生の問題はよくない」という。同級生だから私も遠慮会釈なく「いったい何が悪いんだ!?」と訊いたら「殆ど全員が正解した」という。彼曰く、優れた試験問題というのは、ちゃんと勉強した学生の正答率が高く、不真面目な学生は間違えるように作るべきだというのだ。
まあそれはそれで一理あるのだろうが、私は東北大の歴史始まって以来初めて医学部の卒業試験に漢方の問題を出したのだから、なるべく全員が最低限知っているべき事を問題として出し、殆ど全員が正解するようにと思って出題した。だから私は彼の指摘を一蹴し、「これは東北大学建学以来初めての卒業試験の漢方問題なんだから、ほぼ全員が正解出来るように作ったんだ、それでいいんだ」と突っぱねた。
いずれにせよ、その年を皮切りに東北大では学年毎の試験にも卒業試験にも、だんだん漢方の出題が増えていった。医師国家試験ではまだ漢方を正面から問う問題は出されていないが、先ほども書いた通り、医学部の卒業試験に合格して医学部を卒業出来なければそもそも医師国家試験は受けられないのだから、今東北大学医学部の学生は必死で漢方を勉強している。
半年ほど前、私の後任である東北大漢方内科の高山真特命教授から電話で直接言われたのが「私はあなたのせいで正教授になれないのだ。あなたが杉田水脈と揉め事を起こしたからだ」というものだ。その電話を限りに私は高山先生とは縁を切り、電話もメールもブロックした。私が東北大学の臨床教授だったのはもう随分昔だ。大学を去って三年ぐらい、要するに高山君が独り立ちするまで臨床教授として裏で面倒を見たが、彼がそこそこ自分でやるようになって「もうよかろう」と私はその職を辞した。以来私は東北大とは一切関係ない。だから彼が正教授になれない原因を私に持ち込まれたって困るのだ。教授になるなれないはひとえに本人の問題だ。彼がまだ大学院生だった頃、私は上に書いたように東北大に必死に漢方の種を蒔き、それが今は東北大学附属病院漢方内科という常設の診療科となったのだから、彼が私を恨む理由など何一つない。
ま、色々還暦を過ぎると昔話ばかりになって、自分でも嫌なことだ。
https://www.ayumino-clinic.com/ -
投稿日時:2024/10/22政府が能登で意図的にサボタージュを行っているのはもはや誰の目にも明らかだ。発災から11か月、現実には手をこまねいて「何もしない」姿勢を貫いている。補正予算も組まないし、復興の見通しも示さない。
要するに政府は「このまま何もしなければ住民はやむなく他に移住するだろう。それでいい」と考えている。
実は能登の復興は不可能だという点では、私も政府と一致する。それどころか、それなりの立場の人々数人とそう言う話題で話し合ったが、能登で東日本大震災の時のような大規模な復興事業を行うべきだと考える人は、誰一人いなかった。多少ともものが見える人間は、元々衰退が止まらなかった半島があれだけ深刻な自然災害を、しかも立て続けに2度も受けてしまっては、もはや撤退止む無しだと考えている。
しかしそれなら、政府はその方針を、どんなに地元住民が腹を立ててもはっきりさせ、住民をこんこんと説得し、きちんと移住先を提案し、もはや故郷に戻れない人々が新たな暮らしを始められるように全面的に支援するべきだった。ただ手をこまねいていれば住民が勝手に逃げ出すだろうというのは、あまりにも無責任だ。
やはり今の政府は、完全に政権担当能力を失っている。被災者の説得なんか出来ないしやる気もなく、単に素知らぬ顔をしていれば自然に誰もいなくなるからそれでよいなどと言うのは、もはや政治じゃない。そんな政府に税金なんか払わなくてよい。
倒してしまえ!
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投稿日時:2024/10/14昨日の講演会はとあるサプリメーカーが主催する、薬剤師が中心の講演会だった。講演の後の「交歓会」はお義理でほんの10分ほど出ただけだったが,ある薬剤師が「これまで医者からこんな話を聞いたことがありません。こんなこと言って良いのかという内容ばかりで非常に面白かった。だけどこういう生き方をしてくると、先生大変だったんじゃないですか?」と聞いてきた。
それで私はこう答えた。
「ええそうですよ。私は普通皆が「これは言わない方が良い」という事しか言いません。そして大勢が「言わない方が良い」と考えることと言うのは、大抵真実なんです。もちろん、私はそのために色々と面倒を被りました。日本東洋医学会からは追い出されたし、私は東北大漢方内科の実質的設立者ですが、今東北大漢方内科に私の名前は残っていません。消されています。でもね、他人が私をどうこう言うことは、要するにあちらの問題なんです。私の問題じゃないんです。だからそれは私にとってはどうでもいいんです」。
声を掛けてきた人はあっけにとられたような顔をして黙ってしまった。その頃合いを見て私は交歓会から姿を消した。