ブログ

  • 投稿日時:2024/01/26

    先日「膀胱炎のようだ」と来院した40代女性。尿検査で白血球、潜血、細菌が出ていたので「なるほど、膀胱炎ですね」と抗生剤を出しました。5日分ほど出したら膀胱炎は治ったそうです。

     

     

    ところがその方、2週間もせずにまた「膀胱炎らしい」といて来院されました。変だなあと思いまた尿検査をやったら・所見が無い。尿検査異常なしなんです。

     

     

    あなたは時々こんなふうになりますか、と聞いたら、ええ、時々なるんですと。その度に抗生物質を処方されて良くなるんだけれども、何度も繰り返すんだそうです。

     

     

    前回は尿検査で確かに膀胱炎でしたから抗生物質を出しましたが、今回は尿は綺麗なので、膀胱炎とは違うようです。念の為尿を培養に出しておきますが、今直ちに抗生物質をまた出すということにはなりませんと説明したのです。

     

     

    こういう人って、結構います。泌尿器科で「無菌性膀胱炎」とか言われて大抵猪苓湯が出るんです。しかしそういう人で猪苓湯飲んでいて効いてますか、と聞くとほとんどの人が首を傾げます。よく分からないけど、泌尿器科の先生が出すんだから飲んでいる、ってわけです。

     

     

    細菌感染じゃ無いのに尿意が頻回でなんとなく尿がスッキリ出ない。排尿してもいつも尿が残っているようだと。さて、漢方でどうしようかと考えました。

     

     

    脈をふれると沈んで弱い。舌はそんなに所見がない。舌下静脈は怒張していますが、40代女性は大抵舌下静脈多少は怒張するものです。生理はまだ順調に来る。足腰は冷える。下腹も冷える。冬場や夏場エアコンが効いた部屋にいると尿意頻回や残尿感がひどい。

     

     

    腎陽虚で溢水です。真附湯がいいでしょう。しかしツムラのエキスは附子が足らないから、三和のアコニンサン錠を朝夕三錠ずつ足しました。腎の陽気が虚すと膀胱の働きがうまく制御できなくなり、頻尿や残尿感が起きる。陽気が虚すということは体の芯が冷えるということなので、真冬や強いエアコンの効いた場所などで起こりやすいわけです。

     

     

    結局この方は真附湯4包分二、アコニンサン錠6錠分二5日間ですっかり良くなりました。40代も半ばになって、どうも最近色々不調だといわれるので、当帰芍薬散を朝夕一包でしばらく続けてもらうことにしました。漢方薬って長く飲むんですよね、と聞かれたので、「だってこないだのお薬は5日で治ったでしょう。でも今日出すのはいわば体質改善だからしばらく飲むことになります」と説明したわけです。無菌性膀胱炎は猪苓湯って、なんとかの一つ覚えでは漢方効きません。

  • 投稿日時:2024/01/23
    咳止めが全国的に手に入らない煽りで、保険病名に咳とある漢方薬も軒並み手に入りません。しかし保険病名に咳とあっても実際は咳止めではない漢方薬があります。勘違いしないように説明します。「咳に効かない漢方薬」。YouTubeです。
  • 投稿日時:2024/01/19
    あゆみ野クリニックで鍼を使う場合は二つ。

    急激な痛みの患者。もちろん急激な痛みって何か原因はあるので原因究明しなくてはならないのだが、とりあえず痛みを止めると言う時。頭頸部なら風池、風府、百会、肩中、肩外、合谷などにポンポンと刺して痛みが止まることが多い。腰痛なら腎兪、陽関、大腸兪、腰兪、委中。まあともかく痛み軽くしましょうと言うこと。

    鍼の効果があるかどうかと言う見定め。神経疼痛などは主に仙台の神谷哲治先生に紹介するのだが、百会にまず刺して、風池、合谷、委中などを刺してみて、ある程度反応を掴む。行けそうなら神谷先生紹介。やはり石巻から仙台の自費の鍼灸院紹介となると患者の負担もあるから、ちょっと効果を見てみる感じ。

    どちらも鍼治療の代金は取れない。取ると混合診療になるから。まあ、本格的にやるわけじゃないから、サービスと割り切っている。曜日決めて鍼治療の日とすれば無論自由診療で料金いただけるが、そこまでやるほどの腕じゃないし、それに一日中鍼やっても大して儲からない。それに他の患者さんは来るのでその日は鍼しかやらないと言うわけに行かない。

    まあまあ、本格的じゃないのは分かってるけど、鍼灸とは効くものだと言うことをきちんと理解しているし、どう言う患者に鍼灸を薦めるべきか、誰に紹介したら間違いないと言うのも分かっているから(鍼灸ではこれが特に大事)、これでだいぶ診療の役に立つんです。
  • 投稿日時:2024/01/12

    先日発熱外来を受診された方から「聴診はしないのか」という声があったと聞きました。

     

     

    聴診というのは儀式ではないので、必要な時に目的があってやります。ただ当院のようなちっぽけなクリニックでもレントゲンや心電図を普通にその場で撮れるようになっている今、聴診の必要性は限られています。

     

     

    代表的なのは喘息発作でしょう。気管支喘息というのは発作時に聴診してあの典型的な「ピュー」っと言うパイプに空気が通るような音を聞けばそれで診断確定です。その音だけで「喘息発作」と診断します。逆に明らかに喘息発作のはずなのに胸を聴診して何も音が聞こえない時は「無音性喘息」と言ってやばいのです。それはその患者さんがほとんど窒息しそうだと言うことを意味します。

     

     

    内科初診の患者さんは全て聴診をします。これは主に心臓弁膜症を引っ掛けるためにやります。心臓が血液を全身に送るポンプなのはご存知と思いますが、心臓の中にはその血液が逆流しないよう三個の弁がついています。僧帽弁、三尖弁、大動脈弁です。こうした弁が硬くなったり逆流したりすると聴診で心雑音が聞こえます。弁膜症と言います。だからまず最初の外来で「心雑音はないかな」とみている訳です。胸のどの辺に雑音が強く聞こえるかで、おおよそどの弁に問題があるかまで当たりがつけられます。昔はもっと詳細な聴診を行ったようですが、今では心臓エコーというものがありますので、詳細な検査は心臓エコーでやりますから、聴診の役目は「最初に引っ掛ける」だけになっています。

     

     

    肺の慢性疾患で特有の呼吸音がすることがあります。しかしそういうのは今はレントゲンなどの検査がすぐその場でできますから、あまり重要ではないです。

     

     

    訪問診療で往診先、となるともちろん聴診は大事です。往診先にレントゲンはないですから。肺炎の音とか、胸に水が溜まっていないかとか、聴診で探ります。もちろん「怪しい」と思えばすぐクリニックに来てもらうか、容体が悪ければ入院紹介になりますが、「とりあえずこれはまずいぞ」という「医者の感覚」を持つのに聴診は大事。

     

    私が聴診を使うのは、だいたいこんなところです。だから発熱外来の患者さんを聴診するというのは、普通はやりません。発熱外来だけども息が苦しいと言われると、血液中の酸素濃度がその場で測れますから、それが下がっていれば患者さん本人に特別なマスクをつけてもらってレントゲン、という方が優先になります。そういうことは別ですが、一般に発熱外来で聴診する意味はないので、やりません。38度の熱が出てふうふう言っている人に弁膜症があるかないかみても、患者さんから「今日はそっちじゃない」と怒られてしまいます。

  • 投稿日時:2023/12/22

    当院心療内科には、人生で躓いた若い人がよくきます。この人もその一人。

     

    数日前、ある若者が外来に受診した。その人は大学は出たものの、長患いをしてしまい、就職が2年ほど遅れたそうだ。しかしようやく病も癒えたので、仕事を探した。その人は工学系の学部を出た人だったから、原発の仕事なら自分の知識を活かせるかもしれないと思い、女川原発の関連企業に就職したそうだ。ところが原発の現場はその人が思い描いていたものとは全く違った。彼に割り当てられたのは、来る日も来る日もドラム缶を手作業で移動させる作業だった。原発にあるドラム缶の中身は、「知らぬが仏」というところだろう。

     

     

    それで彼はすっかり体調を崩してしまい、仕事に行こうとすると動悸、吐き気、息苦しさが出るようになり当院を受診したというわけだ。

     

     

    症状は要するに「心因反応」と呼ばれるもので、動悸がするから心電図を取るとか、そういうものではない。だがさて、この人になんと言おうかとしばらく考えた。その結果、私はこう言った。

     

     

    さて、これから君に三つのことをいう。よく聞きなさいよ。

     

     

    1。女川原発の現場というのは、人を人と思わぬところだ。原発の現場労働者は人間とみなされていない。単なる使い捨てのネジだ。当院にそういう原発の下請け労働者が健診にくるが、ああいうところの健診というのはなんと労働者の自腹だ。会社が金を出すのではない。そして検診で何か引っ掛かると、本人から必ず「それは書かないでくれ」と言われる。高血圧だろうが糖尿病だろうが、何か書かれてしまうと即クビになるからだ。つまりあそこの検診は労働者の健康を守るためではなく、「不良品」を弾くためにやるんだ。もちろん東北電力の正社員様は別扱いだがね。

     

    2。君はせっかく大学を出たんだから、2年ほどのブランクがあるとはいえ、普通にまともな仕事に就きなさい。まともな職場というのは、人を人として扱う職場のことだ。女川原発がそうでないことは自分でわかっただろうが、まともでない職場というのは他にもいくらでもある。つまり人をネジだと思う職場だ。君はそうでない仕事をさがしなさい。

     

     

    3。しかしながら、最後に言っておくが、どんな仕事でも(ここで口調をガラリと変えて)「楽な仕事なんざあ、ありゃあしねえよ」。仕事はなんであれ辛いものだ。特に下積みの間は辛抱するしかない。下積みの間にどれだけ苦労するかで、君の社会人としての一生が決まる。

     

     

    と言って若者の顔を見た。そうしたら鬱々として入ってきた若者はパッと晴れたような顔をして、「よくわかりました」と言って席を立った。ついてきた親が(なんで20代に親がついてくるのか知らないが)「あの、お薬は?」というのを素知らぬ顔で、患者本人に「君の人生を切り開く薬なんてものはない。君が人生で頼りにするのは親でも薬でもない。君自身だ」と言ってのけた。若者はすっかり納得したようでさっさと診察室を出ていったから、親は今ひとつ納得いかないような顔だったが渋々出ていった。お説教代として「通院精神療法・初診」はいただいておいた。

  • 投稿日時:2023/12/13

    機能性ディスペプシアで胃が痛む人。他院でタケキャブ出されても当たり前だが改善しない。半夏瀉心湯と黄連湯を合わせてしばらく飲ませたら「最近は随分調子がよい」という。じゃあタケキャブとか私が出している漢方とか、時々飲み忘れたり半分にしてみて良いですよ、と言った。それで様子を見てくださいと。


    ふと患者さんが、ところでこの漢方薬はどういう効果があるんですか、と訊いてきた。


    ふっふっふ、痛いところを突いてくれるじゃないか、と私は診察室にあったツムラの手帳を取り出した。


    実はこの二つはほとんど似た薬なんだ。ここに半夏瀉心湯に含まれる生薬が載っている。半夏ってのは気を巡らせる生薬だ。漢方というか、中国伝統医学では、体内を三つのものが巡ると考える。気、血、津液だ。血というのはざっくり血液と思って良い。津液もまあまあ体液と思って良い。血液、体液は体内を巡るというのは当然だよね、だけど血液も津液も物体だから、それが勝手にぐるぐる巡るわけじゃ無い。巡らせるエネルギーが必要だ。それが気なんです。気も体内を巡る。ところが時々その巡りが乱れたり滞ってしまうことがある。そうすると気持ちが鬱々としたりするんだが、それを気の滞り、気滞という。気滞をきちんと巡らせる治療法が理気で半夏は代表的な理気薬だ。


    黄連と黄芩はイライラカッカを静めると共に炎症を抑える。あとの乾姜、甘草、大棗、人参は胃薬だ。だからこれは胃薬を主体にしながら気を巡らせ、ストレスによるイライラを静める薬になっている。


    ところがこっちは黄連湯の中身だ。パッと見れば分かるように、半夏瀉心湯と似ているでしょう?半夏が入っている、黄連も入っている、胃薬の乾姜、甘草、大棗、人参も入っている。桂皮はこれも理気薬で気を巡らせる。


    つまりこの二つはだいたい同じだ。だけどエキスの漢方薬は力が弱いから本当は倍量で出したい。でもそうすると保険が通らないから、ほぼほぼ同じな二つの処方を同時に出して倍量出したのと同じことにしたんです。


    患者さん、なるほどと頷く。「ちなみにどこかで漢方を出す医者がいたら、この薬にはどんな生薬が入っているんですかと訊いてご覧なさい」と言ったら患者さん、「なるほど」と言わんばかりにやりと笑った。


    フローチャート漢方とかで漢方処方する医者はこう言う患者に何をどう説明するのか、私は知らんけど。

  • 投稿日時:2023/12/13

    職場の人間関係で鬱になり、仕事を辞めた患者さん、状態もよくなってきたのでそろそろ職探しを始めている。しかし次の仕事でもきっと誰かと上手く行かないのではと不安だという。


    それはそうです。私もあちこちで働きましたが、どうも立ち回りが下手でねえ、いつも衝突してしまうんですな、特に偉い人と。と私も半ば溜息を漏らしながら応えた。


    そうですよねえ、と患者さん。


    ところがね、こんな話があるんですよ、と私。四苦八苦って言うでしょう、四苦ってのは生老病死だ。しかし八苦というのは、もう四つ苦しみがあるから八苦なんです。それが何かって言うと、「いやな奴ほど付き合う羽目になる」ってのと、「この人とは別れたくない」と思う人ほど引き裂かれてしまうものだ、と言うんだね。もう二つは今日は置いておく。


    これ、一応仏教では有名なんだけど、仏典でこう言うってことは、お釈迦さんにだって内心いやな奴がいたってことですよ。こいつ面白くねえ、と腹で思いながら内心取り澄まして悟った顔をしてたって事じゃ無いですか。ね、あなたが悩んでる事って、お釈迦さんだって悩みの種だったわけさ。


    そう言ったらその人一瞬あっけにとられたような顔をしたがふっと緊張がほぐれたように笑い出した。なるほど、そうですねえ、なるほどなるほど、と頷いている。それまでなんとなく不安が晴れないような顔をしていた患者さんの表情が一気に穏やかになった。


    そこで、「今の仏教はね、お寺に行くと仏像があって拝むんだが、お釈迦さんはそんなことは言ってない。あの人は自分の像なんか造るな、と言ったんだ」と教えた。患者さんはびっくりしたようだ。


    お釈迦さんが本当に言ったことは、仏像を拝めば救われるなんて事じゃ無い。まずこの世界の成り立ち、法則、自分を取り巻く状況を冷静に見抜けというんだ。そうして、見抜いたらあとは自分を信じて行動しろって言った。結局あなたの頼りにすべきは正確に状況を見抜くことと、自分を信じることだ。こんな安定剤だ漢方だが頼りになるわけじゃ無い。そうだろ?」


    医者としてはかなり乱暴な理屈だが、患者さんニコニコとして頷く。はい、今日の説教はお終い。お布施は千バーツね。よいお年を。


    四苦八苦が本当にブッダの言葉かどうかは実は怪しい。だが私は対機説法をしたわけだ。患者を安心させるために悪い冗談の種にされたぐらいで、お釈迦さんが怒るわけでも無いだろう。

  • 投稿日時:2023/12/09
    私が片言英語を話せることが伝わっているらしく、当院には時々外国人の患者さんが見えます。

    ある時、電子カルテで患者名を見たら明らかにロシア系の方でした。お名前は忘れましたが、私は待合室に出て「マダーム、パジャールスタ」と呼びました。パジャールスタはプリーズです。どうぞ、というぐらいの意味で使います。


    そうしたらその女性は転がり込むように診察室に入ってきて「今、ロシア人と思われたくありません」と言ったのです。その方は日本語が堪能で、私のロシア語は拙かったので診察は日本語でやりました。診察が終わったあとザボーチッツァ、お大事にとは言いましたが。


    海外に暮らして、故国を恥じなくてはならない人がいます。大変辛い思いをされていると思います。しかしあゆみ野クリニックの標語の第一は

    「私の前に現れる人は、皆患者である」


    です。何人だろうが、肌が黒かろうが白かろうが、ヤクザだろうが、病んで当院にくる人は皆患者です。まあその、中には睡眠薬の売人だったという人がいて、そういう人は出入り禁止にしましたが・・・。
     
  • 投稿日時:2023/11/30
    先日当院物忘れ外来に来られた80代女性。


    まあ物忘れ外来に来るほとんどの方は、本人の意思で来るわけではないです。この方も、娘さんがどうも最近母がおかしいと言って連れてこられました。

    外来での受け答えはなんとなく辻褄があっていましたが、MMSE と言う認知症スクリーニングテストをしたら認知症レベルです。しかし私はその検査結果を見て首を傾げました。変だな、これはアルツハイマーパターンじゃない、と言って幻視がないからレビー小体型らしくもない。なんだろう?

    その答えは採血結果でわかりました。亜鉛とビタミンB12が著しく欠乏していたのです。一般にビタミンと言うとすぐ野菜や果物を思い浮かべませんか?その人は野菜中心の食生活でした。しかしビタミンB12食品、亜鉛食品でググってご覧なさい。肉、魚、卵、乳製品などが並びます。その人は田舎のおばあさんで、肉は苦手、魚は内陸でたまにしか食べない。そうすると、亜鉛やビタミンB12は欠乏するのです。ちなみに海藻が出て来ますが、残念ながら海藻は確かに亜鉛をたくさん含みますが、人間の腸は海藻をほとんど消化できません。あれは食物繊維として便秘には良いが、栄養源にはならないのです。

    結局その方には亜鉛を含む胃薬プロマックを出しつつ、その方がお好きな卵や乳製品を積極的に食べていただいて二ヶ月したら物忘れは治りました。亜鉛が多い食品は牡蠣ですが、さすがに牡蠣毎日食べるのはちょっと大変だと言うのでたまたま亜鉛が含まれる胃薬プロマックで代用したのです。

    伝統的日本食は体に良い、ビタミンは野菜や果物と思い込むのは間違いです。肉、魚、乳製品も大事なんです。きちんと採血しなければ、この人に認知症と診断してアリセプトか何かを出すところでした。高齢者医療はプロの仕事です。普通の内科はこう言うこと知らないですから。
  • 投稿日時:2023/11/21
    あゆみ野クリニックには心療内科があります。これは癌で急逝された先代院長の長純一先生がやっていたのを、「止めないでくれ」と言われ正直あまり乗り気がしないままに引き継ぎました。


    心療内科というのは変わった科です。医療の一分野ではありますが、「医学」つまり体系的な学問になるのかというと、なりません。長年漢方などという得体の知れないものを学問にする、エビデンスを作るとやってきた私が、「こいつはどうも、まったくEBMには乗らない」と諦めたものが心療内科です。


    心療内科ってのは、要するに人生の苦労を扱う科です。精神科とは違います。精神科は内因性うつ病、統合失調症という、ある程度均質化が可能な対象を持っています。内因性うつ病や統合失調症も、当然外界の影響を受けますが、本質的に内因性であって、だからこそある程度均質化が可能です。「内因性うつ病とはこれこれという症状を持つ人々だ」とくくれるのです。


    しかし心療内科が「人生の苦労」を扱う限り、それは均質化出来ません。均質化出来ないから、学問になりません。現代の医学はEvidence Based Medicine (EBM)と言うのが主流ですが、これは元々臨床疫学に端を発しており、ある程度均質化が可能な集団に対して統計的最適解を出すというのが原理だからです。


    人生の苦労というのは均質化出来ないと言ったのはトルストイです。アンナ・カレーニナの冒頭、有名な一行。
    「幸福な家庭は全てお互いに似通っているが、不幸な家庭はどこもその趣が異なっている」。
    これが全て。

    人間の不幸、特に人生の不幸は均てん化出来ない。その人の不幸はその人だけのものです。人それぞれ、不幸は違います。だから人生の不幸を扱う心療内科はEBMにのらず、サイエンスになりません。医学というものは、あるいは医学というサイエンスは、均てん化し、統計的に処理するのが基本原理ですが、「人生の苦労」は均てん化出来ません。心療内科をEBMでやろうとしたら失敗するだけです。


    もちろん、まったく馬鹿らしいレベルのことならEBMに乗せることは出来ます。例えば「頭痛、めまい、吐き気、腹痛、下痢、不眠はメンタルだ」という命題であれば、そういう症状を持つ集団を対象にして、どれほどメンタル素因が強いかデータ化するのは可能です。でもそれは「今朝起きたらゾクッと寒気がして、頭痛がして熱が37度ある」という集団を集めてその診断が風邪である確率を計算するのと同じぐらい無意味です。そんなことはなにも2年掛けて臨床研究しなくても、半年臨床をやれば分かります。半年臨床やれば分かることを2年掛けて研究しなくて良い。そうすると、心療内科にはEBMに乗せるべき内容が無いわけです。


    私は今心療内科をやっています。しかし私の心療内科は完全な自己流です。しかし「では自己流で無い心療内科というものはそもそもあるのか」と言われたら、私は「ない」と思います。もしマニュアルや教科書に従って心療内科をやったら、それは患者の症状の数だけ薬を積み上げるだけになるでしょう。西洋薬だろうが漢方薬だろうと同じです。心療内科が扱うのが人生の苦労と重荷である以上、心療内科医はそれを受け止められるだけの人生を経ていなければなりません。人生順風満帆、皆から愛されて幸福な家庭を築きましたという人は、多分一生掛かっても心療内科は出来ません。100冊教科書を読んでも無駄です。人生の教科書ってないですから。そりゃもちろん、「人生こうしたら成功する」類の本は無数に売られていますが、中身は全部馬鹿馬鹿しいだけです。


    医学に数あれど、どうやら心療内科だけは何処をどうやってもサイエンスにならないようです。

PAGE TOP