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  • 投稿日時:2024/12/17
    これから、非常に大事なことを言います。よく聴いて下さい。よくよく読んで下さい。


    全ての医者にとって、その患者がどんな持病があり、どんな薬を飲んでいるかは極めて重要な情報です。しかし多くの患者はそれを理解していません。


    「ご病気はありますか?」
    「特にありません」
    「ではいつも飲んでいる薬は?」
    「血圧と糖尿ぐらいです」。


    ・・・。


    「じゃあお薬手帳は?」
    「あ、ウチにおいてきました」
    「じゃあ飲んでいる薬は分からないんですね?」
    「えーと、赤い玉っこと青い玉っこと・・・」。


    お手上げです。


    結局私はその人が薬をもらっている医療機関や調剤薬局に電話して、その人に出されている薬を訊かなければならなくなります。先方はそういう問い合わせについては医者しか信用しないので、スタッフに任せることが出来ません。だからそれだけでものすごく診療時間が延びてしまいます。


    良いですか、よく聴きなさいよ、皆心して聴いて下さい。


    薬の色で医者はその薬が何か判断出来ません。


    くり返します。


    薬の色で医者はその薬が何か判断出来ません。


    一番良いのは、お薬手帳を持参することです。お薬手帳は一冊に纏めてください。あっちこっちの医療機関に掛かり、あっちこっちの薬局から薬が出されていても、1つの「お薬手帳」にその情報が纏められていれば、医者はそれを見れば一目でその人の服薬状況が分かります。それが最善です。


    無論今ではその情報を電子化してスマホに入れていますという人もいます。それはもちろんそれで結構です。


    ともかく、何か具合が悪くなり、いつもとは別の医療機関に受診したとき、その人がどんな既往症があってどんな薬を飲んでいるかという情報は断じて必要です。いやなにの薬を飲んでいるか、他人に明かしたくないという人は勝手ですが、医者を相手にそれをやると、あなたは必ず損をします。だから服薬状況は必ず受診の災異者に明かしてください。しかし「赤い錠剤、青い錠剤」と言われて胃も医者は困るんです。


    漢方薬も「赤い奴、黄色い奴」と言われても、あれって要するにエキス漢方の番号の一の位の数字を表しているだけですから、色を言われても分かりません。一桁の数字が1なら、1番葛根湯も11番柴胡桂枝乾姜湯も21番小半夏加茯苓湯も全部ラベルは青です。あれは生産流通の過程で間違えを減らすために色分けしているだけであり、色で薬は分かりません。


    だから、西洋薬でも漢方薬でも赤いの青いのは駄目です。きちんとお薬手帳を持参すること!!






     
  • 投稿日時:2024/12/15

    相方が、自分で創った鰤大根を食い終わったら何やら胃がもたれるそうです。当家の薬箱をひっくり返しましたが、そういう時にいつも使っている平胃散が一包しかありません。ツムラ平胃散エキス顆粒(医療用)は胃もたれの時、一回3包飲むとよく効きますが、1包ではちょっと。たまたま四逆散があったので、じゃあこれを一緒に飲んでおけ、と言いました。

    胃がもたれたとき平胃散がよいかガナトンがよいかパンシロンがよいか。

    なんだっていいんです。

    平胃散というのは難しい弁証は不要です。要するにこれは消化不良の薬です。自分としてはちょっと食べ過ぎで胃がもたれると感じたとき、一回3包飲んでください。

    こういう薬は、毎日1日3回飲むものではありません。胃もたれの時一回3包。そう言うものです。難しく考える必要はありません。

    漢方薬の中には、難しく専門的に考えなければ本来の効果を発揮出来ない薬と、庶民がパッと「こういう症状」のときに飲んで効く薬があります。平胃散はまさに食べ過ぎで胃もたれがするときの薬であり、それだけです。

    一方、「刺身にあたって下痢嘔吐腹痛」と言うときは平胃散ではありません。これは断固半夏瀉心湯です。物の本には五苓散でも良いとありますが、私の経験上は断固半夏瀉心湯です。こう言う時平胃散なんか、全然効きません。

    平胃散は食べ過ぎて胃もたれがするときの薬。食い物にあたって食あたりの時は半夏瀉心湯と、大量の水分摂取です。なお食あたりで下痢するとき下痢止めは駄目です。絶対禁忌です。そういう時はともかく飲んで下痢、飲んで下痢。要するに腸管を洗い流せば治ります。下痢を止めてしまうと、酷いことになりますよ。

  • 投稿日時:2024/12/12
    Springer(シュプリンガー)と言う世界的な科学書の出版社があり、私はそのSpringerが出版した本の著者の一人です。Dementia with Lewy Bodies(レビー小体型認知症)と言うのがその本です。編者のDr. Prof. Kenji KosakaはそもそもDementia with Lewy Bodies(レビー小体型認知症)という疾患を世界で最初に報告した人です。その人が編者になった本でChapter 17. Traditional Chinese medicine for Treatment of Dementia(第17章・認知症治療に於ける中医学)という章を書いたのが私です。おそらく、Springerから出版された著書の著者である医者というのは、石巻で過去から現在まで、私だけでしょう(未来は分かりませんが)。私はそういう医者の一人として「高齢者医療・もの忘れ外来」をあゆみ野クリニックでやっております。ご自分・ご家族の物忘れがご心配な方は、どうぞ当院に御受診ください(初診は予約制です)。
  • 投稿日時:2024/12/12

    私は東北大の准教授だった頃、度々OSCHE、つまり臨床修練に出る手前で行われる臨床実技試験で医療面接の審査官をやらされました。漢方内科だから医療面接は出来ると思われたのか、漢方医なんかどうせ医療面接ぐらいしか出来ないだろうと思われたのか知りませんが。


    嗤うべきは、「それは大変ですねえ」という場面があることです。実際の臨床では、患者の苦悩にどう向き合うかは、極めて長年の人生修養を要します。単に医学知識を学んだだけで出来るものではありません。その医者自身が人生においてどれだけ辛酸を舐めたかで自然に変わるものです。しかしOSCHEでは「それは大変ですねえ」と言うべきタイミングが決まっており、予習をした学生は必ずそのタイミングで「それは大変ですねえ」と言います。苦笑いを禁じ得ないのですが、試験は試験ですから、「そのタイミングでそれは大変ですねえと言ったかどうか」で採点するのです。極めて馬鹿馬鹿しいんですけど。

  • 投稿日時:2024/12/11
    コレステロール、特に「悪玉コレステロール」と言われるLDL-コレステロールが高いと動脈硬化を起こし、心筋梗塞など動脈硬化によって恐ろしい病気になるから悪玉コレステロールを薬で下げるというのですが。


    実は動脈硬化部位にコレステロールが沈着するのは、動脈の微細な炎症によって動脈が壊れたところをコレステロールが塞いでいるのであって、コレステロールが動脈硬化をおこしているのではありません。確かに、LDLコレステロールは動脈硬化に全く関係しないわけではありませんが、糖尿病、喫煙、高血圧に比べたらコレステロールが動脈硬化をおこす強さは遥かに弱い。一方コレステロールを下げるために一般によく使われる「スタチン類」は割合日常的に「横紋筋融解症」と言って筋肉が壊れるという副作用を起こします。従って、単にコレステロールが高い、悪玉と言われるLDLコレステロールの値が高いと言うだけでコレステロールを下げる薬物療法は当院ではやりません。LDLコレステロールを薬物で下げるとなんらかのメリットがあることが証明されたのは、かつて心筋梗塞などをおこした人々だけであり、そのほか大動脈瘤を持っているとか頸動脈や脳の動脈で明らかな動脈硬化が確認できれば治療を考慮しますが、そういうことが一切なくて「健診でLDLコレステロールが高いと指摘された」というだけなら、薬を使う意味はないです。そもそも、タバコを吸いながらコレステロールの薬を飲むなんて・・・。
  • 投稿日時:2024/12/08
    「あゆみ野クリニック臨床三原則」

    1.極めて患者の状況が切迫していれば、ためらいなくのるかそるか、一か八かを試みる(その時長々としたインフォームドコンセント、所謂同意文書など取っている暇はない)。

    2.Miss under diagnosis(誤った過小診断)を恐れよ、miss over diagnosis(誤った過大診断)を恐れてはならない。少しでも怪しいと思えばすぐ上級病院に送れ。何か重大な疾患を疑って搬送して、上級病院から「異常ありません」と言われたら、それでよい。それを恥じるな。


    3.状況が切迫していなければ、新規薬剤、新規治療法などについては、きちんとした臨床治験データを覧て判断した上で、なおしばらくリアルワールドデータの情報が揃うまで様子を見る。


     
  • 投稿日時:2024/12/03

    自分の生きる意味が分からない、生きる価値が感じられないという患者さんは当院心療内科にたくさんいらっしゃいます。実はさっき、私の弟から「生きる意味なんかない」という主旨のラインが届いたので、私はこう返しました。

     

    ああ、そりゃあお前が「生きる意味」なんてのがどっかにあると勘違いしているんだよ。俺のクリニックにも「生きる意味がないと感じる」って人はよく来る。そういう人に必ず説明するのは、「生物が生きるというのは自然現象ですから、そこにそもそも意味とか価値というものはありません」という事だ。だって俺たちが生きているのも大腸菌が生きているのも、同じだもの。大腸菌は彼らにとっては幸せなことに、多分「自分の生きる意味」なんて考えてないだろう。俺たち人間だって同じさ。


    じゃあ生きる意味ってなんですかと言えば、「そりゃそれぞれが決めるものです」と言うんだ。ある人はお金儲けを自分が生きる意味とか価値とか思えば良いし、ある人は何かを成し遂げたいのであればそれがその人にとっての生きる意味だし、俺にとって今俺が生きる意味は日々の地域の患者さんを毎日診療することだ。およそ命に元々何か意味とか価値とかがあるわけじゃない。それはそれぞれが人間として自分で決める物だ。

     

     

     

  • 投稿日時:2024/12/02

    「小麦は生薬ですか?」というご質問がありました。はい、小麦も米も生薬です。


    甘麦大棗湯(かんばくたいそうとう)という処方がありますが、読んで字のごとく甘草、小麦、大棗だけからなっています。大棗は棗の実です。これは不安から来るパニック発作時に頓服で飲むと著効します。発作が起きた後ではイマイチなのですが、「あ、パニック起きそう!」と言うとき、ツムラの甘麦大棗湯でさえ二包をパッと飲むと気持ちが静まるので、当院心療内科の患者さんには大人気です。


    昔の人はこだわりがあったようで、小麦を水に入れ、水面に浮いたものだけが生薬だと考えました(ほんとかなあ)。だから「浮表麦」といいます。浮表麦の薬効は養心安神・止汗。つまり、不安から来る心の動揺を静め、パニック発作の時の冷や汗を止めるのです。甘草、小麦、棗の実。パニック発作が起きそう!と思ったときこれをパッと飲むと、普通なら起きるはずのパニック発作が起きず、心がすうっと静まっていく。まあ、その生薬構成を話してしまうとどうも効果が薄れるのは事実ですが・・・。

  • 投稿日時:2024/12/01

    さっき北部タイに伝わる麺である「カウソーイ」の話をしました。カーウと言う言葉ですが、タイ語で米はカウないしカーウです。日本語の「米(コメ)」という単語もコで始まります。中国語の「米」は「ミー」という発音ですが、これは「日本米」という時の「マイ」に通じます。しかし粥は「かゆ」と発音します、かゆとカーウは、発音としてはほとんど同じです。つまり日本には中国大陸から何回も、色々な地方の「米」の発音が伝わった、と言うことです。


    さて、ではタイ語の「クイティヤオ」とか「カウソーイ」は?


    クイティヤオの語源は判明しています。中国南部の潮州の言葉「粿條」が訛ったのです。これは「クイティヤオ」と詠み、要するにほとんど同じです。しかしこの粿という漢字に注目してください。「米の果」です。つまりクイティヤオの元である「粿條」は、米の麺と言うことです。そしてクイティヤオはまさに米の麺なのです。


    タイ北部の有名な麺料理「カウソーイ」はビルマから伝わったというのがほぼ定説です。あの地域は数百年者間ビルマの支配下でしたから、食べ物を含め様々なものが伝わりました。その一つがカウソーイで、ビルマ(ミャンマー)では「オノカウソエ」と言うそうです。オノカウソエのオノが取れ、タイ風に発音されたのが「カウソーイ」です。おそらく「カウソーイ」の中の「カーウ」も、元は米(コメ)を意味する言葉であったはずです。


    要するにこの辺の言葉はみんな繋がってるんです。

  • 投稿日時:2024/12/01
    仙台の住宅街の中にある小さなタイ料理屋「カオソイ食堂」で日曜日の昼飯を食った。


    私がメーコーンナーム・マイサイナムケーン(メコンの水割り、氷無し)をちびちびやりながらカウソーイやパックブーンファイデーン、ラープムーなどを食べている間に若い男女が入ってきた。カップルのようだ。その店は食券を券売機で買う仕組みになっている。女がしばらくその券売機を見詰めたあげく、困った顔をしているのを見て(小さな店なのだ)店主が声を掛けた。そうしたらその若い女は「レッドカレーはありませんか?」と訊いた。すると店主は、今日はレッドカレーはありません。今日はプーパッポンカリーですと言った。すると女は男の方を振り向いて、二、三秒無言で会話した後、店主に「すいません、また来ます」と言い、逃げるように店を出ていった。しかし店を出るとき女が「レッドカレーもトムヤムクンもないんだって」という声が、私の耳にははっきりと聞こえた。


    その瞬間私の口から


    「憎っくき馬鹿ども!」という唸りが口を突いて漏れた。


    こういう連中をまさに私は憎む。彼らは馬鹿であるだけで無く、自分が馬鹿な無知であることを恥じない。自分たちの馬鹿や無知が作り上げた狭い狭い世界から一歩も外に出ようとせず、そうした生き方に一切疑問も持たないし、恥ずかしいとも思わない。


    憎い馬鹿ども!


    本当に、こう言う馬鹿どもが年々増えている。特に若い連中に増えている。今海外に飛び出すのは70代だ。10代や20代ではない。


    人生に躓いて不登校とか会社に行けなくなった若者に「休学を要する」「休業を要する」という診断書を書いたとき、私は彼らによく「まあ、せっかくしばらく人生の休みになるのだから、ちょっと海外にでも行っておいで」という。しかし彼らは決まって怖じ気づいて首を振る。


    え、パスポート持ってないし、英語しゃべれないし、海外高いし・・・。


    一万回死んでしまえ、と私は心の底で思っている。お前達のような人間の屑がやたらと増えたから、日本そのものがこのように屑になったのだ。


    お前達は、若者だろう。たしかにお前はパスポートは持ってないだろうし、英語なんかまるっきり話せないだろうし、海外に行けば全ては高い。しかし、お前は若いんだ。いくらでも安宿に潜り込める。身振り手振りで意志は通じる。


    「だって食べ物怖いし」。


    いやお前なんか、世界中ありとあらゆる感染源に当たって死んでしまえ。どうせお前のような奴は、水を飲んだって死ぬんだから。


    しかし若者をこういう馬鹿者にしたのは、大人達、つまり私たちだ。少なくとも私は若者をこんな馬鹿な屑にすることに加担はしなかったが、しかし同世代の大半は加担した。彼らはこう考えた。


    俺たちは馬鹿で無能な屑だ。だから若い連中は、俺たちよりもっと馬鹿な無能な屑にしないといけない。そうでないと、俺たちがやられるから。


    そして見事に奴らは、日本中の若者をこのような馬鹿で無能な屑にすることに成功した。万歳!彼らの遠大な計画は、成功したのだ!


    さあ、祝杯を挙げようではないか!我々を継ぐ世代は、お前達が望んだ通りの馬鹿で無能な屑になった。これで馬鹿で無能な屑のお前達は、自分たちより下の世代を自分よりもさらに馬鹿で無能な屑に出来たから安心だと、おまえたちはそう思っているのだろう。だから祝杯だ!まあお前達が爺婆になったときお前達を救おうとする人間はこの国には誰もいないということは、お前達には言わないでおいてやるから。
     

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