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  • 投稿日時:2023/08/21
    「個の医療のエビデンス???」

    私は今は日本東洋医学会に所属していませんが、今年(2023年)の日本東洋医学会総会の一部が動画でネットに流れていて、それをたまたま見る機会がありました。「湯液VSエキスガチンコ勝負」とかいう(うろ覚えです)企画でしたが、そこに作務衣を着たおじいさんが登壇して、「個の医療のエビデンス」という講演をしたのです。

    西洋医学は集団の医療だ、それに対して漢方は個の医療だ。しかしEBM(根拠に基づく医療)が今や世界の趨勢となっている。漢方が個の医療であるなら、個の医療のエビデンスを構築する必要があるがそれにはどうしたら良いか、という内容の講演でした。

    その動画を視聴して私が感じたことは二つです。


    一つは、日本東洋医学会でEBMが堂々と論じられるようになったんだということ。そしてもう一つは、やっぱりこいつらEBMがそもそもわかってないな、ということでした。ちょっと説明が長くなるので初めに結論を言ってしまうと、「個の医療」とEBMは一切無関係だし、それでいいのです。


    EBMを最初に言い出したのは、カナダ人のGordon Guyatt (ガヤット)や David Sackettという人々です。1992年に提唱しました。しかしGuyattはもともと、「臨床疫学(Clinical Epidemiology)」をやっていました。臨床疫学というのは、臨床医学の諸問題を疫学的手法で解決しようという学問です。しかしこの臨床疫学という手法は、なかなか広まりませんでした。それがGuyattがEBMという名称を提起した途端、世界に広まったのです。

    EBMがあっという間に広まった理由はアメリカとイギリスでは違います。アメリカの事情はかなり特殊なので後で話します。アメリカは医療事情については非常に特殊な国です。医学は進んでいますが、医療は良く言えば独特、悪く言えば先進国の常識が通じない国です。付け足しておくと、日本はただ欧米の猿真似をしただけです、いつものことですが。

    さて、イギリスがEBMに飛びついたと言いました。具体的にいうと、イギリスのNational Health Service(NHS)、つまり国民保健サービスが飛びついたのです。EBMが初めて提唱された翌年の1992年には、NHSがコクラン共同計画を開始しています。またEBMの提唱者の1人Sackettは1995年にNHS R&D Centre for EBM、つまりNHS EBM研究開発所の所長になりました。

    つまり、EBMはそもそも疫学という「集団の医学」を母体にして生まれたということ、そして今でもEBMで最高権威とされるCochraneはイギリスの国民保健サービスが始めたものだということを理解しなければなりません。なぜNHSがEBMに飛びついたか。それは、イギリスが公的医療を医療制度の柱にしていて、「公的資金で運用する公的医療サービスで提供されるべき医療はどのようなものでなければならないか」という問題意識があったからです。国費ないし公的資金を大々的に投入して国民の医療を一定水準担保するのであれば、どんな医療行為でも構わないということにはなりません。少なくともそうした公的医療には何らかの科学的根拠が必要だろう、ということだったのです。ここでも問題とされたのは公的医療サービス、つまり集団の医療なのです。つまり、EBMというのは本来「集団の医療」を母体にしているのです。集団の医療ではもう一つ、その医療は国民全体に保証するコスパが見合うかというのも重要になりますが、それは後に回します。

    日本の国民皆保険制度も基本は同じです。戦前から戦後しばらくまで、日本は自由診療が基本でした。健康保険法というのは大正時代の1922年にできましたが、その後長くこれは一種の施し、何らかの理由(主に貧困)で医療が受けられない人のための救済制度という意味合いが強いものでした。1950年前後になり、戦後の経済混乱やものすごいインフレが続く中、多くの人々が貧困で医療が受けられない。これは流石に何とかしなきゃならんということで1958年に国民健康保険法が制定され、1961年に国民皆保険がスタートしています。


    私が生まれたのが1964年(昭和39年)で、この年に新幹線が走り、東京オリンピックが開かれました。日本はまさに高度経済成長時代を迎えたのです。こういう経済基盤ができて初めて、「国民全体に少なくとも一定程度の医療はあまねく公的に保証しましょう」ということになりました。

    医療用漢方製剤、つまりツムラの葛根湯のようなエキス漢方が最初に保険に収載されたのは1967年ですが、この時は六種類の収載にとどまり、1976年に42処方、現在では148処方が保険給付の対象になっています。

    日本の国民健康保険制度というのも、公的資金を投入して国民全体という集団に一定の医療を提供しましょうということですから、その医療は公的資金で国民全体に提供する価値があるものなのか?ということが問題になります。その中で「医学的根拠がある治療かどうか」が重要になるわけです。基本的にはイギリスのNHSの考え方と同じです。

    つまり、EBMはそもそも疫学者が提唱した概念であり、発展させたのは公的保険を提供する組織だったということです。言い換えると、EBMというのはそもそも集団を対象にした医療における概念なのです。だから「個の医療のエビデンス」と言っている時点で、「EBMわかってない」となるのです。


    さて、アメリカは特殊だと言いました。アメリカの医学界は、イギリスなどとは全く別の理由でEBMに飛びつきました。アメリカでは基本的に医療は個人のものです。公的医療保険などは国民体質として好かれません。そのアメリカでなぜEBMが広まったかというと、それは医療訴訟です。アメリカの医療訴訟の損害賠償額が天文学的な数字になるのはご存知の通りです。それで、訴訟に備えて「いや、この治療は根拠に基づいたものだ」という反論が必要だったのです。昔から行われていたとか、偉い教授がやっていたとかではなく、「科学的根拠がある治療をやったが結果は残念なことになったのだ」と主張する必要がありました。アメリカでEBMが広まった一番大きな理由はそれです。


    そもそも、完全な個の医療なら、EBMは必要ないのです。アップルの創業者スティーブ・ジョブズがガンで死んだ時、標準治療以外のいろいろな治療を自分で選択して受けました。その是非がずいぶん取り沙汰されましたが、あれは完全な「個の医療」です。ジョブズが自分の金で、自分の判断に基づいて選択した治療ですから、医学的エビデンスがあろうとなかろうと、他人がとやかくいう話ではありません。少なくとも一般的アメリカ人の受け止め方はそうでした。アメリカ人は徹底した個人主義で、自分がどんな医療を受けるかは「自分の金で受ける限り」自分の自由だと考えていますので、ジョブズが自分の大金を注ぎ込んでどんな治療を受けようが、それは本人の自由とみなされました。特にジョブズは徹頭徹尾「自分のアイデア、自分の個性」で人生を生き抜いた人ですから、あの最期は彼の人生として首尾一貫していたと思います。


    漢方でも中医学でも、煎じ薬治療というのは完全な個の医療です。その時その時で目の前の患者さんの状態に合わせて薬を調合するのですから、その薬が有効だとしても、それはその時のその人にとって有効なだけだということになります。これまでEBMの歴史やそれが広まった理由をご説明してきましたが、それを元に考えればこういう治療にEBMでいう「エビデンス」はそもそも無関係であることがわかるでしょう。もちろん治療するわけですから、何か「その治療をする理由」は必要です。しかしそれはEBMにおけるエビデンスでなくても構わないのです。EBMが基本的に集団の医療の必要性から発展したものである限り、「その時のその人」限りの治療とEBMは全く無関係です。


    エキス漢方薬は違います。エキスの漢方薬は国が法に基づいて行う医療保険の中で使われますから、「エビデンスあるんですか」ということが重要になります。莫大な公費を投じて国民にあまねく保証するに値する根拠がある治療なのですか?が問われるわけです。それと、公費を投じるのですから「コスパはどうなんですか?」ということも問題になるわけです。


    たとえば、自分の仕事を最初に例に挙げて恐縮ですが、認知症のお年寄りが興奮して怒り出す、暴れる、夜になると目が爛々としてどこかに出て行こうとする、介護しようとすると逆に乱暴されていると思い込んで抵抗して暴れるなどといったBPSDという症状、これに抗精神病薬を使うと症状は治りますが「錐体外路症状」と言ってふらつき、転倒、誤嚥性肺炎などが起きます。しかし抑肝散がBPSDを改善させ、かつ錐体外路症状は起こさないというエビデンスができました。そうすれば高齢者の転倒骨折や誤嚥性肺炎を減らせますから本人に取っても良いことだし、転倒骨折で寝たきりになって介護度が上がったり誤嚥性肺炎で入院したりというコストも減りますから、これは集団の医療の中で有用だとなるわけです。

    腹部術前後に大建中湯を飲ませておくと術後のイレウス(腸閉塞)が減るというのもそうです。お腹の手術をすると昔は頻繁にイレウスが起きました。患者さんが苦しむのはもちろん、イレウスの治療のために入院も長引きます。しかし大建中湯は術後イレウスを減らすというしっかりしたエビデンスがあります。それなら腹部の手術の前後に大建中湯を飲ませるという治療は国民皆保険という集団の医療において有益ですね、ということになります。

    つまりEBMでいうエビデンスが必要なのは、本質的には「大集団に公的に保証されるべき医療なのか」という判断のためなのです。元々が疫学から始まっていますから、エビデンスがあるかどうかも疫学的な手法で行われます。それでいいんです。だって目的が「集団的医療に有用かどうか」なんですから。

    というわけで2023年、つまりEBMが提唱されてから30年も経った今「個の医学のエビデンス」を大真面目に論じる日本東洋医学会や、その講演を聞いて「これは非常に重要な指摘だ」と納得する漢方医って、なんなんだかねえ・・・と再びため息をついてしまったのでありました。



     
  • 投稿日時:2023/08/12

    あゆみ野クリニックは訪問診療をしておりますが、24時間対応ではありません。24時間対応を謳って在宅診療すると、一人当たり診療保険点数が月3300点、つまり33000円ぐらいになります。しかし医者一人で24時間365日対応って無理ですよね。それでその時間外対応を請け負うコールセンターと言う会社があります。でも私は使っていません。そう言うコールセンターの対応は、「具合が悪いんですね、では救急車呼んでください」と決まっているからです。石巻で救急車となれば、必ず石巻日赤しかないです。そんなことやったら石巻日赤から「あゆみ野クリニックは何やってるんだ」と言われてしまいます。石巻日赤から見放されたら石巻でクリニックやれません。だから私は33000円もらえるところを11000円にしかならなくても、そう言う話には乗りません。11,000円って高いと思われるでしょうが、訪問診療の対象になるのはほとんど自己負担1割の後期高齢者の方ですから、ご本人のお支払いはひと月一回の訪問で1100円です。ただ交通費(ガソリン代)は別途いただいております。今ガソリン代高いですから。

     

    ちなみに東京なら救急センターはいくらでもありますから、そうやって在宅で33000円と言う商売は成り立つでしょう。多少評判悪くても、どうせなんとかなりますから。でも石巻でそれは無理ですね。

  • 投稿日時:2023/08/09

    最近は、発熱患者のオンパレードです。半分以上はコロナ陽性です。そういう患者さんの1人なのですが。

     

     

    数日前から症状がある。熱は全く出ていない。鼻水、軽い咳、頭痛、そして何より体がだるいと言います。よくあるコロナのように、39度の高熱が出ていればみなさん怠いといいます。そりゃ当たり前でしょう。しかしこの人は数日前から鼻水や軽い咳があるだけで、熱は出ない。市販の風邪薬を飲んだが全く効かず、ひどくだるくなったのでクリニックに来たわけです。

     

     

    体が冷えますか?と聞くと「それほど冷えるわけではないが、風呂上がりとかエアコンが効いてるところでは症状が悪くなる」と言われました。そこで私はこう説明したのです。

     

     

    これはコロナはコロナですが、漢方で言うと直中少陰(ジキチュウショウイン)というパターンです。あなたは何らかの理由で体力が落ちていて、普通なら出るはずの熱が出せないのです。この症状は軽いのではありません。体力が落ち、正常な炎症反応が起こせない状態ですから慎重に養生が必要です。

     

     

    そう説明して麻黄附子細辛湯(マオウブシサイシントウ)と桂枝湯(ケイシトウ)と言う二つの漢方薬をどちらも倍量で出し、「必ず熱湯でよく溶かして飲んでください」といいました。

     

     

    コロナも含め、ウィルス性上気道炎一般に、西洋医学には決まった治療法がありません。最近は総合臨床が流行りです。総合臨床の本には感冒について記載があります。しかしのっけから「感冒、いわゆる風邪」と書いてある本があります。これ、用語からして間違ってます。風邪が本来医学用語です。感冒というのは宋代にできた俗称です。そして「特異的治療法はない」と書いてあります。それはいいのですが、総合診療医ってのはEBM(根拠に基づく医療)が大好きです。それで、「特異的治療法がない」という文章に二つ英論文を根拠として引用している本がありました。私は立ち読みしてたのですが、ここでぷっと吹き出して、あとは本屋に置いてきました。こういう本や医学雑紙の風邪特集は、全部この調子です。冒頭に「特異的治療法はない」と書いて、あとは風邪と紛らわしい別の疾患の鑑別が延々と書かれています。当然こういうものに直中少陰なんか出てこないし、その治療法も出てきません。

     

     

    まあこんな調子ですから、巷の医者は各人各様の摩訶不思議な「風邪診療」を編み出します。ある医者は風邪にアジスロマイシンという抗生物質とプレドニン(ステロイド)を出しますし、ある医者は風邪には抗生物質は必要ないと知っているのか、アセトアミノフェン(カロナール)にイブプロフェンにペレックスを出します。アセトアミノフェンもイブプロフェンも解熱鎮痛剤です。ペレックスは複合感冒薬ですが、実はペレックスにもアセトアミノフェンが入ってます。アジスロマイシンは抗生物質ですが、風邪はウィルス性疾患で細菌感染ではないので、これは全く無駄です。それに風邪にステロイドって、いやそれは流石に頼むからやめてくれ的な・・・。

     

     

    でもこういう珍妙な風邪治療も、一概に責められません。だってどの本を見ても、どの医学雑誌の特集を見ても、「風邪の特異的治療法はない」および「風邪に紛らわしい他の疾患の鑑別」しか書いてないのに、風邪の患者は毎日来るんですから。開業医は患者を前に「風邪に特異的な治療はない。これがエビデンスだ」と言って英論文2本見せても話になりませんから、どうにかしようと「独自の」処方を編み出すわけです。

     

     

    風邪に特異的な治療法はないと言って英論文2本引用したって誰も読まないんですから、それより漢方の直中少陰とか、患者が悪寒する時とほてる時では治療が違うとかいう話をしてくれた方が、マシだと思うんですけどねえ・・・。

  • 投稿日時:2023/07/29
    2型糖尿病のコントロールが悪い人って、ストレスを受け流す能力が高い人とも言える。なんかまずいことや都合が悪いことが起きても「まあ大丈夫」とさらりと流す。だから心療内科やメンタルクリニックには縁がない。ただ糖尿病に関してはこの性格が完全に裏目に出て「まあ大丈夫」と言って薬も忘れ、食べたいだけ食べ(これも彼らがストレスを受け流す術の一つ)、久しぶりに受診すると「残った薬飲んでました」と平然という。薬が残っていたということはろくに飲んでなかったということだが、それを指摘しても「えへへ」と笑って流す。

    まあこういう人生もいいんだと思う。太く短く、65過ぎたら心筋梗塞や脳卒中で寝たきり。こういう人は生まれつきこういう性格だと思ってるから、私は「そうですかー。じゃまた同じ薬出しときますねー」とにこやかに笑って帰す。内心は諦めてるんですけど。こういう人糖尿病教室とか指導とかやっても無理。性格は治りません。

    何かに適応しやすいことは別の何かには都合が悪いって、人生よくあるものだ。
  • 投稿日時:2023/07/24
    これは、悲しい物語です。しかし石巻市民にとって、目を逸らしてはいけない事実です。

    私は7年前に雄勝の診療所長を7か月やりました。あのときの経験は、今に到るまで私の人生で前代未聞でした。

    雄勝は現在の石巻市に含まれる範囲ではもっとも甚大な震災被害を受けました。旧市街地は港を囲む海沿いにあったので、津波で完全に破壊されたのです。全て、何も無くなりました。辛うじて生き残ったのはリアス式海岸の山の上に点在する集落だけです。かつての雄勝は古いとは言え三階建て鉄筋コンクリートの公立病院があり、そこにはCTもあり、街には開業医もいたし薬局もあったしスーパーもコンビニもありました。要するに普通の田舎町だったのです。人口は4千人でした。 それは震災で一挙に消滅しました。何処が被害を受けたと言うより、街がそっくり消滅したのです。

    それで、雄勝をどうしようかという話になったのです。石巻市の上層部は「さすがにあそこは無理だろう」と考えたようです。しかし当時の民主党政権は、復興は地元住民の意向に従うという原則を打ち出しました。そこで地元住民が話し合って作った復興案というのが、絶句するほか無いものだったのです。

    基本コンセプトが「4千人の街を取り戻す」でした。しかも、もともとの街があった海辺の平地にまた街を作っても流されるだけですから、巨大な防波堤を作り、流されて更地になった元の中心街全体を高さ15メートルの高台にし、その高台に作られるであろう未来の街の中心街と周辺の山々に点在する集落とは高架道路で結ぶというのです。

    凄まじい巨大工事が始まりました。金は湯水のように降ってきます。私が赴任したのは7年前ですので震災から4,5年経った頃でしたが、全域が大工事現場でした。高架道路というのは概ね出来上がっていました。雄勝に首都高みたいな高架道路が作られたのです。高台はやっと赤土を盛り上げたばかりで、ブルドーザーが走り回っていました。消滅した公立病院の代わりに、小高い丘に市立の診療所と幼稚園が建設中でした。元々鉄筋コンクリート造りで大きな体育館も付いた小中学校が2つあったのですが、それを2つとも無くして新しく小中学校を作っていました。驚くことに、診療所も幼稚園も小中学校も、全て総檜造りです。今の時代、総檜造りって1つ一億ぐらいでは到底出来ないですよ。でもともかく金だけはいくらでも降ってきたので、全部超豪華に作ったのです。

    しかしこれは完全に裏目に出ました。これだけの巨大事業を一気にやった。一向に工事は捗りません。5年経ってもみんな戻るところが無いのです。スーパーどころかコンビニ一軒すら無い。周り中工事現場でブルドーザーやダンプが行き来しているだけの所に、人は戻れません。結局元の住民は蛇田当たりに皆移住してしまったのです。そっちで復興住宅に入ってしまいました。

    私が赴任していた当時で雄勝地区の人口は2千でした。4千から2千に減ったのです。それでも工事は止まりません。政権は民主党から安倍自民党に変わりましたが、巨大土木工事は一切見直されること無く続きました。 新しい診療所の隣の敷地が新しい幼稚園だったので、雄勝総合支所の役人に訊いたことがあります。この幼稚園、何人ぐらい入園するんですか、って。そしたら4人だって言うんです。二千人がどうにか残っていた当時、利用予定者が4人。

    4人と言えば、その頃診療所に来る患者数が一日平均4人でした。朝巡回バスに乗ってくるお年寄り達です。その人達車の運転が出来ないので、巡回バスが戻ってくる昼過ぎまで診療所でおしゃべりしてます。他にはまず来ないのです。

    漁業はどうなったか。漁業は続けられたのです。港はいの一番に修復されました。ところが漁民は皆、石巻の新興開発地である蛇田辺りから通勤してくるんです。雄勝は何年も何年も住める状況では無いので、その間にみんな蛇田とか、今私がクリニックを構えているあゆみ野などの復興住宅に移ったんです。それで、毎朝そこから雄勝の港に通勤するんです。当時私も蛇田のアパートから雄勝の診療所に通いましたが、北上川の堤防沿いの道を走ると、朝は石巻市内から雄勝に行く車がかなり混むんです。逆じゃ無いんです。雄勝には人が住んでないので、雄勝から石巻に通勤する人はいない。でも石巻から雄勝の港に通勤する人はいるんです。そもそも雄勝総合支所の職員のほとんどが石巻からの通勤でした。辺り一面工事現場で、コンビニもスーパーも無いところに、住めるわけ無いのです。

    市立の診療所は市の健康部という所の管轄なんですが、一度健康部長が診療所の現状を見に来ました。半日居て4人しか患者が来ないのを見て、健康部長が言うわけです。「先生、ここに常勤の医者ってどうなんでしょうね」。私は黙って首を横に振るしか無かったです。そうしたら健康部長が、「そうですよね・・・」と寂しげな笑みを残して帰って行きました。

    それが7年前です。直近の統計では、その当時二千人残っていた雄勝の人口は、さらに千人にまで減ったそうです。あの総檜造りの幼稚園に今園児がいるのかどうか、私は知りません。街の中心街になるはずだった広大な高台は、いま太陽光パネルが敷き詰められています。結局のところ、人は戻ってきませんでした。「人が住み暮らす街」としての雄勝はやがて消滅するでしょう。漁業は残りますが、漁業権を持つ人々は皆蛇田とかあゆみ野から通勤するのです。 雄勝に何兆円税金がつぎ込まれたか分かりませんけど、人がそこに住める街というものは、どれだけ税金をつぎ込んだからって出来るものではないのです。
  • 投稿日時:2023/07/24

    今日は、敢えて石巻にとって暗い話をします。


    石巻市の人口は、平成20年には16万5千人でした。それが直近では13万5千人です。3万人減ったわけです。


    もちろんその間には、あの大震災がありました。しかしそれだけではないようです。石巻市の人口は1985年の18万あまりがピークで、その後減少の一途をたどっています。震災の年、つまり2011年は極端に死亡者が多い。これはもちろん、あの震災で亡くなった人々です。深くお悔やみを申し上げます。


    しかし石巻市全体の人口推移を見ると、グラフ(https://financial-field.com/living/entry-100278)を見れば分かる通り、ピークの1985年から今日まで、その減少スピードはほぼ一定です。震災だけで一気に人口が減ったわけでは無いのです。震災は確かに一時的に減少速度を上げましたが、1985年から現在までの減少グラフの中では、一時的に僅かな下振れを起こしただけです。石巻の人口は、震災とは別の理由で、ずっとほぼ一定の割合で減り続けています。


    もちろん、日本全国の人口が減っているのだからしかたが無い、と言うのはあります。しかし石巻の人口減少率は、全国のそれを遙かに上回ります。


    産業が無いのか。


    石巻は全国でも有数の水産港湾都市です。海沿いに行けば分かりますが、巨大な港湾を取り巻くように、水産加工業の工場が建ち並んでいます。水産業はおそらく水産加工だけで無く、相当の関連産業を抱えているでしょう。この点、石巻は人口減少に悩む他の地域よりは優位なはずです。しかし人口はほぼ一直線に減り続けている。


    石巻市でクリニックをやって丁度1年。私はどうもその一端が見えてきたような気がしています。


    あゆみ野クリニックには心療内科があります。これは、亡くなった前院長長純一先生が標榜し、私が後任として赴任した時「残してほしい」と言われ残したものです。この当院の心療内科の患者さんのうち、実に8割近くが若い労働者です(後の2割は不登校の子供さんです)。職場環境になじめない、苛めを受けている、明らかなパワハラを受けている等々、職場の要因で心を病んでしまった若い労働者が、患者層の8割近くに上るのです。当院は別に労働問題を専門に掲げているわけでは無いので、おそらく石巻で心療内科を掲げると自然に集まる患者さん達なのだろうと思われます。


    患者さんの話を聞くと、パワハラをしているのはちょっと大きな事業所では中間管理職、小規模事業所では経営者本人です。ほぼ全てが地元の中小企業です。大手企業の支店からそう言う患者さんが来ることは、めったにありません。
    地元中小企業が、病んでいるのです。


    患者さんの話を聞くにつれ、もちろん患者さんは被害者だが、彼らにパワハラをする中間管理職や中小企業の経営者が本当は一番病んでいるのではないか、という気がしてきます。つまり目の前に居るのは若い労働者ですが、その後ろに何人もの「病人」がいるのです。


    私も貧乏クリニックを運営する経営者ですからよく分かるのですが、患者さんの訴えを聞く度に、「ああ、この会社、経営者本人がおそらく一番メンタルをやられてるな」という事が想像出来ます。経営はカツカツか火の車。経営者は絶えず資金繰りに追い詰められ、若い社員や中間管理職に当たり散らす。当たり散らされた社員は耐えられなくなって辞めていく。するとさらに人手不足が経営困難に拍車を掛ける。すると経営者はさらにヒステリーを募らせる。


    目に見えるようです。


    今やあゆみ野クリニックはこうした若い労働者の駆け込み寺のようになっていますが、私自身、飛び込んできた若い労働者を一時的に守って立ち直らせた後は、「仙台で職を探しなさい」と言わざるを得ません。仙台にもブラック企業はあるだろうが、ましな会社もあるから、と言うわけです。本当は「石巻にもよい企業はあるはずだから」と言いたいのですが、言えないですね、正直なところ。石巻で再就職しても、結局どこも似たような内情なんだろう、と考えざるを得ません。それほど石巻の労働環境は深刻です。


    地域が疲弊し、その原因か結果か分かりませんが地元中小企業が疲弊する。そのしわ寄せが結局底辺の若い労働者に及び、若い労働者が石巻を出ていく。こういう構図は、間違いなくあります。若い労働者ほど、石巻を去らざるを得ない状況に於かれているのです。


    経営者が追い詰められてヒステリーを起こすのは自己責任とまでは言いませんが、経営者というのは結局事態の責任を一人で負う立場です(私も含めてですが)。若い労働者は一方的な被害者です。しかし彼らには「立ち去る」という最終手段があります。地元中小企業の経営者には、私も含めてその選択肢はありません。だから余計に追い詰められる。それは私もその一人ですから痛いほど分かりますが、だからと言って社員に怒鳴りつけていては事態が更に悪化するばかりです。


    これは自戒を込めて言うのですが、まずは石巻の地元中小企業の経営者がこの構図をしっかりと自覚する必要があります。人手不足が加速する一因は、間違いなく我々地元中小企業の経営者にあるのです。まずこれが自分の会社だけで無く、石巻全体で起きていることなのだという事を認識し、地元中小企業の経営者が一致団結して自らの意識改革と事態の打開に取り組まなくてはなりません。石巻から労働者が逃げ出し、経営者が直面する人手不足を加速させているのは実は経営者自身なのだという事を中小企業の経営者が自覚し、皆でその解決を模索しなければ、いずれ石巻は消滅するかも知れません。


    経営者は孤独です。しかし一人で悩むばかりでは、いずれ自分の会社ばかりか、石巻そのものが壊滅します。みんなで真剣に話し合いませんか。

  • 投稿日時:2023/07/19

    先日あるところで小建中湯や大建中湯に含まれる膠飴(こうい)、つまり飴が話題になっていました。小建中湯も大建中湯も消化器疾患に使う処方です。中薬学の本を見ると、その効能は補気健胃、潤肺止咳と書いてあります。潤肺止咳のほうは、まあ日常的な経験によるものでしょう。のど飴は一般に広く使われているわけで、飴をなめると咳が治まるというのは、対症療法ですが広く知られていることです。


    しかし膠飴の本質はまさに補気だと思います。気を補う。ここでは非常に単純な意味です。吸収しやすいエネルギー補給になるという事です。


    先日糖尿病の話でも書いたように、糖は人間にとって基本的なエネルギーです。しかし自然界で糖が直接手に入るというのはなかなかありません。サトウキビなどが取れるところは別ですが。基本的には穀類を中心とした炭水化物を消化分解吸収して糖にするわけです。しかし小建中湯や大建中湯を使わなければならない時というのは、胃腸、特に腸に問題があってこの消化吸収機能が非常に落ちた状態です。炭水化物を消化吸収出来ないという事は、基本エネルギーである糖が不足することですから、それをどうにか出来なければ死に繋がります。今は別に数日食べられなくたっていくらでも栄養補給の方法はありますから死にはしませんが、でも神経性拒食症などは死にますよ、今でも。


    これらの処方は張仲景(ちょうちゅうけい、チャンチョンジン)が作ったことになっています。張仲景は今となっては半ば伝説的な人物ですが、その伝説では後漢末期に長沙太守であったと言うのです。これが作り話であることは後漢書に張仲景という太守が記録されていないので明らかなのですが、後漢末というと2世紀頃です。この頃は、炭水化物が食べられないという事は、まさに死に直結していたことでしょう。


    そこで編み出されたのが「飴を湯に溶かせば誰でも飲める」という事だったと思います。実に効率的なエネルギー補給です。炭水化物が消化吸収出来なくても、そもそも糖が主成分である飴を湯に溶かしてしまえばエネルギー補給になる。膠飴の意味はそういうことだったと思います。


    膠飴は小麦から作る場合も米から作る場合もあります。それは膠飴の本質的な意味からすれば、どちらでもよいわけです。中国では昔から北方黄河流域は小麦文化圏、南の長江流域は米文化圏です。それぞれ手に入りやすい素材で飴を作ったのでしょう。溶けやすい飴なら何でもよいわけです。


    ところで張仲景が長沙太守であったというのは嘘だと書きましたが、伝説の中で彼の名が長沙に紐付けられているのは面白いと思います。中国伝統医学の歴史に於いては、張仲景が書いたとされる「傷寒論・金匱要略(しょうかんろん・きんきようりゃく」に於いて突然生薬と生薬から作られる方剤の数がどっと増えます。傷寒論には張仲景の文章としてこの本は黄帝内経(こうていだいけい)や難経(なんぎょう)を参考にしたと書いていますが、これらの古典には生薬や湯液(つまり漢方処方)はほとんど出てきません。これらの古典では、治療手段は主に鍼灸です。胎盤薬録(たいばんやくろく)という婦人科の本を参考にしたとありますが、それがどういうものであったか今は分かりません。もちろん最近の研究では、今に残る傷寒論・金匱要略の内容は、大方後漢の頃のものではなく、ずっと後世に書かれたものだというのが通説ですが、それにしてもこれら二冊に於いて格段に生薬学が発展している。その本の伝説的な著者が長沙に紐付けられている。これは多分、意味があるのだろうと思います。


    黄帝内経や難経は、明らかに黄河文化圏の知見を纏めています。中国伝統医学の理論的基礎はこれらの本でほぼ形作られています。確かに傷寒論はその理論的部分は主にこれらの古典を踏襲しています。しかし登場する治療法である湯液、つまり生薬を組み合わせた処方というのは、こうした黄河文化圏の医学古典には出てきません。


    そもそも傷寒論や金匱要略でふんだんに用いられる生薬は、北方原産と南方原産が混じり合っています。小建中湯は芍薬、桂皮、大棗、甘草、生姜に膠飴を加えて作られますが、このうち北方原産というのは芍薬と甘草だけです。桂皮と生姜は明らかに南方が原産。大棗、つまり棗は一説に南ヨーロッパが原産と言われますが、昔の中国でどうして手に入れていたのかはよく分かりません。つまり傷寒論の処方は南北の生薬が合わさって初めて作れるのです。


    実は長沙というのは、昔からこの中国南北、つまり黄河文化圏と長江文化圏の結節点でした。南北の生薬を自由自在に組み合わせる傷寒論や金匱要略の揺籃の地として、ふさわしいのです。くり返しますが今の傷寒論、金匱要略の内容が後漢の末に書かれたと本気で信じている人は、ほとんど居ません。もっと後世に、南北の文化が自由に往来出来るようになってから作られたはずです。そうでなければこのように南北それぞれの生薬を自由に組み合わせるという事は不可能です。そして、南北双方の産物が入り交じる地、それが交易の中心地、長沙だったのです。おそらくこれらの処方群は、長沙付近で作られ始めたのかも知れません。北の医学である黄帝内経や難経を理論的基礎とし、豊富な南北の生薬を自由自在に組み合わせる医学、それが南北両文化の結節点で生まれたと考えるのは、考古学的資料に基づくわけではありませんが、自然な考えだと思います。これらの著作の伝説的作者が長沙の人とされたというのは、まったく意味の無いことでは無いのでしょう。


    飴の話から少し話が飛びすぎました。今回はこの辺で。

  • 投稿日時:2023/07/14

    さっき第二回の糖尿病をアップしたばかりですが、今日は時間に余裕があり、次に余裕があるのはいつになるかまったく分からないので、一気に最終回「コレステロール」に行っちゃいます。

     

     

    いきなりスネイプ教授宜しくすらりと答えます。

     

     

    「健常な日本人に於いて、ただLDLコレステロールが高いと言うだけでそれを下げる臨床的根拠は、不明確である」。

     

     

    そうなんです。コレステロール、しかも悪玉と言われるLDLコレステロールが高いというそれだけの状態の日本人に対し、LDLコレステロールを下げると何かメリットがあるのかというのは、臨床治験でははっきり証明されていません。欧米人は話が別です。欧米人対象の研究はたくさんあり、LDLコレステロールは下げるべきだという結論で一致しています。しかし欧米人と日本人はそもそも心血管病変の発症頻度が違うし、日本人にそのまま応用してよいかどうかは分かりません。

     

     

    例外を述べておきます。過去に心筋梗塞や脳梗塞をやった人。これはLDLコレステロールを下げるべきです。それには臨床的根拠があります。2018年にピタバスタチン(商品名リバロ)を冠動脈疾患、つまり狭心症や心筋梗塞を持つ患者に対して投与した場合どの様な効果を持つかという研究が発表されています。この研究ではリバロ4mgをこうした患者、つまり狭心症や心筋梗塞を起こしたことのある患者に使うと、1mgの少ない量のリバロより心血管病変の再発を減らしたそうです(Isao Taguchiら、Circulation 2018)。しかしこの研究はあくまで既に狭心症や心筋梗塞を起こしたことがある患者だけを対象にしています。高コレステロール血症一般では無いのです。

     

     

    しかも、この研究のデータをもう一度解析し直したという2022年、つまり去年の論文では、LDLコレステロールの中でも分子量の小さい(small dense)LDLコレステロールというものがLDLコレステロール全体の量とは関係なく心血管病変に関係していて、リバロはそういうコレステロールが多い人に於いて(かつ心血管病変を元々もっている人で)再発を減らしたというのです(J Atheroscler Thromb. 2022 )。

     

     

    ちょっと待ってくれと言いたくなります。一般臨床で測れるのはLDLコレステロールまでです。Small dense LDLコレステロール(なんだか舌を噛みそう)なんてものは測れません。そう言うものが高くないと、リバロの効果は明確じゃ無いのか?じゃあ臨床で測っているLDLコレステロール価には意味があるのか?

     

     

    如何にも歯切れが悪い論文であります。まあそれはそうとしても、心血管病変、つまり心筋梗塞や狭心症をやったことがある人にはリバロなどコレステロールを下げる薬は使います。一応データがありますから。しかし、そうではない人までLDLコレステロールを下げるべきかどうか、日本人のデータは無いのです。

     

     

    では結論。高コレステロール血症が生活習慣に関係しようがしまいが、ただLDLコレステロールが高いと言うだけの日本人を治療するメリットは、証明されていません。以上でした。

  • 投稿日時:2023/07/14

    さて、前回高血圧でご好評を戴いた生活習慣病はもう止めようシリーズ第二弾は、糖尿病です。このお話に登場する主要キャラの一つインスリンが何か一言言いたいそうです。

     

     

    インスリン「私を使ってダイエットするのは止めて下さい!私は身体の中で脂肪のもとを作ってるんですから!」

     

     

    だ、そうです。インスリンが言わんとする意味はおいおい明らかになります。

     

     

    さて、糖尿病とは血糖値が上がる病気です。いや正確に言うと、血糖値が下がりにくくなる病気です。人の体内で、血糖値を上げる物質はたくさんあります。成長ホルモン、副腎皮質ホルモン(コルチゾール、アルドステロン)、副腎髄質ホルモン(カテコールアミン)、甲状腺ホルモン、グルカゴン、ソマトスタチン、膵臓から出るグルカゴン等々(別に覚えなくて良いです)。それに対し、血糖値を下げる仕組みは1つしかありません。インスリンが働く系統です。

     

     

    糖というのは言うまでも無く生体に於いて重要なエネルギー源です。身体のエネルギーを貨幣に例えると、手持ちの現金が糖です。日々使います。普通預金はグリコーゲンです。肝臓や筋肉に貯えられます。万一のための定期預金や年金として積み立ててあるのが脂肪です。あれっていざというときのために積み立てているのですが、現代人はどう見ても積み立てすぎですね・・・私含む。ついでに偽金もあります。いよいよエネルギー源が枯渇して餓死寸前となると身体は脂肪酸からケトン体という偽金を作り出し、これでどうにか生き延びようとします。

     

     

    血糖値が下がるというのは危機なのです。全ての細胞がエネルギー供給を断たれ、死の危険にさらされます。だから万が一にもそういうことが起きないよう、血糖値を上げるメカニズムはたくさん用意されています。


    一方下げる仕組みはインスリンだけです。人類の歴史を振り返ると、そもそも糖の原料を食物として得ることは至難の業でした。人類はおよそ500万年前にアフリカで誕生したと言われますが(ざっとね)、その人類が糖の原料として炭水化物を安定的に確保出来る道が拓かれたのは穀類の栽培に成功した時です。これは僅か一万数千年前です。チグリス・ユーフラテス川流域における小麦の栽培と、長江流域における稲の栽培がこの頃相前後して始まっています。それまで499万年間、人は糖の原料を安定して得ることは不可能だったのです。従って、少しでも血中に糖が余れば、それを肝臓や筋肉に送って貯えさせます。その働きをするのがインスリンです。インスリンによって肝臓や筋肉細胞に送り込まれた糖は先ほど述べたグリコーゲンとなり、それも余っていれば脂肪に作り替えられます。いったんゲットした糖を必要以上使わず溜め込む仕組み、それがインスリンです。冒頭でインスリンが「私は脂肪を作っている」と言ったのはそういうことです。

     

     

    血糖を上げる仕組みはたくさんあって、どれかがダメになっても他が働くのですが、血液から糖を運んで筋肉や肝臓に送るのはインスリンだけですから、インスリンが無かったり活性が下がると代替手段がありません。血糖値は上がり続けます。これが要するに糖尿病です。昔は尿に糖が出て甘くなってからでないと診断出来なかったので「糖尿病」という名前になりましたが、今はもちろん血糖値、そしてその直近一ヶ月の平均値を反映するHbA1c(へもぐろびんえーわんしー)で見ていくことは、中年過ぎた方々はほとんどご存じと思います。

     

     

    膵臓でインスリンを出すベータ細胞そのものが壊されてしまうのが1型糖尿病ですが、これは糖尿病の5%程度です。当然ながら1型は生活習慣とは何の関係もありません。しかし私を含む中年以降の多くの方が悩むのはこれではありません。2型の方です。

     

     

    ここで白状してしまうと、2型糖尿病にはもちろん食事が大きく関わっています。だから生活習慣病で良いだろうと言われれば、確かにそうです。しかし2型糖尿病はそれだけでは説明出来ません。もうちょっと2型糖尿病の話を続けます。

     

     

    2型糖尿病では2つの現象が起こります。1つはインスリンは出ているのだが、肝臓や筋肉でその指令を上手く受け止めることが出来ず、糖がグリコーゲンなどに変換されなくなる現象と、インスリンの分泌そのものが下がって血糖値がコントロール出来なくなる現象です。

     

     

    何度も言ったように血糖値を下げる仕組みはインスリンしかありません。従って絶えず血糖値が高い状態に晒されると、このインスリン系が疲弊してしまうのです。他の手段が無いからですね。いつもいつも血中に糖が入ってくる。インスリンはそれを必死に肝臓や筋肉に運ぶわけですが、あまりそれが続くと、肝臓や筋肉が「もう一杯です。これ以上お受け出来ません」となるのです。なんかコロナで医療崩壊した時の救急病院みたいです。「完全満床です。これ以上病人(糖)を救急車(インスリン)が運んできても、当院は対応出来ません」というわけです。医学用語では「インスリン抵抗性がある状態」です。

     

     

    この時点ではインスリンは何とか血中の糖を処理しようと過剰に分泌されますが、こういう状態が長く続くと今度は膵臓のベータ細胞がインスリンを作る機能が麻痺します。俺、必死に頑張ってインスリン出したけど、誰も助けてくれねえし、もう限界だ、となるわけです。

     

     

    最初の筋肉や肝臓がインスリンの指令を受けられ無くなった状態、つまりインスリン抵抗性に作用するのが飲み薬の糖尿病治療薬です。一番代表的なものはメトホルミンです。他にも色々ありますが。一方膵臓のベータ細胞がインスリンを作れなくなってしまうとしかたが無いからインスリンを注射します、と言うことになります。

     

     

    さて。ここまで読んできて、「どうして糖尿病は生活習慣病という事に異を唱えるのか?」と疑問に思われるでしょう。それは、2型糖尿病は遺伝するからです。2型糖尿病は食習慣も確かに関わりますが、その発症は遺伝が大きく関与します。両親ともに糖尿病であれば、その子供は40~50%の確率で糖尿病になります。私は糖尿病ですが、父も糖尿病でした。

     

     

    正確に言うと、遺伝するのは「糖尿病になりやすい体質」です。すなわち高い血糖値が続くことに対して、先ほど述べたインスリン抵抗性やインスリン分泌の枯渇が起きやすい体質が遺伝します。同じ生活習慣でも、糖尿病になる人とならない人がいるのはこのためです。もちろん、糖尿病として発症するためにはそこに環境負荷、つまりエネルギー摂取過剰が加わって発症するので、もちろん生活習慣、特に食習慣が影響するのですが、元々発症しやすい遺伝形質を持つ人とそうでない人がいるのだ、と言うのはあまり知られていません。だから敢えて異を唱えているのです。ちなみに膵臓のベータ細胞が自己免疫によって壊されてしまう1型は一見遺伝しそうで遺伝しません。遺伝しないと言ってもある種の遺伝子異常が関係はしているのですが、遺伝するかしないかで言えば2型糖尿病になりやすい体質の方がずっと遺伝傾向は顕著なのです。

     

     

    どうしてこういう体質が遺伝して残っているのでしょうか。答えはおそらく人類史にあると思います。人類誕生以来500万年、そのうち少なくも499万年間は、人類は常に飢餓すれすれの状態にあったのです。いくらインスリンという血糖値を下げ肝臓や筋肉に貯える仕組みがあると言っても、それが実際に必要となることはほとんど無かったでしょう。むしろ血糖の原料となる炭水化物を得るのが非常に困難な状態が続いたわけです。穀物の栽培が可能になった後でも、世界中の人類がそれでたらふく食えるようになったわけでは無い事はご存じの通りです。今だって栄養失調や餓死が日常的な地域は少なくありません。だからインスリン系統が充分に働かない体質というのは、それほど生存に困難は来さなかったのです。人類史500万年の中ではほんの一瞬に過ぎない「飽食の時代」になって初めて、それが「不都合な体質」となったのです。

     

     

    糖尿病についてはこんな所です。生活習慣とは一切関係が無い1型が5%あるということ、95%を占める2型は生活習慣と遺伝する体質が相まって発症するものだという事をご理解戴ければ幸いです。

     

     

    最終回の次回はコレステロールです。大どんでん返しがおきます。

     

     

     

     

  • 投稿日時:2023/07/12

    生活習慣病という言葉は聞いたことがありますよね。なんとなく「生活習慣によって引き起こされる、色々将来に悪いことが起きる病気」というイメージでしょう。それでだいたい当たっています。


    三大生活習慣病は、高血圧、糖尿病、高脂血症(高コレステロール血症)です。ぶっちゃけ簡単に言ってしまうと、この三つはどれも「動脈硬化に繋がる」という共通の性質を持っています。動脈が硬くなると脆くなって破れやすくなり、また血管の壁が厚くなる一方血管は狭くなり、血管の壁はでこぼこしてきますので血液が渦を巻いて血栓、つまり血の塊が出来たりします。そうすると血管が詰まったり血栓が脳の血管を塞いだりします。つまり脳卒中や心筋梗塞などが増えるというわけです。だからこの三つを治療しましょうという話になっています。


    昔はこういうのは「成人病」と言われていました。40代頃から歳と共に増えてきますのでそう言われたのです。それを「生活習慣病」と言い換えたのは日野原重明と言う人です。日野原さんは晩年聖人君子のように祭り上げられ、特に看護業界では伝説の人になっていますのであの人の悪口を書くと看護師が怒るのですが、実はいろいろ裏表がある人です。ってか裏表がない人なんていないか。


    それで彼は成人病と言われているものは実は生活習慣が深く関係していて、生活習慣を改めれば減るのだという考え方の元に「生活習慣病」という言い方を広め、それに厚労省が飛びついて「生活習慣病」が定着したのですが・・・。
    実はあんまりそうでもないのです。この「常識」は最近の内科学ではどんどん覆されています。


    まず高血圧。塩分を控えましょうと言います。塩分を取り過ぎると血圧が上がるのは大昔から分かっており、事実です。しかし食事中の塩分がめっちゃくちゃ高く、超しょっぱいものを食っていてそれで脳卒中が多かったというのは、かなり昔の日本の話です。高血圧になる人の約9割は「本態性高血圧」です。「本態性」というのは「なんだか原因がよく分からない」というのを医者が偉そうに言い換える言葉です。本態性高血圧の原因は、まさに「よく分からない」のです。よく分からないのですが、ともかく歳を取るとともに増えるのは事実です。高血圧と一番相関するものは「年齢」です。「歳と共に増える」のです。もちろん歳を取っても血圧が上がらない人もいます。上がる人と上がらない人は何が違うかと言っても、正直よく分かっていません。分からないから本態性なのです。


    いくら分からないと言っても、臨床をやっていて目の当たり明らかな要因はあります。ストレスです。ストレス掛かれば血圧上がるのは常識だし、これは本当のことです。そして人生はほとんど全てストレスです。人生からストレスを除くと、残るものは多分極めて少ないでしょう。だから普通に生活して仕事をしている限り、ストレスはかかり続けていますので、血圧は上がっていきます。


    この事実は医者にとっては非常に身近な証明があります。入院患者は血圧が下がるのです。え?入院ってめちゃくちゃストレスじゃ無いの?ある意味ではそうです。しかし別の意味では入院生活はストレスフリーです。というのはですね。


    入院生活というのは、簡単に言うと極めて不自由な生活です。食べられるのは病院食、着るものは病衣で、全て病院から格安で提供されますが、好き勝手にものを食べたり、あれを着たりこれを着たりっていうのは出来ません。全て病院にお任せで、自分が判断することはほとんど無いのが入院生活です。何より、仕事から(一応)切り離されます。まあ最近は皆さんスマホを持って入院していて、そうするとラインやメールで入院中も仕事が追いかけてきますが、少なくとも普通に生活している状態よりは確実に仕事は減ります。そうすると、血圧は下がるのです。


    いやいや、入院患者で血圧が高い人は高血圧食を出されるからだろうって、多分それはあまり関係ありません。老人病院のように長く入院する時は別ですが、一週間とか二週間だけ入院しても血圧は下がります。あれは病院食のせいではないです。「自分でものを決めなくて良い生活」って、ストレスフリーなんです。少なくともほとんどの日本人にとっては。だから高血圧の人が何かで入院すると10や20は平気で血圧が下がります。主治医は慌てて降圧剤を減らさなければならなくなります。しかし退院すると元に戻ります。この現象は、ほぼほぼストレスで説明出来ます。不自由な生活はストレスが減るという事は、つまり自由な生活はストレスが多いってことです。自由ってストレスなんですね・・・。


    ストレスも生活習慣から来るのだから生活習慣病で良いじゃ無いかと言われれば、それは一応もっともです。ですが先ほども書いた通り、人生からストレスをさっ引くと後にはほとんど残るものがありません。生きるってほぼほぼストレスです。血圧が高いからと言って塩分を控えましょうとかやると、それ自体ストレスになります。生きるという事はストレスなんですから、ストレスを無くすというのはまあ、無理です。無理なことをやろうとするとさらにストレスが増えます。
    要するに高血圧の9割は「本態性」で原因がよく分からないけれど、一番関係しているのは年齢で、しかもストレスが絡んでいるのは間違いなく、かつ人生はストレスであるという事になれば、高血圧は生活習慣病である、と言うのはあまり意味が無いです。出家して悟りでも開けば別なのかも知れませんが、私を含めてほとんどの人はそう言う事は無縁ですので、「生活習慣を改めて血圧を下げる」というのは諦めた方が良いです。そんなことを頑張ると、それ自体がストレスを増やすだけです。


    と言うわけで、高血圧は生活習慣を改めれば改善するというのはあまり当てにならない話です。歳と共に血圧が上がって本態性高血圧ですと診断されたら、おとなしく薬飲みましょう。そういう諦めがおそらく一番ストレスを減らしてくれますから。


    本当は高血圧、糖尿病、高コレステロール血症の三つを話したかったのですが、血圧だけで話が長くなりました。後の二つはまた次の機会に。

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