石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
個の医療のエビデンス???
2023/08/21
「個の医療のエビデンス???」
私は今は日本東洋医学会に所属していませんが、今年(2023年)の日本東洋医学会総会の一部が動画でネットに流れていて、それをたまたま見る機会がありました。「湯液VSエキスガチンコ勝負」とかいう(うろ覚えです)企画でしたが、そこに作務衣を着たおじいさんが登壇して、「個の医療のエビデンス」という講演をしたのです。
西洋医学は集団の医療だ、それに対して漢方は個の医療だ。しかしEBM(根拠に基づく医療)が今や世界の趨勢となっている。漢方が個の医療であるなら、個の医療のエビデンスを構築する必要があるがそれにはどうしたら良いか、という内容の講演でした。
その動画を視聴して私が感じたことは二つです。
一つは、日本東洋医学会でEBMが堂々と論じられるようになったんだということ。そしてもう一つは、やっぱりこいつらEBMがそもそもわかってないな、ということでした。ちょっと説明が長くなるので初めに結論を言ってしまうと、「個の医療」とEBMは一切無関係だし、それでいいのです。
EBMを最初に言い出したのは、カナダ人のGordon Guyatt (ガヤット)や David Sackettという人々です。1992年に提唱しました。しかしGuyattはもともと、「臨床疫学(Clinical Epidemiology)」をやっていました。臨床疫学というのは、臨床医学の諸問題を疫学的手法で解決しようという学問です。しかしこの臨床疫学という手法は、なかなか広まりませんでした。それがGuyattがEBMという名称を提起した途端、世界に広まったのです。
EBMがあっという間に広まった理由はアメリカとイギリスでは違います。アメリカの事情はかなり特殊なので後で話します。アメリカは医療事情については非常に特殊な国です。医学は進んでいますが、医療は良く言えば独特、悪く言えば先進国の常識が通じない国です。付け足しておくと、日本はただ欧米の猿真似をしただけです、いつものことですが。
さて、イギリスがEBMに飛びついたと言いました。具体的にいうと、イギリスのNational Health Service(NHS)、つまり国民保健サービスが飛びついたのです。EBMが初めて提唱された翌年の1992年には、NHSがコクラン共同計画を開始しています。またEBMの提唱者の1人Sackettは1995年にNHS R&D Centre for EBM、つまりNHS EBM研究開発所の所長になりました。
つまり、EBMはそもそも疫学という「集団の医学」を母体にして生まれたということ、そして今でもEBMで最高権威とされるCochraneはイギリスの国民保健サービスが始めたものだということを理解しなければなりません。なぜNHSがEBMに飛びついたか。それは、イギリスが公的医療を医療制度の柱にしていて、「公的資金で運用する公的医療サービスで提供されるべき医療はどのようなものでなければならないか」という問題意識があったからです。国費ないし公的資金を大々的に投入して国民の医療を一定水準担保するのであれば、どんな医療行為でも構わないということにはなりません。少なくともそうした公的医療には何らかの科学的根拠が必要だろう、ということだったのです。ここでも問題とされたのは公的医療サービス、つまり集団の医療なのです。つまり、EBMというのは本来「集団の医療」を母体にしているのです。集団の医療ではもう一つ、その医療は国民全体に保証するコスパが見合うかというのも重要になりますが、それは後に回します。
日本の国民皆保険制度も基本は同じです。戦前から戦後しばらくまで、日本は自由診療が基本でした。健康保険法というのは大正時代の1922年にできましたが、その後長くこれは一種の施し、何らかの理由(主に貧困)で医療が受けられない人のための救済制度という意味合いが強いものでした。1950年前後になり、戦後の経済混乱やものすごいインフレが続く中、多くの人々が貧困で医療が受けられない。これは流石に何とかしなきゃならんということで1958年に国民健康保険法が制定され、1961年に国民皆保険がスタートしています。
私が生まれたのが1964年(昭和39年)で、この年に新幹線が走り、東京オリンピックが開かれました。日本はまさに高度経済成長時代を迎えたのです。こういう経済基盤ができて初めて、「国民全体に少なくとも一定程度の医療はあまねく公的に保証しましょう」ということになりました。
医療用漢方製剤、つまりツムラの葛根湯のようなエキス漢方が最初に保険に収載されたのは1967年ですが、この時は六種類の収載にとどまり、1976年に42処方、現在では148処方が保険給付の対象になっています。
日本の国民健康保険制度というのも、公的資金を投入して国民全体という集団に一定の医療を提供しましょうということですから、その医療は公的資金で国民全体に提供する価値があるものなのか?ということが問題になります。その中で「医学的根拠がある治療かどうか」が重要になるわけです。基本的にはイギリスのNHSの考え方と同じです。
つまり、EBMはそもそも疫学者が提唱した概念であり、発展させたのは公的保険を提供する組織だったということです。言い換えると、EBMというのはそもそも集団を対象にした医療における概念なのです。だから「個の医療のエビデンス」と言っている時点で、「EBMわかってない」となるのです。
さて、アメリカは特殊だと言いました。アメリカの医学界は、イギリスなどとは全く別の理由でEBMに飛びつきました。アメリカでは基本的に医療は個人のものです。公的医療保険などは国民体質として好かれません。そのアメリカでなぜEBMが広まったかというと、それは医療訴訟です。アメリカの医療訴訟の損害賠償額が天文学的な数字になるのはご存知の通りです。それで、訴訟に備えて「いや、この治療は根拠に基づいたものだ」という反論が必要だったのです。昔から行われていたとか、偉い教授がやっていたとかではなく、「科学的根拠がある治療をやったが結果は残念なことになったのだ」と主張する必要がありました。アメリカでEBMが広まった一番大きな理由はそれです。
そもそも、完全な個の医療なら、EBMは必要ないのです。アップルの創業者スティーブ・ジョブズがガンで死んだ時、標準治療以外のいろいろな治療を自分で選択して受けました。その是非がずいぶん取り沙汰されましたが、あれは完全な「個の医療」です。ジョブズが自分の金で、自分の判断に基づいて選択した治療ですから、医学的エビデンスがあろうとなかろうと、他人がとやかくいう話ではありません。少なくとも一般的アメリカ人の受け止め方はそうでした。アメリカ人は徹底した個人主義で、自分がどんな医療を受けるかは「自分の金で受ける限り」自分の自由だと考えていますので、ジョブズが自分の大金を注ぎ込んでどんな治療を受けようが、それは本人の自由とみなされました。特にジョブズは徹頭徹尾「自分のアイデア、自分の個性」で人生を生き抜いた人ですから、あの最期は彼の人生として首尾一貫していたと思います。
漢方でも中医学でも、煎じ薬治療というのは完全な個の医療です。その時その時で目の前の患者さんの状態に合わせて薬を調合するのですから、その薬が有効だとしても、それはその時のその人にとって有効なだけだということになります。これまでEBMの歴史やそれが広まった理由をご説明してきましたが、それを元に考えればこういう治療にEBMでいう「エビデンス」はそもそも無関係であることがわかるでしょう。もちろん治療するわけですから、何か「その治療をする理由」は必要です。しかしそれはEBMにおけるエビデンスでなくても構わないのです。EBMが基本的に集団の医療の必要性から発展したものである限り、「その時のその人」限りの治療とEBMは全く無関係です。
エキス漢方薬は違います。エキスの漢方薬は国が法に基づいて行う医療保険の中で使われますから、「エビデンスあるんですか」ということが重要になります。莫大な公費を投じて国民にあまねく保証するに値する根拠がある治療なのですか?が問われるわけです。それと、公費を投じるのですから「コスパはどうなんですか?」ということも問題になるわけです。
たとえば、自分の仕事を最初に例に挙げて恐縮ですが、認知症のお年寄りが興奮して怒り出す、暴れる、夜になると目が爛々としてどこかに出て行こうとする、介護しようとすると逆に乱暴されていると思い込んで抵抗して暴れるなどといったBPSDという症状、これに抗精神病薬を使うと症状は治りますが「錐体外路症状」と言ってふらつき、転倒、誤嚥性肺炎などが起きます。しかし抑肝散がBPSDを改善させ、かつ錐体外路症状は起こさないというエビデンスができました。そうすれば高齢者の転倒骨折や誤嚥性肺炎を減らせますから本人に取っても良いことだし、転倒骨折で寝たきりになって介護度が上がったり誤嚥性肺炎で入院したりというコストも減りますから、これは集団の医療の中で有用だとなるわけです。
腹部術前後に大建中湯を飲ませておくと術後のイレウス(腸閉塞)が減るというのもそうです。お腹の手術をすると昔は頻繁にイレウスが起きました。患者さんが苦しむのはもちろん、イレウスの治療のために入院も長引きます。しかし大建中湯は術後イレウスを減らすというしっかりしたエビデンスがあります。それなら腹部の手術の前後に大建中湯を飲ませるという治療は国民皆保険という集団の医療において有益ですね、ということになります。
つまりEBMでいうエビデンスが必要なのは、本質的には「大集団に公的に保証されるべき医療なのか」という判断のためなのです。元々が疫学から始まっていますから、エビデンスがあるかどうかも疫学的な手法で行われます。それでいいんです。だって目的が「集団的医療に有用かどうか」なんですから。
というわけで2023年、つまりEBMが提唱されてから30年も経った今「個の医学のエビデンス」を大真面目に論じる日本東洋医学会や、その講演を聞いて「これは非常に重要な指摘だ」と納得する漢方医って、なんなんだかねえ・・・と再びため息をついてしまったのでありました。
私は今は日本東洋医学会に所属していませんが、今年(2023年)の日本東洋医学会総会の一部が動画でネットに流れていて、それをたまたま見る機会がありました。「湯液VSエキスガチンコ勝負」とかいう(うろ覚えです)企画でしたが、そこに作務衣を着たおじいさんが登壇して、「個の医療のエビデンス」という講演をしたのです。
西洋医学は集団の医療だ、それに対して漢方は個の医療だ。しかしEBM(根拠に基づく医療)が今や世界の趨勢となっている。漢方が個の医療であるなら、個の医療のエビデンスを構築する必要があるがそれにはどうしたら良いか、という内容の講演でした。
その動画を視聴して私が感じたことは二つです。
一つは、日本東洋医学会でEBMが堂々と論じられるようになったんだということ。そしてもう一つは、やっぱりこいつらEBMがそもそもわかってないな、ということでした。ちょっと説明が長くなるので初めに結論を言ってしまうと、「個の医療」とEBMは一切無関係だし、それでいいのです。
EBMを最初に言い出したのは、カナダ人のGordon Guyatt (ガヤット)や David Sackettという人々です。1992年に提唱しました。しかしGuyattはもともと、「臨床疫学(Clinical Epidemiology)」をやっていました。臨床疫学というのは、臨床医学の諸問題を疫学的手法で解決しようという学問です。しかしこの臨床疫学という手法は、なかなか広まりませんでした。それがGuyattがEBMという名称を提起した途端、世界に広まったのです。
EBMがあっという間に広まった理由はアメリカとイギリスでは違います。アメリカの事情はかなり特殊なので後で話します。アメリカは医療事情については非常に特殊な国です。医学は進んでいますが、医療は良く言えば独特、悪く言えば先進国の常識が通じない国です。付け足しておくと、日本はただ欧米の猿真似をしただけです、いつものことですが。
さて、イギリスがEBMに飛びついたと言いました。具体的にいうと、イギリスのNational Health Service(NHS)、つまり国民保健サービスが飛びついたのです。EBMが初めて提唱された翌年の1992年には、NHSがコクラン共同計画を開始しています。またEBMの提唱者の1人Sackettは1995年にNHS R&D Centre for EBM、つまりNHS EBM研究開発所の所長になりました。
つまり、EBMはそもそも疫学という「集団の医学」を母体にして生まれたということ、そして今でもEBMで最高権威とされるCochraneはイギリスの国民保健サービスが始めたものだということを理解しなければなりません。なぜNHSがEBMに飛びついたか。それは、イギリスが公的医療を医療制度の柱にしていて、「公的資金で運用する公的医療サービスで提供されるべき医療はどのようなものでなければならないか」という問題意識があったからです。国費ないし公的資金を大々的に投入して国民の医療を一定水準担保するのであれば、どんな医療行為でも構わないということにはなりません。少なくともそうした公的医療には何らかの科学的根拠が必要だろう、ということだったのです。ここでも問題とされたのは公的医療サービス、つまり集団の医療なのです。つまり、EBMというのは本来「集団の医療」を母体にしているのです。集団の医療ではもう一つ、その医療は国民全体に保証するコスパが見合うかというのも重要になりますが、それは後に回します。
日本の国民皆保険制度も基本は同じです。戦前から戦後しばらくまで、日本は自由診療が基本でした。健康保険法というのは大正時代の1922年にできましたが、その後長くこれは一種の施し、何らかの理由(主に貧困)で医療が受けられない人のための救済制度という意味合いが強いものでした。1950年前後になり、戦後の経済混乱やものすごいインフレが続く中、多くの人々が貧困で医療が受けられない。これは流石に何とかしなきゃならんということで1958年に国民健康保険法が制定され、1961年に国民皆保険がスタートしています。
私が生まれたのが1964年(昭和39年)で、この年に新幹線が走り、東京オリンピックが開かれました。日本はまさに高度経済成長時代を迎えたのです。こういう経済基盤ができて初めて、「国民全体に少なくとも一定程度の医療はあまねく公的に保証しましょう」ということになりました。
医療用漢方製剤、つまりツムラの葛根湯のようなエキス漢方が最初に保険に収載されたのは1967年ですが、この時は六種類の収載にとどまり、1976年に42処方、現在では148処方が保険給付の対象になっています。
日本の国民健康保険制度というのも、公的資金を投入して国民全体という集団に一定の医療を提供しましょうということですから、その医療は公的資金で国民全体に提供する価値があるものなのか?ということが問題になります。その中で「医学的根拠がある治療かどうか」が重要になるわけです。基本的にはイギリスのNHSの考え方と同じです。
つまり、EBMはそもそも疫学者が提唱した概念であり、発展させたのは公的保険を提供する組織だったということです。言い換えると、EBMというのはそもそも集団を対象にした医療における概念なのです。だから「個の医療のエビデンス」と言っている時点で、「EBMわかってない」となるのです。
さて、アメリカは特殊だと言いました。アメリカの医学界は、イギリスなどとは全く別の理由でEBMに飛びつきました。アメリカでは基本的に医療は個人のものです。公的医療保険などは国民体質として好かれません。そのアメリカでなぜEBMが広まったかというと、それは医療訴訟です。アメリカの医療訴訟の損害賠償額が天文学的な数字になるのはご存知の通りです。それで、訴訟に備えて「いや、この治療は根拠に基づいたものだ」という反論が必要だったのです。昔から行われていたとか、偉い教授がやっていたとかではなく、「科学的根拠がある治療をやったが結果は残念なことになったのだ」と主張する必要がありました。アメリカでEBMが広まった一番大きな理由はそれです。
そもそも、完全な個の医療なら、EBMは必要ないのです。アップルの創業者スティーブ・ジョブズがガンで死んだ時、標準治療以外のいろいろな治療を自分で選択して受けました。その是非がずいぶん取り沙汰されましたが、あれは完全な「個の医療」です。ジョブズが自分の金で、自分の判断に基づいて選択した治療ですから、医学的エビデンスがあろうとなかろうと、他人がとやかくいう話ではありません。少なくとも一般的アメリカ人の受け止め方はそうでした。アメリカ人は徹底した個人主義で、自分がどんな医療を受けるかは「自分の金で受ける限り」自分の自由だと考えていますので、ジョブズが自分の大金を注ぎ込んでどんな治療を受けようが、それは本人の自由とみなされました。特にジョブズは徹頭徹尾「自分のアイデア、自分の個性」で人生を生き抜いた人ですから、あの最期は彼の人生として首尾一貫していたと思います。
漢方でも中医学でも、煎じ薬治療というのは完全な個の医療です。その時その時で目の前の患者さんの状態に合わせて薬を調合するのですから、その薬が有効だとしても、それはその時のその人にとって有効なだけだということになります。これまでEBMの歴史やそれが広まった理由をご説明してきましたが、それを元に考えればこういう治療にEBMでいう「エビデンス」はそもそも無関係であることがわかるでしょう。もちろん治療するわけですから、何か「その治療をする理由」は必要です。しかしそれはEBMにおけるエビデンスでなくても構わないのです。EBMが基本的に集団の医療の必要性から発展したものである限り、「その時のその人」限りの治療とEBMは全く無関係です。
エキス漢方薬は違います。エキスの漢方薬は国が法に基づいて行う医療保険の中で使われますから、「エビデンスあるんですか」ということが重要になります。莫大な公費を投じて国民にあまねく保証するに値する根拠がある治療なのですか?が問われるわけです。それと、公費を投じるのですから「コスパはどうなんですか?」ということも問題になるわけです。
たとえば、自分の仕事を最初に例に挙げて恐縮ですが、認知症のお年寄りが興奮して怒り出す、暴れる、夜になると目が爛々としてどこかに出て行こうとする、介護しようとすると逆に乱暴されていると思い込んで抵抗して暴れるなどといったBPSDという症状、これに抗精神病薬を使うと症状は治りますが「錐体外路症状」と言ってふらつき、転倒、誤嚥性肺炎などが起きます。しかし抑肝散がBPSDを改善させ、かつ錐体外路症状は起こさないというエビデンスができました。そうすれば高齢者の転倒骨折や誤嚥性肺炎を減らせますから本人に取っても良いことだし、転倒骨折で寝たきりになって介護度が上がったり誤嚥性肺炎で入院したりというコストも減りますから、これは集団の医療の中で有用だとなるわけです。
腹部術前後に大建中湯を飲ませておくと術後のイレウス(腸閉塞)が減るというのもそうです。お腹の手術をすると昔は頻繁にイレウスが起きました。患者さんが苦しむのはもちろん、イレウスの治療のために入院も長引きます。しかし大建中湯は術後イレウスを減らすというしっかりしたエビデンスがあります。それなら腹部の手術の前後に大建中湯を飲ませるという治療は国民皆保険という集団の医療において有益ですね、ということになります。
つまりEBMでいうエビデンスが必要なのは、本質的には「大集団に公的に保証されるべき医療なのか」という判断のためなのです。元々が疫学から始まっていますから、エビデンスがあるかどうかも疫学的な手法で行われます。それでいいんです。だって目的が「集団的医療に有用かどうか」なんですから。
というわけで2023年、つまりEBMが提唱されてから30年も経った今「個の医学のエビデンス」を大真面目に論じる日本東洋医学会や、その講演を聞いて「これは非常に重要な指摘だ」と納得する漢方医って、なんなんだかねえ・・・と再びため息をついてしまったのでありました。