石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
漢方内科と心療内科
2023/11/06
あゆみ野クリニックには心療内科と漢方内科があります。実は漢方内科とは名乗っているのですが、私が一番しっかり勉強したのは中医学です。中医学というのは中国の色々な伝統医学の流派の巨頭を中国政府が南京に集め、何日も侃々諤々(かんかんがくがく)議論させて雑多だった中国の伝統医学をどうにか体系化したものです。
何故中国政府がこんなことをやったのかというと、今の中華人民共和国が出来た時医者が圧倒的に不足していた。西洋医は元々少なかったのですが、その上医者みたいなインテリは共産党支配を嫌って逃げちゃったんです。それで、西洋医だけで民衆を診療するのは到底無理だから、伝統医学の力も借りよう。しかし伝統医学はあまりに雑多で、これでは系統的に学校で教えて伝統医学の医者を教育するということが出来ない。だから大学の教育手順に載るように、どうにかして中国伝統医学を体系化しようということでした。
みんな一言居士の筈の伝統医学の大家を集めてどう意見を集約したものか分かりませんが、ともかく体系化したんです。
基本に据えられたのは黄帝内経(こうていだいけい)です。いろんな流派がいろんなことを言うのですが、何か土台になるテキストが無いと話が纏まりません。それで、どの流派も納得出来るたたき台として黄帝内経が選ばれました。
黄帝内経は中国の戦国時代、色々な人が書いた医学論文を漢代に纏めたものです。元々色々な人が書いたものを集めているんですから、突っ込むと結構矛盾が出ます。
しかし今に伝わる黄帝内経の内容は、おそらく漢代に纏められたものではないはずです。漢代の書(と言うかあの時代はまだ木簡とか竹簡)なんか、あっという間に散逸してしまいます。それで、宋政府が纏め直したのです。
宋という国は何回か書きましたが、軍事的にはあんまり強くありませんでした。北の遼や金にやられてばかりいました。しかし文明大国だったのです。医学領域でも、たくさんの散逸した古典をどこからとも知れず探し出してきて復刻したのです。
復刻したと書きましたが、何しろ散逸してしまっているのです。あっちこっちに断片は残っていましたが、それを繋いだところで元の本が出来る状態では無かったでしょう。要するに私が何を言いたいかというと、結局宋は古典を復刻したと言っていますが、実際は新しく宋代の医学を作ったんです。名前は古代のいかめしい本の名前そのままですが、内容は一新したはずです。
それで、実はここまでが前振りで、ここから本題です。
中医学では五臓六腑という概念があります。五臓というのは心肝脾肺腎ですが、西洋医学の同じ名前の臓器とは意味が大きく違います。今日私がここで書きたいのは心と肝と脾です。
心は血を循環させると言います。それだったら西洋医学の心臓と同じです。しかし同時に心は意識覚醒を掌るというのです。さらに、意識が覚醒していればこそ出来る認知判断も掌るとなっています。
昔の中国人も何回か解剖をしていますが、どうも脳がよく分からなかったらしいのです。脳は奇恒の腑の一つとされ、さっぱり分からない説明が付いています。元々脳が何してるんだかさっぱり分からなかった人がこじつけた説明なので、あれは重要では無いです。
それで、心は意識覚醒と認知判断をやると書きましたが、心がやる認知判断は割と浅いというか、単純なのです。日常的なあれこれを認知判断します。それに対し、脾は思惟を掌るというのです。思惟というのは、心がやる日常的な認知判断より深い思考や思いです。深く人生を考えるとか、自分のクリニックをどう経営していったら良いだろうとか言う、難しくて複雑な思考が思惟です。これを脾臓がやってるというのです。
脾臓の基本的な仕事は実は消化吸収です。口から肛門までの胃とか腸で行われる消化吸収機能を全体としてコントロールするのが脾なんです。消化吸収機能と深い思考は関係するというのは面白い視点です。要するに腹が減ったって目が覚めてれば日常的な簡単な判断は出来ますが、腹が減った状態で人生や経営は考えられないというわけです。
肝というのはですね、私が書いた「高齢者のための漢方診療」には「感情と自律神経系の中枢」と書きましたが、中医学の流れの中できちんと説明すると五臓六腑全体が上手く廻るように調節する働きです。その「調節する」の意味を取って「自律神経系」と説明したのですが、本当は自律神経だけでは無いです。
五臓六腑の調子が狂う最大の要因はストレスです。ストレスが掛かるとそのストレスで五臓六腑の調子が狂わないように、肝が頑張ります。ところがそれでもストレスが掛かり続けると、肝が参ってしまいます。肝の調節機能が失われた状態が肝鬱(かんうつ)です。肝鬱になると五臓全体の調子が狂います。心臓はイライラしたり、逆に意識覚醒が鈍ってどよんとしたりします。意識覚醒の調節が利きないのですから不眠にもなります。
脾臓も上手く働きません。ストレスが掛かると必ず食欲が狂います。たいていの人は食欲が落ちますが、中には過食になる人もいます。そしてそういう状態では、脾が深く思惟を巡らせるなんてことは出来ません。
肝鬱の代表役の一つが抑肝散です。ストレスが掛かりすぎて肝の調整機能が落ちたのを回復させるというのです。何故「抑」かというと、肝鬱になると感情が暴走するからです。イライラカッカします。だから肝鬱を抑制させる、抑肝散というのです。
帰脾湯(きひとう)というのもよく使います。帰脾湯というのはまさに脾に働きます。ストレスが掛かり、肝の調整機能が失われ、その結果脾臓の消化吸収機能も乱れ、ものをしっかり深く考え、判断することが出来ない状態を回復させるというのです。もっとも私はその帰脾湯をベースにした加味帰脾湯(かみきひとう)の方をよく使います。加味帰脾湯は帰脾湯にイライラカッカを静める柴胡(さいこ)、山梔子(さんしし)という二つの生薬を足しています。つまり傷ついた脾臓を優しく癒やしてくれる帰脾湯に、イライラを静める生薬を二つ足してるんです。これって、ストレスを山のように抱えてどうにもならなくなってやってくる心療内科の患者さんにぴったりです。
面白いことに、石巻で当院より古く昔から心療内科をおやりになっている「いとう心療クリニック」の伊藤先生もよく帰脾湯や加味帰脾湯を出されます。たまたま伊藤先生の所から当院に移ってこられる方とか、以前伊藤先生に掛かっていて調子が良くなったので通わなくなったけれども、最近また調子が悪くなったが伊藤先生の予約は一杯でなかなか取れないと言って当院に来られる方のお薬手帳を見ると、伊藤先生はよく帰脾湯や加味帰脾湯を出されています。
私は伊藤先生にまだ面識がないのですが、心療内科では伊藤先生の方がずっとご専門です。伊藤先生は心療内科をやる中で漢方を覚えられたのだろうと思います(推測)。私は逆に、漢方や中医学をやる中で、漢方内科に見える患者さんに圧倒的に心身症の方が多いので心療内科もやるようになりました。伊藤先生と私が別に相談したわけでも無いのにどちらも好んで使う処方が帰脾湯や加味帰脾湯。面白いものです。
というわけで、あゆみ野クリニックには漢方内科と心療内科があると言いますが、この二つは要するにほとんどごちゃごちゃで一緒なんです。
何故中国政府がこんなことをやったのかというと、今の中華人民共和国が出来た時医者が圧倒的に不足していた。西洋医は元々少なかったのですが、その上医者みたいなインテリは共産党支配を嫌って逃げちゃったんです。それで、西洋医だけで民衆を診療するのは到底無理だから、伝統医学の力も借りよう。しかし伝統医学はあまりに雑多で、これでは系統的に学校で教えて伝統医学の医者を教育するということが出来ない。だから大学の教育手順に載るように、どうにかして中国伝統医学を体系化しようということでした。
みんな一言居士の筈の伝統医学の大家を集めてどう意見を集約したものか分かりませんが、ともかく体系化したんです。
基本に据えられたのは黄帝内経(こうていだいけい)です。いろんな流派がいろんなことを言うのですが、何か土台になるテキストが無いと話が纏まりません。それで、どの流派も納得出来るたたき台として黄帝内経が選ばれました。
黄帝内経は中国の戦国時代、色々な人が書いた医学論文を漢代に纏めたものです。元々色々な人が書いたものを集めているんですから、突っ込むと結構矛盾が出ます。
しかし今に伝わる黄帝内経の内容は、おそらく漢代に纏められたものではないはずです。漢代の書(と言うかあの時代はまだ木簡とか竹簡)なんか、あっという間に散逸してしまいます。それで、宋政府が纏め直したのです。
宋という国は何回か書きましたが、軍事的にはあんまり強くありませんでした。北の遼や金にやられてばかりいました。しかし文明大国だったのです。医学領域でも、たくさんの散逸した古典をどこからとも知れず探し出してきて復刻したのです。
復刻したと書きましたが、何しろ散逸してしまっているのです。あっちこっちに断片は残っていましたが、それを繋いだところで元の本が出来る状態では無かったでしょう。要するに私が何を言いたいかというと、結局宋は古典を復刻したと言っていますが、実際は新しく宋代の医学を作ったんです。名前は古代のいかめしい本の名前そのままですが、内容は一新したはずです。
それで、実はここまでが前振りで、ここから本題です。
中医学では五臓六腑という概念があります。五臓というのは心肝脾肺腎ですが、西洋医学の同じ名前の臓器とは意味が大きく違います。今日私がここで書きたいのは心と肝と脾です。
心は血を循環させると言います。それだったら西洋医学の心臓と同じです。しかし同時に心は意識覚醒を掌るというのです。さらに、意識が覚醒していればこそ出来る認知判断も掌るとなっています。
昔の中国人も何回か解剖をしていますが、どうも脳がよく分からなかったらしいのです。脳は奇恒の腑の一つとされ、さっぱり分からない説明が付いています。元々脳が何してるんだかさっぱり分からなかった人がこじつけた説明なので、あれは重要では無いです。
それで、心は意識覚醒と認知判断をやると書きましたが、心がやる認知判断は割と浅いというか、単純なのです。日常的なあれこれを認知判断します。それに対し、脾は思惟を掌るというのです。思惟というのは、心がやる日常的な認知判断より深い思考や思いです。深く人生を考えるとか、自分のクリニックをどう経営していったら良いだろうとか言う、難しくて複雑な思考が思惟です。これを脾臓がやってるというのです。
脾臓の基本的な仕事は実は消化吸収です。口から肛門までの胃とか腸で行われる消化吸収機能を全体としてコントロールするのが脾なんです。消化吸収機能と深い思考は関係するというのは面白い視点です。要するに腹が減ったって目が覚めてれば日常的な簡単な判断は出来ますが、腹が減った状態で人生や経営は考えられないというわけです。
肝というのはですね、私が書いた「高齢者のための漢方診療」には「感情と自律神経系の中枢」と書きましたが、中医学の流れの中できちんと説明すると五臓六腑全体が上手く廻るように調節する働きです。その「調節する」の意味を取って「自律神経系」と説明したのですが、本当は自律神経だけでは無いです。
五臓六腑の調子が狂う最大の要因はストレスです。ストレスが掛かるとそのストレスで五臓六腑の調子が狂わないように、肝が頑張ります。ところがそれでもストレスが掛かり続けると、肝が参ってしまいます。肝の調節機能が失われた状態が肝鬱(かんうつ)です。肝鬱になると五臓全体の調子が狂います。心臓はイライラしたり、逆に意識覚醒が鈍ってどよんとしたりします。意識覚醒の調節が利きないのですから不眠にもなります。
脾臓も上手く働きません。ストレスが掛かると必ず食欲が狂います。たいていの人は食欲が落ちますが、中には過食になる人もいます。そしてそういう状態では、脾が深く思惟を巡らせるなんてことは出来ません。
肝鬱の代表役の一つが抑肝散です。ストレスが掛かりすぎて肝の調整機能が落ちたのを回復させるというのです。何故「抑」かというと、肝鬱になると感情が暴走するからです。イライラカッカします。だから肝鬱を抑制させる、抑肝散というのです。
帰脾湯(きひとう)というのもよく使います。帰脾湯というのはまさに脾に働きます。ストレスが掛かり、肝の調整機能が失われ、その結果脾臓の消化吸収機能も乱れ、ものをしっかり深く考え、判断することが出来ない状態を回復させるというのです。もっとも私はその帰脾湯をベースにした加味帰脾湯(かみきひとう)の方をよく使います。加味帰脾湯は帰脾湯にイライラカッカを静める柴胡(さいこ)、山梔子(さんしし)という二つの生薬を足しています。つまり傷ついた脾臓を優しく癒やしてくれる帰脾湯に、イライラを静める生薬を二つ足してるんです。これって、ストレスを山のように抱えてどうにもならなくなってやってくる心療内科の患者さんにぴったりです。
面白いことに、石巻で当院より古く昔から心療内科をおやりになっている「いとう心療クリニック」の伊藤先生もよく帰脾湯や加味帰脾湯を出されます。たまたま伊藤先生の所から当院に移ってこられる方とか、以前伊藤先生に掛かっていて調子が良くなったので通わなくなったけれども、最近また調子が悪くなったが伊藤先生の予約は一杯でなかなか取れないと言って当院に来られる方のお薬手帳を見ると、伊藤先生はよく帰脾湯や加味帰脾湯を出されています。
私は伊藤先生にまだ面識がないのですが、心療内科では伊藤先生の方がずっとご専門です。伊藤先生は心療内科をやる中で漢方を覚えられたのだろうと思います(推測)。私は逆に、漢方や中医学をやる中で、漢方内科に見える患者さんに圧倒的に心身症の方が多いので心療内科もやるようになりました。伊藤先生と私が別に相談したわけでも無いのにどちらも好んで使う処方が帰脾湯や加味帰脾湯。面白いものです。
というわけで、あゆみ野クリニックには漢方内科と心療内科があると言いますが、この二つは要するにほとんどごちゃごちゃで一緒なんです。