誰が一番名医だったか

2024/04/12

中国の伝説的な名医に、華陀(かだ)と扁鵲(へんじゃく)という二人がいます。扁鵲は、実在の人物だった可能性が高い。何故なら司馬遷が史記に彼の伝記を書いているからです。史記は疑わしいことは載せていません。よくよく検証して、たしかにこれは現実にあったことだ、実在の人物だという事項だけを載せているので有名な歴史書ですから、今に伝わる扁鵲にたくさんの逸話や伝説がくっついているにしろ、その元となった名医はいたはずです。

華陀は後漢の末、三国志時代の幕開けごろの人で、魏の曹操に睨まれて殺されたという記録が残っています。しかし華陀にも色々な逸話や伝説が乗っかって、どこまでが華陀本人の話かどうかはわかりません。

華陀は三兄弟の末っ子でした。三兄弟は皆医者でしたが、華陀が一番有名。あるとき王様が「お前達兄弟は皆医者だそうだが、有名なのはお前だけだ。お前の二人の兄はどういう診療をしているのか?」と華陀に尋ねたそうです。華陀の答えはこうでした。

長兄は人々を健康に保ちます。だから誰も長兄が医者だと気がつきません。次兄は病気が軽い内に治してしまいます。だから人々は次兄のことを「軽い病気を治す医者だ」と思っています。私は病が重くなってから治すので皆が名医だと言いますが、本当はそうではないのです。

王は大いに納得したそうです。

無論重い病を治す華陀は名医です。しかし医者がもっと一生懸命取り組むべきことは、まず人々を健康に保つこと、次には軽い内に治すこと。重くなってから治療するのは最後だというのがこの逸話の意味です。だから私はこれから、人々を健康に保ち、もし病気になっても軽い内に治してしまう医者を目指そうというわけです。

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