私と相方とあゆみ野クリニック

2024/08/03

今夜は、50代最後の日の晩餐を相方と一緒に戴きました。明日は彼が手料理を作ってくれるそうです。

 

 

いつもは「相方事務長」と書いていますが、今日は「相方」と書きます。なぜなら彼と私は19981230日に出会って以来、人生を共にしてきたパートナーだからです。

 

 

その間、彼には迷惑の掛け通しでした。出会った翌年に今のマンションが完成して、私は彼を仙台に呼んだのですが、当時はまさに冬の時代でしたから、彼は仙台で職に就くことが出来ませんでした。しかも、私は2001年に一回仙台を離れ、東大に漢方の武者修行をしに行きました。その時は、このマンションは一度手放し、東京で2年間アパート住まいをしました。その時も相方は一緒に着いてきてくれましたが、当然東京でも、まともな職には就けなかったのです。あの「冬の時代」の話です。

 

 

2003年、私自身が引き金を引いて、東北大学医学部になんと漢方の講座が出来ることになり、私たちは予想だにしなかったのですが、仙台に戻ってきました。私は浪人暮らしから突然東北大学准教授になりました。

 

 

その後も色々とあったのです。話し出すと切りがありません。しかしどんなときも、常に私には彼がいました。彼はあの19981230日の晩以来、一度も私に「別れる」と言ったことがありません。その間、私は何度も浮気をしたのですが。

 

 

しかし今、明日還暦を迎えるという身になってみれば、浮気相手とは皆疎遠になりました。結局、彼だけが残ったのです。むしろ、彼と知り合う前に付き合っていたタイのチェンとは、今でも友人として関係が続いています。おそらく彼は、明日私におめでとうというラインをくれるでしょう。

 

 

無論、1998年という時代、私たちが結婚式を挙げるなどということはまったく考えられませんでした。私たちは今年で26年目です。なんでも25年目を銀婚式というのだそうですが、これはおそらく業界の金儲けの種だろうと思います。おそらく私たちがもしお互いに何か式をするというなら、それは葬式になるでしょう。どちらがどちらの葬式をするのかは、分かりませんが。

 

 

私は職場の同僚や同級生など、たくさんの結婚式に参列し、そのたびに三万円を置いてきましたが(まあ、決まり事ですので)、私と相方は、一度もそういう機会には恵まれませんでした。しかし、いくら盛大な結婚式をやっても、破綻する夫婦はいくらでもいます。私たちは何の式も挙げませんでしたが、26年間人生を共にしております。

 

 

そうですね・・・。もし出来ることなら、私たち同性カップルにも、少なくともなんらかの法的関係を認めてほしい。まさに星霜を共にしてきたのですから。仏教式に言えば塵労を共にしてきたわけです。私は自分がゲイである事を隠していませんが、相方の名前は明かせません。彼は未だにGay in a closet、沈黙するゲイですから。しかし、私たちのどちらかは、先に死にます。私の方が年が上ですから、可能性としては私が先に死ぬでしょう。その時、私は是非相方に喪主を務めてほしい。それには、社会が私たちのような関係を認めて戴く必要があるのです。今のままでは、いくら私たち二人が人生で分かちがたい関係だとしても、法律や慣習では「単なる同居人」なのです。

 

 

色々な考えで「そういうことは公に認めるべきではない」という方が多いことは承知しています。しかし少なくとも、私と相方の関係が公的に認められても、皆さん方一人一人には、何の迷惑も掛かりません。これだけはご理解戴きたい。26年間人生の苦労を共にしてきた私と相方がなんらかの公的な、あるいは法的な関係として認められたからと言って、誰にも一切、ご迷惑が掛かるという事はないのです。そうなったところで、太陽はその翌日も東から上がるでしょうし、あなたのお子さんは反抗期であなたに反発するでしょう。老いた親御さんの面倒を見るのが大変なことも、別に私と相方が公的な関係を認められるかどうかで変わるわけではありません。あなたの上司は、その翌日もあなたにガミガミ言うでしょう、それまでとまったく同じように。皆さんにとっては、まったく同じ日常が続くだけです。しかし、私たち性的マイノリティーにとっては、それは非常に大きな福音なのです。

 

 

もし私たちの関係が公に認められれば、私か相方が病気になって入院したときも、「誰か他のご家族を呼んでください」なんて言われる必要は無くなります。どちらかが死んだときも、ごく自然に片方が喪主になり、遺産を相続出来ます。私の両親はともに70代後半で呆けましたから、私もおそらくその年代で呆けるでしょう。その時、私の身寄りは相方しかいません。しかし私と彼が今のような「法律上はあかの他人」だと、私が呆けたとき、あれもこれも山のように面倒が生じます。

 

 

私たち性的マイノリティーは、自分でそういう生き方を選択したのではありません。思春期を迎えたら、自分でも訳が分からないまま、そうだったのです。今では性的指向というものは生まれつきであって、ある人々は思春期を迎えると異性に興味を持つが、ある人々は同性に惹かれる、またある人は異性にも同性にも惹かれるという、それだけのことだ、と言うのが世界の医学常識です。だからこそ、多くの国々で性的指向によって人を差別しないと言う方向に向かっています。しかし日本では、なかなかそうなりません。

 

 

家族制度を持ち出す人がいます。しかし代々続く家族などと言うものは、武家か公家以外は、江戸時代まで存在しませんでした。そもそも苗字を許されたのが武士か公家だけだったのですから。

 

 

つまり、「古来の伝統」と呼ばれる慣習や制度の大半は、実は割合新しいものです。そう言うものを尊びたい人は、無論尊んで戴いて善いのですが、しかし「日本では古来から代々家系が」と言われて性的マイノリティーの関係を否定されると、いやいやそう言うのって、実はそんなに昔々からあったわけじゃないですよ、と言わざるを得ないのです。むしろ、戦国時代から江戸時代まで、日本社会は同性愛には非常に寛容でした。

 

 

まあそういう歴史の話はさておいて、少なくとも、私と相方の26年続いている人生を共にする関係を公に認めて戴いても、少なくともどなたにも一切ご迷惑は掛かりません。誰にも迷惑は掛からず、かつ私たち当事者にとっては非常に有益で有り難いのですから、どうぞ私たちのような関係を公に認めてください。

 

 

あゆみ野クリニックにとっても、我が相方は必要欠くべからざる人間です。そして相方が私の要求する当院にとっては必要だが相方にとっては完全に不慣れな要求を一生懸命こなしてくれるのは、まさに彼が私の相方だからです。そうでなければ、彼はこんな困難な仕事はとっくに辞めていたと思います。しかし彼が辞めたら、あゆみ野クリニックは成り立ちません。私と相方の関係は今まさに、石巻にとってもささやかながら大事な話なのです。あゆみ野クリニックが今後も皆さんのお役に立つためには、私と相方の関係がとても大事なのです。還暦という人生の節目に当たって、私が皆さんに是非お願いしたいことを申し上げました。それでは、今後もあゆみ野クリニックに宜しくご贔屓をお願いいたします。


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