個の医学と学問体系

2024/10/08

視床痛というものすごく難治性の疾患を長年患っている方を東京の中医学鍼灸をしている有名な鍼灸院にご紹介したら、患者さんから「一回受けただけで十何年も続いてきた痛みがほんの少しだが軽くなり、治療を受けた部位がぽうっと暖かくなった」と言われました。無論その人には私も煎じ薬治療をしています。煎じ薬治療である程度の反応はあったのですが、あるところで改善が止まったことと、お話をよく伺うとどうもこれは経絡阻滞が強く関係していると考えたので鍼灸院に併診をお願いしたのです。


煎じ薬治療もこのような非常に難治な症例に対する鍼治療も、完全な「個の医療」です。その人個人をよくよく診察して、まさに「その人にとってベスト」な煎じ薬や配穴を行います。


しかし、そのように非常に難しい患者さんに対し煎じ薬や中医鍼灸を行って効果を出すためにこそ、弁証論治が精確で、配穴や生薬の取捨選択が適切で無ければなりません。こう言う治療は、どこそこの痛みにはこのツボとか、女性の冷えにはとりあえず当帰芍薬散とか言うレベルの医者や鍼灸師には完全に不可能です。中医学弁証を総動員し、鍼灸であればさらに配穴理論を熟知している、煎じ薬治療では本草学をきちんと学んでいて生薬一つ一つの効能効果やその組み合わせ方の法則を理解していなければ、こう言う治療は出来ないのです。


ところが、もしそう言うときに拠り所とする中医学理論や配穴の理論、本草学が間違っていたら?間違った知識を基にした治療で患者を治せるはずがありません。


ですから、個の医療で本当に素晴らしい、西洋医学の医者が仰天するような効果を上げるためにこそ、中医弁証理論がしっかり確立していて、配穴や生薬学の知識が正確でなければならないわけです。中医学は個の医学だから弁証理論より経験だ、などとうそぶく人間には、こんな難治患者は全く歯が立ちません。


つまり、個の医療をきちんとやることと弁証や配穴、本草学と言った「医学体系」がきちんとしていることは、矛盾しないどころか完全に表裏一体なのです。


俺は中医弁証なんか知らんけど、師匠から教わった通りに鍼を打てばだいたいの患者はよくなる、なんて言うのは、せいぜいありふれた肩こり腰痛を相手にしているだけだってことです。


中医弁証なんか関係ない、口訣(くけつ)で漢方薬出せば治るんだ、と言うのも同じです。口訣というのは英語で言えばclinical pearlです。たしかにあるときひょいとその口訣を思いついてそれを参考にすると臨床の役に立つことはありますが、そんなもので「10数年来の視床痛」とか「食べても食べても体重が一年で10kg以上減少して、何所で精査されても原因が分からない」なんて言う患者は治せません。


個の医療と、弁証論治を精確に、かつきちんと体系化し検証する作業は、全く矛盾しません。弁証や本草学、配穴理論などの医学理論が正しいのかどうか、いや現時点では内部矛盾があるがそれはどう解決していくのかと言った作業は、まさに個の医学を高度なレベルで行うためにこそ、絶対に必要なのです。


これが全く分かっていないのが、「中医学は一例報告を積み上げるべきだ」とか、何も深く考えずただ安易に「中医学はpersonal medicineだ」などと主張する連中なのです。彼らは、きちんと深くものを考えていないのです。
 

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