戦うべき時

2024/10/12

ある20を過ぎたばかりの女性はパート先で絶えずセクハラ、パワハラを受けていました。彼女はそれに耐えられなくなり、私のクリニックの心療内科に受診したのです。


彼女が受けたセクハラは、語るもおぞましいものでした。私は彼女の心が負った傷の深さをまざまざと目の当たりにし、一度は彼女を黙って退職させて転職させようと思いました。しかし、しばらく彼女の話を聞いたあげく、私は彼女にこう話したのです。


あなたの上司の行為は明らかにセクハラ、パワハラであり、もっとも卑しい行為です。あなたの心がそれに深く傷ついていることは分かります。だから普通であれば、あなたを黙ってその職場から退職させ、傷病手当を申請して休業期間をおいた後に転職させるのが常道です。


しかし今あなたのお話を伺うと、あなたは奴らのあまりにも忌まわしい言動で、深く深く心が傷ついています。そこから逃げるというのは最も簡単ですが、その場合、あなたは一生「自分はあのような卑劣な連中から逃げた」という心の傷を負うことを私は心配します。あんな理不尽な、不当な暴力を受けたのに、私は戦わずに逃げたという記憶は、あなたの心のもっとも深いところに傷を残すと思います。PTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまう可能性があります。私は今からあなたが受けたパワハラ、セクハラを全て詳細に診断書にします。それを持ってすぐこの足で労働基準監督署に行きなさい」。


彼女はしばらく黙って逡巡していましたが、やがて深く頚を縦に振りました。そこで私は女性看護師を同席させ、彼女が受けたセクハラ・パワハラを具体的に供述させ、それを全て「石巻労働基準監督署ご担当者宛」という診断書にまとめました。末尾には「これは明らかなパワハラ・セクハラであり、労災に該当すると考えるのでよろしくご対応ください」と書きました。


その若い女性は、その診断書を持って、本当にすぐに石巻労基署に行きました。労基署は対応が遅いので有名ですが、その診断書を読んだ担当官はその場で「ではこちらが会社に事情を聞きます」といい、会社に直接説明を求めたのです。


会社にとっては万事休すでした。まさか20そこそこの女性パートの話が労基署を動かすとは夢にも思わなかったのでしょうが、そこから話は急展開し、パワハラ・セクハラをやっていた上司二人は罪を認め、本社総務部長が患者の家に謝罪に訪れました。当然、労災として認められたのです。


苦しみから逃げるだけではいけないのです。戦わなければならないときと言うのはあります。もしその時自分を襲った理不尽な暴力暴行から逃げたら一生「自分は逃げた」という心の傷を負うというとき、人間は戦わなければなりません。立ち上がり、敵と戦うのです。もしそれで負けても「私は力の限り戦った」という記憶が残りますから、それはPTSDにはなりません。しかし「自分は逃げた」という記憶は一生その人の心を引き裂くのです。だから、どんなに辛く、どんな深い傷を負っていても、戦わなければならないときは、戦うのです。


彼女には、勇気がありました。若き英雄に乾杯!
 

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