医学部生

2024/10/23

裏千家だかなんだかの家元が、大学で講義をしているそうだ。ところが彼が講堂に入っていっても、学生は知らん顔。私語はするわ、スマホをいじくるわ。それで家元はカチンときて、


「君たちは学問をする志があるのか!」と怒り、それ以来講堂に入ると自分で「起立!礼!」と言うことに決めた。


というインタビュー記事を読んで私が感じたのは、それはその大学のレベルが低く、かつあなたの講義もつまらないからじゃないの?と言うことだった。


文科省が「医学部で漢方を教えろ」と言い出したとき、あちこちの大学が困った。何しろ何所の大学の医学部にも、漢方を教えられる教員がいない。それで東北大漢方内科准教授だった私は、全国から引っ張りだこになった。今覚えているだけでも岩手医大、福島県立医大、山形大、そして東大から漢方の講義を頼まれた。無論東北大でも漢方を教えた。


岩手医大、福島県立医大、山形大のような大学は「駅弁大学」と言われる。各県に最低一つは医学部を置きますという国の方針の下作られたからだ。各県に一つだから、駅弁というわけだ。


駅弁大学の医学部生は、その土地のガリ勉だ。地方で一生懸命勉強したけれども東大、東北大は無理という連中が入ってくる。彼らはともかく勉強熱心である。講義をすると、ひたすらノートを取る。最初から最後までノートを取り、一言も書き漏らすまいとするのだが「質問は?」と聞いても誰も手を挙げない。ともかく授業は丸覚えすればよいと思い込んでいる連中だ。


ところが東大で講義したときは仰天した。東大の老年内科が漢方の講義の主幹になったから、私は「高齢者医療と漢方」という題で自分の八味地黄丸とか抑肝散、半夏厚朴湯などのRCTデータを次々出した。最初は講義だったのが、途中から次々と質問の挙手が上がり、それに答えている内にいつしか講義はディスカッション、セミナーになった。東大の学生はたいしたものだと思った。


東北大はと言うと、准教授の私が講堂に入っていっても学生は見向きもしない。平気でケータイ(まだスマホはなかった)をいじくり、ちょっと真面目な学生は他の講義の予習をしている。それは何故かというと、私は東北大学で初めて漢方医学の講義をしたのだ。だから学生達は「どうせこれは試みの講義であって、試験問題なんか出ないだろう」とたかをくくっていた。試験問題に出ないものは聞く必要は無い、というドライな判断の下、彼らは私の講義を聴かなかったのだ。


ところがこの学年は数年後、ぎょっとする羽目になった。何故なら、私が講義をしたこの学年が卒業するその年から、東北大学医学部は卒業試験に漢方の問題を出題することになったからだ。


医学部の卒業試験に受からなければ、当然医師国家試験も受験出来ない。医師国家試験は医学部を卒業したものだけが受けられるからだ。その卒業試験に漢方の問題が出ているのを目にした彼らは、心底ぎょっとしたことだろう。


実は卒業試験に漢方の問題を出すかどうか、医学部内で相当揉めたのだ。反対する教授も多かった。しかし最終的に色々と根回しをした結果、一題出すと言うことになった。私はその問題は、誰でも解ける問題にした。たしか甘草の偽アルドステロン症を答えさせる問題にしたはずだ。そうしたら、その問題の正答率が非常に高かった。すると、医学部の教育委員長(私の同級生だった)が私を呼び出し、「先生の問題はよくない」という。同級生だから私も遠慮会釈なく「いったい何が悪いんだ!?」と訊いたら「殆ど全員が正解した」という。彼曰く、優れた試験問題というのは、ちゃんと勉強した学生の正答率が高く、不真面目な学生は間違えるように作るべきだというのだ。


まあそれはそれで一理あるのだろうが、私は東北大の歴史始まって以来初めて医学部の卒業試験に漢方の問題を出したのだから、なるべく全員が最低限知っているべき事を問題として出し、殆ど全員が正解するようにと思って出題した。だから私は彼の指摘を一蹴し、「これは東北大学建学以来初めての卒業試験の漢方問題なんだから、ほぼ全員が正解出来るように作ったんだ、それでいいんだ」と突っぱねた。


いずれにせよ、その年を皮切りに東北大では学年毎の試験にも卒業試験にも、だんだん漢方の出題が増えていった。医師国家試験ではまだ漢方を正面から問う問題は出されていないが、先ほども書いた通り、医学部の卒業試験に合格して医学部を卒業出来なければそもそも医師国家試験は受けられないのだから、今東北大学医学部の学生は必死で漢方を勉強している。


半年ほど前、私の後任である東北大漢方内科の高山真特命教授から電話で直接言われたのが「私はあなたのせいで正教授になれないのだ。あなたが杉田水脈と揉め事を起こしたからだ」というものだ。その電話を限りに私は高山先生とは縁を切り、電話もメールもブロックした。私が東北大学の臨床教授だったのはもう随分昔だ。大学を去って三年ぐらい、要するに高山君が独り立ちするまで臨床教授として裏で面倒を見たが、彼がそこそこ自分でやるようになって「もうよかろう」と私はその職を辞した。以来私は東北大とは一切関係ない。だから彼が正教授になれない原因を私に持ち込まれたって困るのだ。教授になるなれないはひとえに本人の問題だ。彼がまだ大学院生だった頃、私は上に書いたように東北大に必死に漢方の種を蒔き、それが今は東北大学附属病院漢方内科という常設の診療科となったのだから、彼が私を恨む理由など何一つない。


ま、色々還暦を過ぎると昔話ばかりになって、自分でも嫌なことだ。


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