石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
金の神様
2024/11/20
今日ある患者さんと「金の神様」の話になった。無論詳細は伏せるが、私はその患者さんに「佐藤さん(仮名)、エホバがいるかアッラーがいるかは分からないけど、金の神様だけは本当にいますよ。でも神様なんだから、当然毎日あがめ奉って上げ膳据え膳しないと、神様はいなくなってしまうんだ」と言った。
患者さんはしばらくあっけにとられていたが、やがて私の言葉の意味が分かったらしく、最初はクスクス苦笑いを始め、やがて破顔一笑して診療が終わった。
その人に何故金の神様の話をしたのかは当然書かないが、何故私が「金の神様だけは実在する」と確信したのかという理由は、別に書いて問題はない。それは無論、このあゆみ野クリニック開業の顛末だった。
そもそも私は一昨年の7月、このクリニックの雇われ院長として呼ばれた。額面だが年収1800万。無論悪くない話で、仲介してくれたのも信用出来る(筈の)人だったので、私はその条件でこのクリニックに赴任した。
ところが、去年の2月、当時ここを経営していた法人の会長が突然クリニックに来て、
「先生、悪いんだけど、来月から先生達の給料払う金が無いんだ。先生経営してくれない?」・・・。
信じられないかもしれないが、人生にはこう言うことが起きるのだ。まあ、私の人生の中では東日本大震災、直腸破裂による急性腹膜炎でICU2週間入院に次ぐ、成人してからは自分の人生で3回目の青天の霹靂だった。子ども時代にはさらに何回か青天の霹靂を経験しているのだが。
銀行に駆け込んで副支店長に訳を話したら、副支店長が目を丸くして・・・そりゃ当たり前だが・・・え、来月ですか!?という。ええ、来月からだそうです。いや来月と言われましても、融資って来月には無理だし、みたいなごくごく常識的な会話の後、どういうわけか私は本当に来月、つまり去年の3月からここの経営者になった。
実は去年の1月頃まで、このクリニックはその法人経営の元で大儲けをしていた。しかしその原因はコロナコロナコロナだった。つまり当時はたっぷり点数の上乗せが付いた発熱外来とコロナワクチン打ちまくりであぶく銭を稼いでいただけだった。ところがそのコロナが「もう2類でもあるまい」となった途端、ここはその本当の姿をさらけ出した。つまり、発熱外来が儲からなくなりワクチンがなくなったら、掛かりつけの患者はほとんどいなかったのだ。連日発熱患者とワクチンで立て込んでいた外来から、患者の姿が消えた。それで法人会長は、「もう儲からないからやーめた」と言い出したわけだ。
それで、去年の2月に駆け込んだ銀行から融資が実行されたのが5月末だった。その間およそ3ヶ月で1500万あった私の貯金は0になった。クリニックの口座であれ私の個人口座であれ、ともかく金というものは一切なくなった。
本当に文字通り一切金という金が銀行口座から消えたのが5月の第2週だった。その時は、銀行と金融公庫から融資の決定は知らされていた。つまり決定は下りていたが、実行は5月末だった。つまり、概ね2週間、クリニックにも私の個人口座からも完全に金というものが消滅した。
思いあぐねた末、私は遂に禁断の金に手を付けた。第一生命に30年積んでいた「年金型生命保険からの貸し付け」だ。30代の頃契約したこの生命保険は、生命保険としては旧式で、入院しても4日目からしか金が下りず、あまり役には立たなかった。最近4日以上の入院というのは中年までは殆どないから。しかしこの保険の旨味は「年金型」という所だった。つまり、60歳の誕生月の前の月まで保険金を払えば、60歳になった途端、終身毎年120万の年金が下りる。そして、年金が開始される前までなら、そうやって貯めた金を必要なときに貸し付けとして借り出すことが可能だった。
しかしこの「貸し付け」の利用は極めて危険な行為であった。なぜなら60歳になる前月までに借りた金を全額返済していないと、年金そのものが無しになる。その時は、年金分として計算された金額から借りていた金を引いた額が戻ってくるが、それだけだ。
しかし、全ての金という金が尽きた去年5月の第2週、遂に私はその「貸し付け」に手を付けた。それも300万。
貸し付けはそんじょそこらのATMで出来るのだが、その金を引き出したとき、私の手は振るえ、心臓は早鐘のように胸を打ち、意識を保つのすらやっとだった。だって、その時私は58歳。8月には59歳になるという状況の5月。もしこの300万を自分が60歳になる来年(つまり今年)の7月までに全額返済出来なければ、営々と30年積み立ててきた年金が消滅するのだ。しかし、融資は既に決定されていたし、融資の実行もその月の月末と分かっていた。
しかしだからと言って、その融資の金が実際にその時点で私の銀行口座に存在したわけでは無かったのだ。あくまで実行は2週間後だった。
1600万という金が本当にクリニックの口座に振り込まれるまでの2週間あまり、私はどうしていたか殆ど記憶がない。ともかく少なくとも私の頭の中では、私はクリニックでは医者として振る舞っていたことになっている。しかし無論家では毎晩気が狂ったように・・・いや実際狂気に囚われ、大量の酒で睡眠薬と安定剤を流し込んで布団に入ってもまんじりともせず、夜中にしばしばガバッと起き上がると心臓はドクドク、冷や汗が流れ、無論相方には毎晩のように当たり散らした。
予定された日の朝、出勤前にコンビニのATMに立ち寄って実際に融資の金が振り込まれているのを目前にしたとき、私はまさに全身の力が抜けた。すぐさまそこから300万を下ろし、第一生命に戻した。今年の8月にその最初の年金1年分120万が私の個人口座に振り込まれたとき、私がどんな感情に包まれたかは、ちょっと私の筆に余る。
その時、私はまさに「この世にエホバがいるか、アッラーがいるか、阿弥陀如来がいるかは知らないが、間違いなく「金の神様」はいる」と確信したのだ。
皆さん、この世で唯一確実に存在するのは、金の神様です。金の神様だけなんです、実在するのは。
患者さんはしばらくあっけにとられていたが、やがて私の言葉の意味が分かったらしく、最初はクスクス苦笑いを始め、やがて破顔一笑して診療が終わった。
その人に何故金の神様の話をしたのかは当然書かないが、何故私が「金の神様だけは実在する」と確信したのかという理由は、別に書いて問題はない。それは無論、このあゆみ野クリニック開業の顛末だった。
そもそも私は一昨年の7月、このクリニックの雇われ院長として呼ばれた。額面だが年収1800万。無論悪くない話で、仲介してくれたのも信用出来る(筈の)人だったので、私はその条件でこのクリニックに赴任した。
ところが、去年の2月、当時ここを経営していた法人の会長が突然クリニックに来て、
「先生、悪いんだけど、来月から先生達の給料払う金が無いんだ。先生経営してくれない?」・・・。
信じられないかもしれないが、人生にはこう言うことが起きるのだ。まあ、私の人生の中では東日本大震災、直腸破裂による急性腹膜炎でICU2週間入院に次ぐ、成人してからは自分の人生で3回目の青天の霹靂だった。子ども時代にはさらに何回か青天の霹靂を経験しているのだが。
銀行に駆け込んで副支店長に訳を話したら、副支店長が目を丸くして・・・そりゃ当たり前だが・・・え、来月ですか!?という。ええ、来月からだそうです。いや来月と言われましても、融資って来月には無理だし、みたいなごくごく常識的な会話の後、どういうわけか私は本当に来月、つまり去年の3月からここの経営者になった。
実は去年の1月頃まで、このクリニックはその法人経営の元で大儲けをしていた。しかしその原因はコロナコロナコロナだった。つまり当時はたっぷり点数の上乗せが付いた発熱外来とコロナワクチン打ちまくりであぶく銭を稼いでいただけだった。ところがそのコロナが「もう2類でもあるまい」となった途端、ここはその本当の姿をさらけ出した。つまり、発熱外来が儲からなくなりワクチンがなくなったら、掛かりつけの患者はほとんどいなかったのだ。連日発熱患者とワクチンで立て込んでいた外来から、患者の姿が消えた。それで法人会長は、「もう儲からないからやーめた」と言い出したわけだ。
それで、去年の2月に駆け込んだ銀行から融資が実行されたのが5月末だった。その間およそ3ヶ月で1500万あった私の貯金は0になった。クリニックの口座であれ私の個人口座であれ、ともかく金というものは一切なくなった。
本当に文字通り一切金という金が銀行口座から消えたのが5月の第2週だった。その時は、銀行と金融公庫から融資の決定は知らされていた。つまり決定は下りていたが、実行は5月末だった。つまり、概ね2週間、クリニックにも私の個人口座からも完全に金というものが消滅した。
思いあぐねた末、私は遂に禁断の金に手を付けた。第一生命に30年積んでいた「年金型生命保険からの貸し付け」だ。30代の頃契約したこの生命保険は、生命保険としては旧式で、入院しても4日目からしか金が下りず、あまり役には立たなかった。最近4日以上の入院というのは中年までは殆どないから。しかしこの保険の旨味は「年金型」という所だった。つまり、60歳の誕生月の前の月まで保険金を払えば、60歳になった途端、終身毎年120万の年金が下りる。そして、年金が開始される前までなら、そうやって貯めた金を必要なときに貸し付けとして借り出すことが可能だった。
しかしこの「貸し付け」の利用は極めて危険な行為であった。なぜなら60歳になる前月までに借りた金を全額返済していないと、年金そのものが無しになる。その時は、年金分として計算された金額から借りていた金を引いた額が戻ってくるが、それだけだ。
しかし、全ての金という金が尽きた去年5月の第2週、遂に私はその「貸し付け」に手を付けた。それも300万。
貸し付けはそんじょそこらのATMで出来るのだが、その金を引き出したとき、私の手は振るえ、心臓は早鐘のように胸を打ち、意識を保つのすらやっとだった。だって、その時私は58歳。8月には59歳になるという状況の5月。もしこの300万を自分が60歳になる来年(つまり今年)の7月までに全額返済出来なければ、営々と30年積み立ててきた年金が消滅するのだ。しかし、融資は既に決定されていたし、融資の実行もその月の月末と分かっていた。
しかしだからと言って、その融資の金が実際にその時点で私の銀行口座に存在したわけでは無かったのだ。あくまで実行は2週間後だった。
1600万という金が本当にクリニックの口座に振り込まれるまでの2週間あまり、私はどうしていたか殆ど記憶がない。ともかく少なくとも私の頭の中では、私はクリニックでは医者として振る舞っていたことになっている。しかし無論家では毎晩気が狂ったように・・・いや実際狂気に囚われ、大量の酒で睡眠薬と安定剤を流し込んで布団に入ってもまんじりともせず、夜中にしばしばガバッと起き上がると心臓はドクドク、冷や汗が流れ、無論相方には毎晩のように当たり散らした。
予定された日の朝、出勤前にコンビニのATMに立ち寄って実際に融資の金が振り込まれているのを目前にしたとき、私はまさに全身の力が抜けた。すぐさまそこから300万を下ろし、第一生命に戻した。今年の8月にその最初の年金1年分120万が私の個人口座に振り込まれたとき、私がどんな感情に包まれたかは、ちょっと私の筆に余る。
その時、私はまさに「この世にエホバがいるか、アッラーがいるか、阿弥陀如来がいるかは知らないが、間違いなく「金の神様」はいる」と確信したのだ。
皆さん、この世で唯一確実に存在するのは、金の神様です。金の神様だけなんです、実在するのは。