生薬の量の話

2024/11/24

漢方薬で使われる生薬の量は、当然古典では昔の度量衡で記載されています。例えば葛根湯は傷寒論(しょうかんろん)という本が原典ですが、


葛根(四兩)麻黃(三兩,去節)芍藥(二兩)生薑(三兩,切)甘草(二兩,炙)桂枝(三兩,去皮)大棗(十二枚,擘)からなり、これを一斗の水で煮て、二升まで煮詰めろとあります。


傷寒論という本は何度か書き直されていますが、一応後漢末期に最初に書かれたという事になっています。今では中国の色々な時代の度量衡はおおよそ推測されており、漢代の度量衡も判明しています。漢は前漢、後漢合わせて400年も続きましたので度量衡もその間に変わったかも知れませんが、とりあえず今分かっている限りでは、漢代の一両は15g、一斗は2L、一升は200mlだそうです。すると、上の傷寒論の文章を書き直せば、葛根湯という処方はこうなります。


葛根60g、麻黄45g、芍薬30g、生姜45g、甘草30g、桂枝45g、大棗12個を2Lの水で煮て400mlになるまで煮詰めろ。


現代の我々からすると、これは相当に凄まじい量です。特に45gの麻黄は確実に血圧上昇、幻覚や頻脈をおこす可能性が高い。エフェドリンやシュードエフェドリンといった、今ではICU(集中治療室)で患者の血圧が急激に低下した「ショック」という病態に使うときのノルアドレナリンという注射薬とほとんど同じ作用をおこすのがエフェドリンとかシュードエフェドリンです。日本薬局方で医療用医薬品として認められるためには、麻黄のなかにエフェドリン、シュードエフェドリン(この2つは体内ではほぼ同じ薬理作用をおこします)が0.7%以上含まれることとなっていますから、45gの麻黄にはこれらが31.5mg以上含まれます。これは血圧上昇どころか幻覚、致死的な不整脈をおこすのに十分な量です。


今我々が使う葛根湯、例えばツムラの葛根湯には麻黄は1日量として4gしか含まれていませんから、エフェドリン・シュードエフェドリンに換算すると2.8mgです。これでも高齢者が肩こりとかで葛根湯を長期処方されると高血圧を起こします。それを考えれば原典の量が如何に膨大か分かるでしょう。


何故原典ではこんなにも大量の生薬が使われたのでしょうか。ここから先は推測ですが、葛根湯、麻黄湯、桂枝湯、小柴胡湯等々といった我々がおなじみの漢方薬の多くが「傷寒論(しょうかんろん)」を原典としています。傷寒論というのは、そもそも傷寒という非常に恐ろしい、致死的な感染症の治療法でした。傷寒論を書いたとされる張仲景(ちょうちゅうけい)はその序文に、「私の親族は元々200人を超えた。ところがある年(建安紀年)以降10年の内にその2/3が死に、その死因の7割は傷寒だった」と書いているのです。建安紀年はたしかに実在した後漢末期の年号です。つまり、この序文は相当なリアリティがあります。200人の2/3が10年で死に、その死因の7割は傷寒だったというのです。傷寒というのは何かの感染症ですが、ともかく凄まじく恐ろしい、致死的な感染症であったのです。


張仲景の素晴らしいところは、この傷寒という感染症の自然経過を詳細に観察し、どうもその経過は6つのステージを経ると気がついたことです。だから傷寒論は「六経弁証(りっけいべんしょう)」という理論を打ち立て、6段階のステージ毎に治療法を提案しています。我々が日頃一番よく使う葛根湯、麻黄湯、桂枝湯、小青竜湯などは全て第一ステージである「太陽病期(たいようびょうき)」の薬です。傷寒論も、殆ど半分くらいを太陽病期の治療に費やしています。つまり、第一ステージで治してしまわないと、そこから先に進行すれば非常に治療に難渋して患者を救うことが難しくなるからです。


例えば五番目のステージである「少陰病期(しょういんびょうき)」の記載は、今で言えばショック、つまり循環動態が維持出来ず血圧が急激に下がり意識低下が起きるという、今だってICUが総力を挙げても治せない場合が多いという危険な状態の表現になっています。そして最後の第六ステージである「厥陰(けっちん)」の描写は、多臓器不全です。つまり内臓が全部やられてしまいましたという事で、傷寒論でも厥陰病期については死ぬ、死ぬ、死ぬと、要するになにをやってもほぼ助けられないと書いてあります。多臓器不全は今でもほぼ助けられません。多臓器不全に陥った患者は、現代でも殆どが死にます。


傷寒がどんな病原体による感染症であったかは分かりませんが、極めて感染性も高く、かつ致命的な恐ろしい感染症だったことはたしかです。そのような疾患に対して漢方薬だけで治療を挑んだのですから、まさにのるかそるか、一か八かの治療になったのであって、副作用で死ぬことも多かったけれども助かることもあったからこうやった、と言うことだったのでしょう。


「漢方薬は自然の生薬を使うから身体に優しいが、長く飲まなければ効かない」なんて言う人がいますが、本来の姿は全然そんなものではなかったのです。
 

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