女川原発再稼働に断固反対し、廃炉を求めます。

2024/11/30

女川原発が、あの東日本大震災後、ついに再稼働されました。女川町の隣である石巻市に自分のクリニックを置く医師として、私は断固女川原発再稼働に反対し、原発の廃炉を要求します。


女川原発はあの東日本大震災の時、内部電源を全て喪失し、かつ複数あった外部電源も、たった一つを除いて喪失しました。


原発で「電源が断たれる」ということは、つまり「原子炉を冷やすことが出来ない」ということです。


原発では、原子炉内でウランが燃やされ、その時発生するエネルギーを電気に変換します。しかし、ウランが燃やされてエネルギーを発すると、原子炉自体が高熱に晒されます。それを放置すれば原子炉がその熱で壊れてしまうので、原子炉を冷却しなければなりません。その冷却に、なんらかの電源が必要になります。温めるのにも冷やすのにも電源が必要だというのは、皆さんのお宅にあるエアコンと原理は同じです。夏は冷房、つまり室温を冷やし、冬は煖房、つまり温めます。そのどちらにも電力が必要だというのは、原子炉も同じなのです。原子炉は電力を使って常に冷やしておかなければなりません。


その冷やすための電源が、内部・外部全て壊れて喪失した結果起きたのがフクイチの原発事故です。冷やすことが不可能になったので、原子炉は制御不能に陥ったウランの発熱によりメルトダウンしました。しかしあの時、女川原発も、内部電源は全て失われ、複数確保されていた外部電源、つまり原子炉の外から電力を送るルートもそのうちたった一つが残ったために、辛うじてメルトダウンしなくて済んだのです。


極めて際どい事態だったのです。


だから私は、女川原発再稼働には断固反対し、廃炉を要求します。あの大震災の時女川原発の外部電源が一つだけ繋がっていたのは、まさに幸運の為せる技、「たまたま」に過ぎません。我々は既に、あのような事態が起きることを身をもって体験しました。次ぎにあのような、あるいはあれを超える事態が起きたとき、女川原発はそれに耐えうるか。


保証はありません。


この世には、ある程度のリスクがあっても必要というものはあります。例えば自動車がある限り交通事故はなくならないし、飛行機が墜落事故を起こす可能性はあります。しかし自動車や飛行機が存在しない世界は既に我々にとって耐えがたいから、そのリスクは容認するわけです。しかし原発はどうでしょうか。


東日本大震災以降少なくとも10年以上、日本は原発無しに社会を維持してきました。電力需要が危うい夏はありましたが、しかしともかく、原発がなくても我々は10以上を乗り切りました。今では、太陽光発電、風力発電など、代替エネルギーが相当伸びています。それなら、なにも無理に原発を再稼働する必要はありません。



原発というものは、一度ああ言う甚大な事故が起きたとき取り返しが付かないものだと言うことを我々は実際体験しました。仮に風力発電や太陽光発電で甚大事故が起きても、それは少なくとも一つの原発で甚大な事故が起きたときのような事態には到りません。従って、今我々日本人は、原発は放棄すべきです。


10年以上、我々は原発無しに日本社会を維持出来たのだし、10年前と比べたら遙かに大きな電力を他の手段で得ることが出来るようになったのだから、今原発を再稼働させるべき理由はありません。もしあるとすれば、それは単に金儲け、つまり一部関係者の利害だけです。従って、そのような理由で原発を再稼働させることは、断じて正当化されない。だから私は女川原発の廃炉を要求します。

 

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