新版・大学病院の看護婦

2024/12/21


昔私が個人でやっていたKOH’s WHOというHPに「大学病院の看護婦」という文章を載せたら、それを読んだ東北大病院の看護婦(当時は看護師ではなく看護婦だった)が病院にチクり、私は病棟勤務を辞めさせられた。それは名文だったのだが、いまそのKOH’s WHOというHPは消滅し、ウェブ上にも私のパソコンにも残っていない。電子情報の消滅は早い。当時最先端だった個人のHPも、今では過去のもので、そもそもそういう業種自体がなくなったから、そこに載せた多くの文章が消滅してしまっている。しかしこのほど私はたまたま柳瀬義男著「ヘボ医者のつぶやき」を読んで、この「大学病院の看護婦」をどうにかして復活させようと思う。無論、原文は私のパソコンにも残っていないのだから、うろ覚えの記憶を基にし、かつその後の状況変化をも含めた文章にする。以下、新版・「大学病院の看護婦」である。


新版・「大学病院の看護婦」


冒頭でまず、この文章では今の用語である看護師ではなく看護婦を使用することをお断りする。なぜならこの文章の第一版が書かれたときはまだ「看護婦」だったからだ。これは、私が坂操業病院で初期研修を3年間終えた後老年科に入局した東北大学病院で体験し、綴ったエッセイである。


3年間の初期研修を終え、私は東北大学大学院に入学、老年医学講座に入局した。大学病院の診療科では「老年科」だ。


坂病院から大学病院に移ったとき私が一番驚愕したのが看護婦である。


まず、彼ら(彼女ら)は一切仕事をしない。大学病院の看護婦の一番大事な仕事は申し送りと看護研究だ。彼らがやっている「看護研究」なるものは医者の私から覧れば愚にも付かないものなのだが、これが彼らの世界では非常に重要視されるらしい。そして、その看護研究にも勝って彼らが重要視している、いや神聖視していると言った方が良いだろうが、その仕事は「申し送り」だ。朝と夕方、彼らは「申し送り」をする。たっぷり1時間は掛ける。その間入院患者に何かあり、医者の私が彼らに声を掛けると、リーダーがきっと私を睨み「今、申し送り中です!」と私を叱りつける。彼らにとって申し送りとはかくも神聖な業務であり、患者の急変どころではないのだ。


当時大学病院では、注射は全て医者の仕事であった。私よりかなり先輩の医者が当直中、病棟の看護師からNさんのおしっこが出ていませんと電話が来た。その先輩(後に教授になった)が「じゃあラシックス(代表的な利尿剤)一本注射して」と言ったら電話口の看護婦が「注射は先生のお仕事です」・・・ガチャッと電話を切った。


ところが看護婦達は助教授(当時は助教授)以上になると丁重に扱い、教授にはあからさまにおべっかを使っていた。教授回診の時は必ず病棟看護婦長が付く。日頃我々若手の医者を顎で使っている看護婦どものその背後にいて、我々なんぞ歯牙にも掛けない看護婦長殿が、教授回診の時だけ出てきて教授にあからさまなおべっかを使う。覧ていて反吐が出る。


と言うのが若かりし当時私が書いた「大学病院の看護婦」の概要だ。これを私がKOH’s WHOという自分のHPに載せたら、どうやら耳鼻科の看護婦がそれを読み、それは東北大学附属病院看護部上層部に伝わった。そうして、看護部上層部から、つまりは「総看護婦長」から老年科教授に(医師で教授に対して看護婦長から)、あのふざけた医者を外せ、という指示が下り、教授は私を病棟業務から外した。


さて、ここからが後日談だ。東北大学が本物の国立から非公務員型の独立法人になった。まさにその日の朝、私は愕然とした。何故なら、昨日まで各種注射を医者に突き出し「やれ」と命じていた病棟看護婦が突然(そう言えば非公務員型の独立法人になった途端、私は病棟勤務に戻された)、あ、今日の注射は?と訊いた私に対して


「注射は私たちがいたします」と言ったのだ。


いたしますって、それまで看護婦達から一度も聞いたことが無い台詞だった。「これやって下さい、あれやってください」と医者を指示指図していた連中が、突然


「注射は私たちがいたします」。


あ、そう、じゃあお願いね、と小さくつぶやくと共に、私は心中


「屑どもが」とどついた。


彼らは正規国家公務員ではなくなった。その無くなった日の朝から、彼らは看護婦として本来やるべき仕事をきちんとやるようになったのだ。


民間は金儲けだから駄目だ、国民皆が必要な業務は公営にすべきだと主張する人々がいるが、私はまさに「その日の朝」を体験した人間だから、そういう主張は一切無視する。公務員がどれほど屑か、そして同じ人間が公務員から公務員でなくなったとき、どれほど激変するか、私はこの眼で見たからだ。




 

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