己を州(す)とし、他を州とするなかれ

2025/01/13

石巻はまだ田舎だから、ご自分のお寺、所謂菩提寺を持っておられる方が多いでしょう。私なんか墓も寺もありません。

仏教にも色々な宗派がありますが、曹洞宗、ないし禅宗というのは大乗仏教の中では比較的原始仏教に発想が近いのです。道元が言った「仏教を習うというのは己を習うことだ」というのは、法句経(ダンマ・パダ)の有名な語句


己を州とし、他を州とするなかれ
理法を州とし、他を州とするなかれ


を想起させます。


ブッダは自分の教えを文字におこすことも、己の像を造ることも禁じました。なので、世界中の仏典も仏像も、実はみんなブッダの教えを破ってるんですが(^0^)


まあ文字にするのは、そうは言ってもブッダの死後500年も経つと話がわやくちゃになってしまったので、これはどうしても文字にしないとどうにもならんね、と言うことで仏教僧が皆認めて仏典というものに纏めたのです。そういうごく初期(と言ってもブッダの死後500年ぐらいは経っているのですが)の仏典群を「原始仏教」と呼びます。上の言葉はその原始仏教経典の中では割合纏まった内容を持つダンマパダの一節です。


「州(す)」というのは、ブッダが生きていた頃(紀元前500年頃)、北インドでは毎年雨期になると突然大洪水が起こっていたという時代背景から生まれた言葉です。つまり洪水の時必死に逃げる「州」という事です。寄る辺、と解しても良いし、後の人々は灯明と表現しました。


己と理法(この世の成り立ちや仕組みについての理解)が並べられています。無知な己は頼りには出来ません。この世、この社会はどの様に成り立っていて、どう言う仕組みがあって、そしてその中で己はどういう立場に置かれているのか、客観的に観ることが出来てこそ「己」が拠り所になるのです。無知な己を拠り所にしたら人生破滅です。


同源の有名な言葉に『山川大地日月星辰これ心なり』と言うのもあります。しかしこれは仏教概念と言うより中国の伝統的な概念です。つまり人間も含め世界の全ては気の循環だという考えです。中国伝統医学の基本概念でもあります。道元は中国の禅宗から学びましたので、彼の考えには中国哲学も混じっているのだろうと思います。


因みに道元の正法眼蔵は現代語訳されていますが、結構長たらしいものです。私はむしろ、薄い岩波文庫一冊に納まっている「臨済禅」が好きです。道元の言葉も直接ダンマパダから来ていると言うよりは臨済の言葉から学んだものでしょう。
臨済の有名な言葉に


仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、始めて解脱を得ん


と言うのがあります。えらく過激ですが、要するに一切の権威にすがるなと言うのです。一切の権威を捨てて残るのは己だけです。だからこれは要するに法句経に残された


己を州(す)とし、他を州とするなかれ
理法を州とし、他を州とするなかれ


と言うことなのです。


こういう仏教の考え方は、私の臨床、特に心療内科では非常に役に立ちます。経典の文句そのものを言うことは稀ですが、患者一人一人が背負う人生の苦悩に合わせて仏典の言葉を活かせば、患者をハッと気づかせることが出来るのです。


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