石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
あるFacebook Friend申請を断った理由
2025/01/18
Y様
あなたからFBFの依頼を受けましたが、少なくとも現時点ではそれはお受け出来ません。その理由を以下に記します。
私はあなたを全く存じ上げませんので、あなたがどういう方なのか知るために、FBのあなたのページを拝見しました。そうしたらあなたの発言として、「立憲民主党はLGBTの権利や夫婦別姓を主張している」とあり、文脈を読むにあなたはそういうことに反対しておられるようだと私は判断しました。
私はゲイです。そして、私には1998年12月30日の夜に出会って以来のゲイの伴侶がおります。私と彼は、その日以来今日(2025年1月18日)に到るまで、人生のあらゆる苦難を共にしてきました。そのいちいちを全てご説明はしませんが、無論第一にあげるべきはあの東日本大震災です。私たちは仙台に住んでいますから、あの震災を共々経験しました。しかしあの震災は丁度昼過ぎに起きましたので、私たちはそれぞれ別の所にいました。
何度か連絡を試みた末、たった一回、私たちはお互いが無事であるという情報を直接得ることが出来ましたが、その後連絡は不可能になり、実際我々が避難所で再開出来たのは震災から4日経ったときでした。その4日間、私も彼も生き残るのに必死でしたが、しかし一時(ひととき)も相手を忘れたことはありません。4日目に避難所で再開出来たとき、私たちはお互いに人目をはばかり、密かに涙しました。私たちには、あの震災を経て、互いに音信不通になり、4日目にやっと再開出来たとき、人目を憚らず泣く権利・自由すらなかったのです。
今私は60歳、相方は56歳です。その間、人生の危難は数えきれません。それを全て私と相方は手を組んで乗り越えてきました。乗り越えられなかったときは、二人で耐えました。
そう言う私たちがどうして婚約に等しい関係を認めてもらえないのか、私はそういう見解には全く同意しかねます。
私は医師・医学研究者として、とりわけ漢方の現代医学の視点からの効果の検証やその薬理機序の解明について、少なくとも一定の貢献をした人間だと自称する資格はあります。今日本中で認知症高齢者が精神不穏になったとき第1選択薬として抑肝散(よくかんさん)という漢方薬が使われますが、その効果を世界で初めて発見、報告したのは私です。その他にも私は合計49本の英論文になった研究によって漢方・中医学が現代医学の手法によっても有効性が証明されることを世界に発表しました。しかしながら、そうした私の人生は全て、相方が後ろで支えてくれたからこそなり立ったものです。さらに、今私はそうした研究者人生は引退して自分のクリニックを構え、石巻という一地方都市で地域医療に力を注いでいますが、相方はそのクリニックの事務長として多大な貢献をしてくれています。
しかしながら現在の日本の法制度では、相方は単に私が住んでいるマンションの「同居人・居候」でしかありません。私は、順当に行けば彼より先に呆けて死ぬでしょう。私はアル中だから、通常の平均寿命よりはかなり早く認知症を発症し、死ぬはずです。しかしその時、相方が「単なる同居人・居候」であれば、彼には何の生活保障もありません。
すなわち、同性婚という問題は私と相方にとって,ニュースで聞く社会問題ではなく、「我々自身の問題」です。従って、我々、つまり私と相方は、同性婚、あるいは少なくとも社会的な権利義務関係において婚姻と同等の効力を持つ同性間の制度を切に希望し、またその実現のためにささやかながら努力しています。
そういうことですから、LGBT問題に批判的な見解をFBで公にされているあなたからのFBF依頼はお受け出来ません。ご理解戴ければ幸いです。
あなたからFBFの依頼を受けましたが、少なくとも現時点ではそれはお受け出来ません。その理由を以下に記します。
私はあなたを全く存じ上げませんので、あなたがどういう方なのか知るために、FBのあなたのページを拝見しました。そうしたらあなたの発言として、「立憲民主党はLGBTの権利や夫婦別姓を主張している」とあり、文脈を読むにあなたはそういうことに反対しておられるようだと私は判断しました。
私はゲイです。そして、私には1998年12月30日の夜に出会って以来のゲイの伴侶がおります。私と彼は、その日以来今日(2025年1月18日)に到るまで、人生のあらゆる苦難を共にしてきました。そのいちいちを全てご説明はしませんが、無論第一にあげるべきはあの東日本大震災です。私たちは仙台に住んでいますから、あの震災を共々経験しました。しかしあの震災は丁度昼過ぎに起きましたので、私たちはそれぞれ別の所にいました。
何度か連絡を試みた末、たった一回、私たちはお互いが無事であるという情報を直接得ることが出来ましたが、その後連絡は不可能になり、実際我々が避難所で再開出来たのは震災から4日経ったときでした。その4日間、私も彼も生き残るのに必死でしたが、しかし一時(ひととき)も相手を忘れたことはありません。4日目に避難所で再開出来たとき、私たちはお互いに人目をはばかり、密かに涙しました。私たちには、あの震災を経て、互いに音信不通になり、4日目にやっと再開出来たとき、人目を憚らず泣く権利・自由すらなかったのです。
今私は60歳、相方は56歳です。その間、人生の危難は数えきれません。それを全て私と相方は手を組んで乗り越えてきました。乗り越えられなかったときは、二人で耐えました。
そう言う私たちがどうして婚約に等しい関係を認めてもらえないのか、私はそういう見解には全く同意しかねます。
私は医師・医学研究者として、とりわけ漢方の現代医学の視点からの効果の検証やその薬理機序の解明について、少なくとも一定の貢献をした人間だと自称する資格はあります。今日本中で認知症高齢者が精神不穏になったとき第1選択薬として抑肝散(よくかんさん)という漢方薬が使われますが、その効果を世界で初めて発見、報告したのは私です。その他にも私は合計49本の英論文になった研究によって漢方・中医学が現代医学の手法によっても有効性が証明されることを世界に発表しました。しかしながら、そうした私の人生は全て、相方が後ろで支えてくれたからこそなり立ったものです。さらに、今私はそうした研究者人生は引退して自分のクリニックを構え、石巻という一地方都市で地域医療に力を注いでいますが、相方はそのクリニックの事務長として多大な貢献をしてくれています。
しかしながら現在の日本の法制度では、相方は単に私が住んでいるマンションの「同居人・居候」でしかありません。私は、順当に行けば彼より先に呆けて死ぬでしょう。私はアル中だから、通常の平均寿命よりはかなり早く認知症を発症し、死ぬはずです。しかしその時、相方が「単なる同居人・居候」であれば、彼には何の生活保障もありません。
すなわち、同性婚という問題は私と相方にとって,ニュースで聞く社会問題ではなく、「我々自身の問題」です。従って、我々、つまり私と相方は、同性婚、あるいは少なくとも社会的な権利義務関係において婚姻と同等の効力を持つ同性間の制度を切に希望し、またその実現のためにささやかながら努力しています。
そういうことですから、LGBT問題に批判的な見解をFBで公にされているあなたからのFBF依頼はお受け出来ません。ご理解戴ければ幸いです。