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  • 投稿日時:2024/09/21
    震災を受けた能登一帯が台風崩れの低気圧によって洪水で流されている報道を見ていた私の脳裏に、ふとある光景が浮かんだ。


    こうした自然災害で交通機関が麻痺したとき、駅や空港で途方に暮れている人にマスコミがマイクを向ける。「どちらに向かわれるんですか?」


    するとその人は、「明日どうしても参加しなければならない会議が福岡であって・・・」と困惑しきった表情で答える。


    そういう時私は


    「日本人って、分からない」。


    と思う。


    台風なのだ。大災害なのだ。明日の福岡の会議なんか、あなたがどう出来るというのだろう。


    私なら、そしてタイ人なら、こう言うとき一言


    「マイペンラーイ」と言って、弱々しく笑う。それだけだ。だってどうしようもないんだから。


    先日、規模は小さいが似たようなことがあゆみ野クリニックでも起きた。土曜日外来診察中に停電になった。最初はブレーカーが落ちたのかと思ったが、やがて周囲一帯が停電していることが分かった。そう分かった瞬間、私は「あ、そうなんだ」と思い、待合室に残っていた患者さん達に「すみませんが、この一帯が停電しているようです。今日の外来は出来ません」と告げた。「もう薬がないんですが」と言った患者もいたが、私は黙って肩をすくめた。そして従業員達に「仕方ないよ、帰ろう」と言ったのだが、彼らは何故か躊躇している。どうしたの?と聞いたら「だって明日休日当番ですよね、明日も停電したままだったらどうなるんでしょう?」という。


    私は絶句した。明日も停電したままなら休日当番は出来ないに決まっている。だからってその地域一帯の停電の原因が我々に分かるわけもないし、明日復旧するかどうかも分からない。自分に分からないことを何故そんなに心配するのだろう?


    日本人って、分からないなあ・・・。


    私は両親がともに日本人であるという点では、明らかに日本人だ。日本国籍も持っている。しかし大災害で新幹線も飛行機も止まっているとき翌日の福岡の会議を心配して必死の形相になったり、自分には全く手に負えない停電で翌日の休日当番が出来るかどうかを心配する日本人というのは、私には


    「全く理解出来ない」。


    だってそれって、マイペンラーイじゃないか。
     
  • 投稿日時:2024/09/19
    救急搬送をするときでも、患者とご家族だけで行ってもらうときもあれば、看護師を同乗させるときもあれば、医師である私自身が同乗することもあります。


    要するにそれは、救急搬送の中でも「やばさ」の違いがあるという事です。


    まあこれは日赤に搬送だが、当院から日赤まで救急車なら10分以内だから、その間は大丈夫だろうと思えば患者本人と家族だけで行かせます。


    いや、これはちょっとまずいかもと思えば看護師を同乗させます。当院の看護師はその10分の間に何かが必要になれば、それが出来る人ですから。


    しかし医師である私が同乗するときというのは、ようするに救急隊の救命救急士にその場で指示命令出来るのが医師だけだから、です。つまり、毎日修羅場をくぐり抜けている救命救急士に対して「搬送時間10分」の間に医師が指示命令する必要が生じるかもしれない、と考えたときだけ、私が同乗します。


    無論、僻地や離島で医療現場を守っている医師は、救急搬送にはなかなか同乗出来ません。何故なら、その患者に同乗し、戻ってくるまでに他の患者が急変するがその時医師は誰もいないという事がありうるからです。だからそう言うところでは医師はあくまでその場にいて、もし救急隊から指示を仰ぐ連絡があれば電話で対応になります。しかし幸いあゆみ野クリニックから日赤までは救急車だと10分です。だからその10分の間に医師として救急救命士に即座に指示命令を下す必要があるかも知れないと看做したときだけ、私が救急車に同乗するのです。


    指示命令という言葉に反感を持つ人がいるかもしれませんが、本当に緊急なら、必ず「指示命令権」を持つ人間がその場にいなければならないのです。
     
  • 投稿日時:2024/09/15
    来月(2024年10月)から石巻でも接種が始まる新型コロナワクチンの一部に、新しく開発されたレプリコンワクチン「コスタイベ」が使われるという。色々な情報を勘案した結果、今回当院はこの秋の新型コロナワクチン接種は見合わせることにした。


    これまで接種されてきた新型コロナワクチンはmRNAワクチンというワクチンであることはご存じの方も多いと思う。新型コロナウィルスが人の細胞に侵入するために持っている「スパイクタンパク」だけを合成させるmRNAをワクチンとして体内に入れる。


    従来の説明では、ワクチンとして体内に入ったmRNAはただちに分解されるから安全、とされてきた。一方、mRNAワクチンの効果が長続きしないのはまさに同じ理由、つまり取り込まれたmRNAがただちに分解されるからだ、と考えられるようになってきた。あちらを立てればこちらが立たずと言うわけだ。


    そこで、ワクチンとして入れるmRNAが容易に体内で分解されないようにしたというのが今回初めて実臨床で使われるレプリコンワクチン「コスタイベ」だ。レプリコンワクチンの場合は、一度体内に入れたmRNAは体内で自己複製をくり返し、長時間体内に留まるという。だからワクチンの効果が長持ちするというのだが、ちょっと待て。


    そもそも従来、ワクチンとして体内に入れたmRNAはただちに分解されるから安全だ、と言われてきたのではないか。それなら、ウィルスの一部のタンパク質をコードしたmRNAが体内で自己複製を繰り返し、長く留まるなら、従来説明されてきた安全性の理由は覆るではないか。

    iScienceという医学ジャーナルに報告されたこのワクチンの安全性試験を見ると、たった96人を対象に45日間経過を観たに過ぎない。このワクチンは従来のコロナワクチンとは大きく異なる点があるのだから、こんな小規模かつ短期間の安全性確認試験では不十分だ。



    次ぎに、新型コロナワクチンの効果が長続きしないのは、今のmRNAワクチンで体内に取り込まれるmRNAがすぐに分解されてしまうからというよりは、新型コロナウィルスが急速に変異をくり返し、数ヶ月前に打ったワクチンは既に次の変異株には効かない、と言うのが主な原因だろうと思う。


    さらに、このワクチンはどういう製法であれ要するにウィルスを攻撃する抗体を身体に作らせるのだが、新型コロナウィルスは変異する度に抗体の攻撃をすり抜ける能力を驚異的に高めている。これも明らかにウィルスが変異する度に新型コロナワクチンが効かなくなった理由と考えられる。レプリコンワクチンも、「抗体を作らせる」という点では作用機序は同じだ。それなら、どんなにmRNAが体内で複製され長期間留まっても、どのみち作られる抗体をウィルスがすり抜けるなら、感染予防効果はさして期待出来ないだろう。


    厚労省の発表によると、コスタイベのワクチンとしての効果の検証は2023年、δ(デルタ)株が蔓延していたベトナムにおいて16000人を対象に行われ、感染予防効果56.6%、重症化予防効果95.3%と報告された。しかしこの治験はδ株が蔓延している状況で行われたものであって、現在日本で流行しているオミクロン株に対する効果は現時点(2024.9.23)でまだ発表がない。新型コロナウィルスは凄まじいスピードで変異するが、とくにオミクロン株になって以来、ワクチンによって作られる抗体の攻撃をすり抜ける能力が比較的に高まった。従って、デルタ株が主流であったベトナムでの治験は現在日本で流行しているオミクロン株の変種に対する効果を証明しない。さらに、この治験が行われたベトナムすらこのワクチンを認可せず、今のところコスタイベを認可したのは世界中で日本だけだ。


    このような状況を総合して、私は石巻市と石巻市医師会に「あゆみ野クリニックはこの秋の新型コロナワクチンを見合わせる」と通知した。なお、レプリコンワクチンであっても接種するのはスパイクタンパクを作るmRNAだ。mRNAやそれが作るスパイクタンパクが感染性を持つわけではないから、一部の人々が主張するような「レプリコンワクチンを接種されると他人にコロナウィスルを感染させてしまう」という主張には根拠がない。従って当院は、レプリコンワクチンを接種した人の来院制限などは行わない。


    そもそもファイザーからもたらされた、コスタイベではない従来改良型ワクチンの「効能効果」にも「本薬剤の効果持続期間は不明」となっていて、私はそれを読んだ時点でかなり消極的になっていたのだが、さらにレプリコンワクチンが一部使われる,しかもそれは上に説明したような代物だということなら、少なくとも今回は見合わせた方がいい。安全性、有効性が共に疑問なワクチンは、市民に接種出来ない。

     
  • 投稿日時:2024/09/15
    「石巻が好きです」というグループで私が遭遇した馬鹿ども。


    「石巻が好きです」というグループで、あまりに馬鹿馬鹿しい私に対する攻撃が多かったから、そのグループを抜け、


    「要するに、馬鹿しかいない」。


    と書いた。


    すると鹿股孝裕(https://www.facebook.com/profile.php?id=100080315450449&comment_id=Y29tbWVudDo4Mzc5NDkzMTg1NDY0MDg2XzIyOTUxMzI2NzQxNjYyNTE%3D)なる馬鹿が、


    [
    「一括りでおっしゃる必要が有るのかなぁ?」


    とコメントしたので、


    「では一人一人、論ってやろう。別投稿でな」


    と返したところ、此奴は


    「好きにしな。お前のターゲットにはならんわ。笑」


    と返してきた。つまり、鹿股孝裕は石巻の野蛮な馬鹿の一人であった。


    ごとうまこと(https://www.facebook.com/profile.php?id=100010965586722&comment_id=Y29tbWVudDo3OTM3NDI1MDgzMDM1OTQ3Xzc5NTM1ODA2MzE0MjAzOTI%3D)
    は、女川から来た老婆についてきた私の「老婆の呟き」という投稿に対し、


    「私は震災前牛乳の営業で女川を回ってましたが今の女川が変には見えないがこの人には珍奇に見えるのかね。街の作りはそこに住む住民の方の判断だし他所の人が軽々しく判断すべきものではない。観光客を呼ぶのが悪い事とは思えないしあの商店街で頑張っている人達に失礼だと思うよ! あと医者ならお年寄りの個人情報及び老婆じゃなくおばあさんとかで呼ぶべきでは?この人の医者としての見識をちょっと疑います」


    と抜かした。まさに、馬鹿だ。


    そもそも、私がこのグループを抜けたきっかけを作った人物は阿部 嘉寿であり、気仙沼市立病院の移転にあたって患者の個人情報漏洩が起きたという記事を元にした私の投稿に対して、「石巻人は馬鹿だといいたいだけ」というコメントを付けてきた。またこの阿部 嘉寿は「馬鹿と貧乏人街、石巻に都で落ちでようこそ。」とも言ってきた。


    現在この阿部 嘉寿は私をブロックしており、こやつのプロフィールを私が覧ることは出来ないが、此奴に対し、「あなたは生涯一度でも石巻以外で生活したことがあるか?」と私が問うたところ、阿部 嘉寿は


    人生の2/3は石巻以外だった、と答えた。ところが私がこの者のプロフィールを見たところ、生まれた場所も住んだ場所も、石巻としか書いていない。


    人生の2/3は石巻以外だったと言うが、あなたのプロフィールには生まれも住んだ場所も石巻としか書かれれていないが?」と問いただしたところ、阿部 嘉寿は「俺は船乗りだ。だから人生の2/3は船で過ごした」・・・。


    そこで管理人が割って入ったので私が

    私が激しく相手を攻撃したのは還暦にもなった身として反省すべきでした。しかしこの人は再三再四、これまでも私の人格攻撃をくり返してきました。「あなたの人間性が嫌いなだけだ」とかね。私はこれまで出来るだけこの人物の下らぬ発言は無視してきたのですが、あまりにも度重なるので「ここで一度は叩いておこう」と思ったのです。お騒がせして失礼しました。


    と管理人にわびたところ、石巻市議会議員である原田豊(https://www.facebook.com/haradayutaka124)が私のその発言をあげつらい、

    「私が激しく相手を攻撃したのは還暦にもなった身として反省すべきでした。お騒がせして失礼しました。」と私の文章を模範解答に添削した、と抜かした。なんという馬鹿だろうか。こんな若造が私に向かって「模範解答を添削した」とは!


    最後に辻久子(https://www.facebook.com/groups/233613273417205/user/100006940721898)なる馬鹿は、私の発言に対し文章ではなくイラストで帰してきたので、「そちはどうやら、一単語を書く能力もないというわけだのう。無能とは哀れなものだ。」と返したところ、「文章が書けないのが悪いのか(この一言は、さすがに恥ずかしいと思ったのか、今は削除されている)」と言い放った。


    なんと無数の馬鹿どもがいることか!およそ、馬鹿が堂々と幅を利かせているのが石巻という街だ。



    だが問題は、このように馬鹿だけで成り立っているというのが、石巻だけではないという事だ。日本中の殆どが、このような馬鹿で成り立っている。

    「政府が悪い」などと言うが、そもそもの日本国民一人一人が、このような馬鹿どもなのだ。これでは、まともな政府など、出来るわけが無い。








     
  • 投稿日時:2024/09/13

    女川からある老婦人がご家族に連れられて受診してきました。その方は一人暮らしですが、昼寝から目が覚めた時など、「あれ?さっき娘がいたはずだ」と思い、探し回るのだそうです。娘さんは車ならそう遠くはないところに住んでいて、頻繁に様子は見にきますが、同居はしていない。それで家族が「どうも変だ」と言って物忘れ外来がある当院に連れてきたのです。

     

     

    認知症のスクリーニング検査(MMSE)をやりましたが正常。高齢者鬱尺度も正常。「老年期妄想」というのもありますが、うーん、というわけ。

     

     

    ところがその時、ご本人がポツリとつぶやいたです。

     

     

    「みんないなくなっちゃったから」。

     

     

    そうです。女川町の人口は震災直前の1万人から、今5千人まで減っています。珍妙なほど豪華に再建されたのは駅舎と、町役場と、駅から港に通じる一本のショッピングストリートだけ。そこを一歩出れば、昔から衰退が止まらない田舎町のままです。

     

     

    「だけどあの駅前の通り、ずいぶん華やかになったじゃない」と私がいうと、おばあさん「あそこにお客さんが来るのは、週末だけよ」と。

     

     

    そうなんです。あの通りって、要するに観光客狙いです。平日はがらんとしているのです。

     

     

    どうやらそのお婆さんは認知症でも精神異常でもないようです。彼女は、寂しさが募っているのです。その寂しさが昂じて「娘はどこに行ったんだろう」ということになってしまうようです。

     

     

    女川は「復興のフロントランナー」などと持て囃されましたが、現実はこの老婆の一言が全てです。

     

     

    「みんないなくなっちゃったから」。
     

     

     

  • 投稿日時:2024/09/09
    当院心療内科によく来る女性(奥様)。夫が家事を全く手伝ってくれないというお悩み。


    当然その人が私の患者なんだから(つまり診察料を払ってくれるのだから)、私はさももっともらしく「そうですね」と頷くが、実は心の中では「そんなの無理」と思っている。


    男にとって必要な家事はただ一つ、子供の養育だ。これは男にとってもいの一番に重要だ。しかし、洗濯だ、掃除だ、食器洗いだ、ゴミ出しだ、風呂の掃除だ、何だかだ・・・と言うことに関して、男と女の価値観は初めから、おそらくは生まれつき、異なる。


    男子学生のアパートに行けば分かる。ゴミはほったらかし、掃除?さあ、そう言えば掃除機あったっけ?洗濯なんてものは、全自動洗濯機に全部放り込んで乾燥させ、部屋の片隅に積んでおく。これは乾燥機で良いがこれは生地が傷むからだめ、これはガーゼでくるむなんていう価値観は、男には最初から、ない。破けたら次の安いのを買えばいいのだ。ある学生時代の友人が言っていたが、自分は学生で高い乾燥機なんか買えないが、なあに、一週間ぐらい干しておけばいつかは乾くさ。別にそれで下着にカビが生えたって、そんなカビに害はない。


    食器洗い?そもそも男にとって、食器は食うものじゃない。喰うのは食器の上に置かれた食い物であって、食器は喰えないのだから、レンチン出来ればそれでいい。逆に、どんなに高級な食器でも、レンジでは使えませんなんてものは男は買わない。レンチン出来るかどうか、なのだ。


    例外はあれど、ほとんどの男にとって、家事とはそう言うものだ。要するに、どうでも良いのだ。だから奥さんが「ウチの旦那は全然家事を手伝ってくれない」と嘆いても、旦那としては家事なんか「どうでも良いもの」だから手伝わない。旦那から見れば、妻が家事をやるのは妻の趣味ぐらいにしか思って無い・・・そして、実は私もそう思っている。


    しかし、子供がいるのに、そして夫婦ともに正社員、正職員として仕事と収入があるのに、子供の世話は全部妻、と言うのは許せない。子供というのは、夫婦二人の子供だ。妻だけの子供ではない。まして夫婦共々正社員・正職員なのであれば、社会的責任も同じだ。それなのに子供が熱を出しても常に妻にそれを押し付ける夫がいる。こういうのはアタマがおかしい、と私は思っている。


    子供の世話だけは、両方でやれ。

     
  • 投稿日時:2024/09/01
    緑茶は、生薬としては「清熱薬」です。熱を冷ます。ツムラのエキスでは、川芎茶調散(せんきゅうちゃちょうさん)に入っています。


    川芎茶調散は軽い風邪で微熱気味の時に使うのだそうですが、実は私は一回も処方したことがありません。軽い風邪気味なら、桂枝湯も香蘇散もあります。少し咳が出るなら参蘇飲でも良いでしょう。どうしてもこの人は川芎茶調散だという患者は、あまりいないのです。


    清熱薬として使うお茶は,必ず緑茶です。ウーロン茶でも紅茶でもありません。


    ところがついさっき、私は用事で街に出て、この残暑などとは到底呼べない猛暑の中、ちょっと商店街にあったお茶屋に入って茶を一杯所望しました。


    冷たい緑茶が一杯供され、それを飲んだ途端、私は汗と暑苦しさがスッと退くのを覚えたのです。なるほど、これが緑茶の清熱か、と納得しました。


    緑茶が清熱薬だというのは、おそらくこういう経験から出たのでしょう。これは冷たいウーロン茶でも紅茶でも経験出来ません。冷たい水でも無い。やはり、冷たい緑茶なのです。しかも不思議なことに、ペットボトルの緑茶を冷蔵庫で冷やしても、こんな「すっと汗が引く」感覚は起きません。無論ペットボトルの緑茶だって水分は補えますから、当院にはペットボトルのお茶、ウーロン茶、お水を常備しており、待ち時間が一時間を超えた人は必ずこうしたものを配るようにしています。しかしこの、淹れ立ての緑茶を冷やしたものを一杯、と言うのは、格別です。


    つまり緑茶の清熱作用というのは、実際に発熱しているとき解熱剤になる、と言うことではないようです。コロナで38℃の熱がある人に冷たい緑茶を飲ませたって、一瞬ほっとするかも知れませんが熱は下がりません。しかし、こう言うめちゃくちゃ暑い日にそっと冷たい緑茶を一杯出されると、それをゴクリと飲んだ瞬間、すっと汗が引くのです。


    今日は、緑茶という生薬の薬効を身をもって体感しました。
  • 投稿日時:2024/08/31
    「通院精神指導をした人は誰だったか」


    昨日、20代半ばの女性が心療内科を初診しました。その人の話を聞いているうちに、私は「そうか、この人の相手は、私より事務長がいい」と思いついたのです。それで、窓口にいた事務長に「おーい、ちょっと来てくれ」と呼びました。



    事務長というのは、事務長です。事務屋であって、患者の相手をする役目ではありません。しかし私はその患者さんの話を聞いているうちに、この人の相手は事務長がぴったりだ、と直感したのです。


    その人は大卒で、最初勤めたところが無茶苦茶なところだったためお決まりの鬱を発症してしまいました。マジでしっちゃかめっちゃかな会社だったようです。しばらく休職して病が癒えた後、とある会社に再就職しました。今度はしっちゃかめっちゃかではありません。大卒の人が勤めるのにふさわしい大手です。


    しかしその人はその間数年ブランクがあったため、事実上新卒なのです。これまで全く自分が知らない業界に入って、0から仕事をスタートした。周りの人たちは親切で、「分からないことがあったら何でも訊いて」と言ってくれるのですが、どうもその人、最初の会社のトラウマが残っていたようで、次第に自分があれも出来ない、これも出来ないと自分を責め始め、遂に「廻りは如何にも親切そうに言ってくれるけれども、本音では自分を蔑んでいるんじゃないか、こんなことも分からないのかと思っているんじゃないか」という鬱の連鎖に陥ってしまったというのです。


    そこまで聞いて、あ、この話は事務長だ、と直感したのです。


    当院事務長は、もうご存じの方もいるでしょうが、私の相方、つまり人生のパートナーです。私が勤務医として高給を貰っていた間、彼は一度も医療に関わったことはありません。しかし去年3月、私が突然あゆみ野クリニックの経営をやらなければならなくなったとき、経理を始めとする諸般の事務をやってくれる人を雇う金がありませんでした。窓口の人と、クリニックの経理その他をやる人は違います。経理は、どうしたって本当に信用出来る人間にしかやらせられません。でもそういう人は、かなり高給を出さなければお願い出来ないわけです。無論私自身複雑な保険請求の仕組みは分かっていませんでしたからコンサルタントをお願いし、また会計や税務は会計士、税理士にお願いしましたが、会計士に日々のお金の出し入れから全部やって下さいとなれば、それはものすごい料金になってしまいます。どうしても、日々の金の出し入れは自前でやり、領収書等々必要な書類は整理して、その結果を会計士に出して会計士が収支の一覧表を作り、「今月も売り上げが足りません」とやるわけです。ところが、そういう日々の金の出入りをやりつつよろず雑務をやってくれる人を頼むお金がない。そこまで自分でやるとなれば、私が潰れてしまう。それで私は、相方にやって貰うことにしたのです。


    しかし彼はこれまで、医療という分野には一度も関わったことがありません。最初に彼が訊いてきたのが、1点って何?でした。これには、私が愕然としました。私は医者ですから、保険医療の込み入った計算は分かりません。しかし医療の世界では、1点は10円のことだ、と言うのは常識として知っていました。皆さん医療機関や薬局から貰う領収書や明細書を見てください。すると、金額で書いてある部分と点数で書いてある部分があります。1点というのは10円のことです。これは、医療、福祉、介護業界では1+1=2と同じぐらいの常識なのです。だから、相方事務長に「1点って、何?」と訊かれたとき、私が呆然と立ちすくんだその理由が、逆に彼には分からなかったという話を、後で本人から聞かされました。要するに、赤信号と青信号の違いを知らない人を運転手にしたと同じだったのです。


    相方事務長は去年の7月から当院の専属事務長になりました。丁度1年と1か月が過ぎたわけです。その間、なんど家に帰ると私が彼に怒鳴り、頭ごなしに否定し、わめき散らしたことか。


    何しろ、他の従業員には一切私は自分の本当の感情はさらけ出せないわけです。最初の3か月なんか、まさに毎日胃がキリキリ痛んで、私は比喩とか例えではなく本当に、ものが喉を通りませんでした。3か月で20キロ痩せました。銀行の口座の残高は音を立てて消えていきますが、患者は増えない。当然、収入もない。しかし出るものはどんどん出ていく。


    人生で、一番真剣に自殺を考えた3ヶ月間でした。


    そういう時、家でもクリニックでも私に付き合わされたのが相方事務長と言うわけです。しかも彼は、1点が10円だという事すら知らなかった。


    まあこういうケースというのは、普通はどちらか、あるいは両方が潰れて終わるんです。最初からめちゃくちゃだったんだもの。


    私が一番「もうこれは無理だ」と思ったのは、二人で疲れ果てて仙台の家に戻ったとき、彼が「今夜はこれだよ」と言って出したトウモロコシ一本を見たときでした。一人一本じゃないのです。二人で一本。相方は心底疲れ果てており、冷蔵庫に置いてあったトウモロコシ一本をチンして出すのがやっとだったのです。お腹空いてるならカップラーメンあるから、と言われましたが、私もそのカップラーメンを喰う気力すらありませんでした。


    しかし最近私は、どうも今、私が知らないところで相方事務長がクリニックを動かし始めたことに気がつきました。大抵のことは、彼と看護リーダーが相談して動かしており、「これは」ということだけ私の判断を仰ぐようになっているようです。


    それで、「鬱から立ち直って全く知らない業界に入ったら右も左も分からなくて混乱してしまった」というその患者さんに、私は相方事務長を呼び、彼に患者さんの話を聞かせました。そうしたら、彼は驚くべきことを言い出しました。


    うん、私も、急にここの事務長をやれと言われて、何にも分かりませんでした。何もかも分からず、とても困ったのです。


    まさに私が毎日彼を罵詈罵倒していた頃の彼の気持ちを語り始めたのです。


    それで、どうしようかと悩んだあげく、ノートを付けることにしたんです、と彼が言うのです。


    たしかにこれまで、私は二人して疲れ果てて仙台の自宅に戻ってくると、彼が寝る前にいつもノートに何かを書いていることに気がついていました。時々「お前、何を書いているんだい?」と訊きましたが、彼は答えません。まあ、日記みたいなものだろうかと、私もいつしか尋ねなくなりました。ところが昨日、その患者さんを前に彼はこう言ったのです。


    毎日ノートに、「今日自分が出来たこと」を書くようにしたんです、と。


    出来ないこと、失敗したことを挙げだしたらきりが無いから、今日初めて自分が出来たことを、どんなに些細なことでも、ノートに書くようにしたんです、と言うのです。


    私は脇でそれを聞いていて、初めて「そうか、そうだったのか」と心底なんとも言えない気持ちがこみ上げてきました。毎日毎日家に帰ると私が彼を罵詈罵倒していた頃から、彼は毎日黙って「その日初めてやれたこと」を書いていたのです。


    これには、その患者さんも驚愕したようです。それまでうつむいて、相手の目をそらしていた彼女が初めて相方の顔を真っ直ぐに見て、話に聞き入りました。相方は淡々と話し続けます。


    自分は医療なんか何にも知らなかったから、毎日失敗だらけだったんです。毎日毎日、訳が分かりませんでした。でもそればかり考えていたら、潰れてしまいます。私はこれまで随分いろんな仕事をしてきたので、「自分が仕事について何も分からないときはどうしたら良いか」は知ってたんです。それで、私は毎日仕事が終わると、その日自分が何を初めて出来たかを書いて、一ヶ月ぐらい毎にそれを見返したんです。仕事を始めて一年ぐらいは、誰だって何も分かりませんよ。ええ、私は随分色々な仕事をやりましたが、最初の一年ってのは、誰も何も分からないです。だから最初の一年は,何も分からないのが当たり前ですから、それを気にしない方が良いですよ。


    もしこれが私の言葉だったら、その患者さんにこれほどまでには突き刺さらなかっただろうと思います。彼が語ったことは平凡ですが、まさに彼の人生の苦労が語った言葉でした。だからこそ、その言葉は真っ正面から患者さんの心に達したのです。


    結局その患者さんは、かなり表情が明るくなり、何もお薬は出しませんでした。またいらっしゃい、と言って帰しました。相談料、正式には「通院精神指導料初診6千円」は今回は私ではなく、相方事務長が貰うべき料金だったようです。


     
  • 投稿日時:2024/08/22
    今日発熱外来に来た患者さん、コロナは陰性。朝から下痢というので昨日の食事を尋ねたら、朝おにぎり一個、昼コンビニでおにぎり一個、夜はカップラーメン。


    「毎日そんな食事なんですか」
    「いえ、もう疲れ切って食べる元気もなくて」
    「なんのお仕事ですか?」
    「訪問看護師です」。


    連日この猛暑の中訪問看護をやって、遂に精根尽き果てた、と言うことだった。


    とりあえずクリニックに入れて点滴したが、点滴一本ぐらいでは彼女は回復しなかった。本当に、本当に限界だったんだと思う。熱中症、脱水症で三日間休業という診断書を出し、水分は取れるようだから家で休んでも良いし、点滴した方が良いと思うなら明日も明後日も点滴するから、と言って帰した。処方はしばらく迷った末、白虎加人参湯ではなく真武湯にした。精も根も尽き果てた下痢だから真武湯。
  • 投稿日時:2024/08/19
    この夏、コロナが再び大流行しています。ここ数年、私は漢方でコロナを治療してきました。ところが去年の夏頃から「どうもこのコロナ患者は、日本漢方では上手く行かない」と感じる患者が増え、今年の夏の流行ではそう言う「日本漢方では治療が難しいコロナ患者」が大多数を占めています。それは何故かという理由をご説明します。


    漢方では、発熱を伴う感染症を大きく二種類に分けます。傷寒(しょうかん)と温病(うんびょう)。最大の違いは、最初の発熱に伴って悪寒(さむけ)すれば傷寒、悪熱(ほてりを感じる)すれば温病。


    発熱と同時に寒気を感じる傷寒は古くから認識されて、有名な傷寒論という本に病態と治療法がきちんと纏められています。しかしこの夏のコロナのように、高熱が出ると同時に患者が暑い暑いと熱感を訴えるのは傷寒ではなく、温病です。


    温病(うんびょう、ウェンビン)という概念はかなり古くからあったのですが、本格的に研究が進んだのは相当遅く、清代でした。清代に温病の病態、病気の進行の解析、治療法などが確立しました。その知識は、江戸時代後期から末期の日本にはほぼリアルタイムで伝わっていたのです。


    しかし、日本が明治維新の時伝統医学を捨ててしまい、事実上我が国で伝統医学が途絶えた後、伝統医学の復興を試みた人々が、何故か傷寒論に非常に偏って重きを置く人々でした。彼らは古代の傷寒論こそが正しくて、中国の後世の医学は取るに足らないと看做したのです。それで、江戸末期までは温病学(うんびょうがく)も日本に伝わっていたのに、その知識は復活しませんでした。昭和の頃に漢方エキスが保険収載された頃もそうでしたから、今日本の保険適応漢方エキスには温病の治療薬がほとんど入っていません。しかも、今でも日本の漢方医学を代表すると自認する日本東洋医学会も、未だに傷寒論に偏った考えを持つ人が中心なのです。それで、今のコロナのように真夏に高熱が出て、患者は暑い暑いと苦しむ、まさに温病という場合に日本漢方のエキス処方では対応が極めて難しい。


    本来なら、中国伝統医学が現代中医学に進歩し、多くの臨床的エビデンスが蓄積されるようになった今、そうした新しい処方(中成薬)もきちんと審査を経て我が国でも保険収載すべきだと私は考えています。しかし一度そういうことに手を付けると、昔エビデンスがないまま(と言っても昭和の頃の臨床研究なんか、手法からして未熟だったんですが)、当時の医師会長武見太郎の鶴の一声で150近い処方を保険収載したという「既得権」が揺らいでしまいます。どうして新しい中成薬はきちんとエビデンスを提出させて採用審査を受けるのに、現状の漢方エキスは一切エビデンスがないまま保険適応を続けるのかという話に、必ずなります。だから本当なら温病には新しい中成薬を保険審査して使うべきだと分かっているのに、製薬メーカーも国もやろうとしないし、中国のメーカーから見れば日本はやたら審査が厳しい割に市場としたら小さいから、敢えてそんな面倒はしません。東洋医学会が代表する日本の漢方医も、自分たちの小さな既得権を失いたくないから、そう言う話には背を向けます。


    しかしこのままでは、まず今のコロナ患者を漢方では救えません。これは医療の本質に関わる、倫理上の大問題です。しかも、このまま手をこまねいていれば、日本だけが伝統医学の領域で世界に取り残されてしまいます。中国、韓国、日本で、それぞれの国の伝統医学領域に関する英論文が一番少ないのが日本です。


    しかし、日本はそもそも、海外からの有用な情報は何でも取り入れて発展してきた国です。ところがどうして伝統医学の領域では、ごく一部の漢方医と漢方薬メーカーの既得権益にしがみついて、新しい中医学の成果を拒否するのでしょうか。その結果、コロナが伝統医学では治療出来ないという臨床的な問題が発生しているのです。


    欧米の薬なら、一人分数億という薬ですら認可するのですから、中国のエビデンスがしっかりした中成薬は当然適切に審査して、保険適応すべきです。何故そうしないのでしょうか。


    まったく理解に苦しむ話です。

     

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