ブログ

  • 投稿日時:2023/10/14

    治療って、まず診断して、薬を出すのならその薬の効果と副作用を考えて、こういう診断ならこの薬を出そう、と考えます。それって当たり前の話で、どこの医者もそうやってるはずですが、なぜか漢方薬だけは診断できなくても患者に出せると思い込まれている節があります。

     

     

    ある中年女性が、下痢が止まらないと言って受診してきました。胃腸科で検査されて異常はなく、いわゆる「過敏性腸症候群」だろうと言われ、ツムラの「桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)を出されたが良くならないというのです。もちろん普通の下痢止めも出されています。

     

     

    私はその人を漢方のやり方で診察し、「脾腎両虚、脾の裏寒」と診断しました。これは漢方の診断です。そして患者さんに、「あなたの下痢は桂枝加芍薬湯で治ります。ただし一つだけ生薬が足りないのです」と言い、桂枝加芍薬湯にアコニンサン錠というものを合わせて飲んでもらいました。1週間分しか出しませんでしたが、その人は翌週外来に来て、「おかげさまで下痢はすっかり止まりました」というわけです。

     

     

    脾だけが虚していれば桂枝加芍薬湯で良いのですが、脾腎両虚となるとアコニンサン錠、つまり附子を加工したものを足さなければなりません。

     

     

    漢方医学というのは私が医学部の学生だった頃は「医学ではない」とみなされて一切教えられませんでした。今は医学部でほんの数時間漢方の授業がありますが、6年間のうち数時間ですから、それで漢方医学が理解できるはずがありません。ところが今9割以上の医者が漢方薬を処方しています。西洋薬なら西洋医学を1からきちんと順を追って学び、診断学を身につけ、さらに薬理学、つまり薬についての知識も身につけて初めて患者に薬が出せるというのは医者なら皆当然そう考えているはずなのに、漢方薬は漢方医学を知らず、したがって診断もつけられず、一つ一つの漢方薬についての知識も全くないのに患者に処方できると医者が考えているというのは、どうも不思議でなりません。そんなことって、できるわけないのです。

     

     

    漢方医学を知らず、漢方薬の知識もないまま漢方薬を出すと、もちろん効かないのですが、効かないだけでなくとんでもない副作用を起こすことがあります。

     

     

    ある高齢女性は血圧が高く、普通の降圧剤でどうしても下がらないので漢方でどうにかならないかと言って受診されました。前の医者の処方を見ると、葛根湯が一日3回毎日30日分、それがずっと出されています。それで、あなたの血圧が下がらないのはこの葛根湯のせいだから、すぐやめなさいと言いました。その人は慢性の肩こりで葛根湯が出ていたのですが、私は漢方の診断をして、この人は漢方でいう「血於」であると診断し、疎経活血湯を飲んでもらいました。次に受診された時、患者さんの血圧は正常化していました。葛根湯には麻黄という生薬が入っていて、麻黄にはエフェドリンという成分が含まれていますから、葛根湯を毎日毎日朝昼晩飲み続けたら血圧は上がります。そればかりでなく、高齢者なら幻覚を起こすことだってあり得ます。あれは風邪の初期に1日か2日さっと飲むものであって、毎日ずっと飲んじゃダメなんです。

     

     

    診断学も薬理学も知らないのに患者に薬が出せるなんて、あり得ないです。漢方医学を学んだこともなく、葛根湯に麻黄という生薬が含まれているという基礎的な知識もない医者が出す漢方を飲んじゃダメです。危ないんだから、そういうのは。

  • 投稿日時:2023/10/13

    患者さんから許可をいただいたのでプライバシーを伏せて紹介します。


    30代男性、既往歴なし、建設現場作業に従事する人。

    9月8日当院でコロナと診断。発熱など急性期症状の後息苦しさ、食欲不振、痰が絡むという症状が続いた。汁物とカップラーメンぐらいしか食べられず、仕事で高所作業をすると足がふらついた。9月20日これらの症状で当院受診。息苦しさ訴えるも動脈酸素飽和濃度正常、レントゲンで異常なし。中国伝統医学(中医学)で脾虚痰飲(ひきょたんいん)と弁証し補中益気湯と二陳湯を処方したところ、本日(10月13日)来院、すべての症状は消失し、職場復帰したと本人から報告があった。

    実は私もコロナ後遺症と考えられる後鼻漏で悩んでいますが、当院でコロナ後遺症が完治したのはこの方が2例目です。1例目は6ヶ月以上続く激しい空咳で、煎じ薬で五虎湯に麦門冬30gを加えて一回で治りました。しかし残念ながら全く治せない方もかなりおられます、というより私自身の後鼻漏が全然治らないんですけど。


    今の所コロナ後遺症はこうして一例一例を積み重ねていくしかない状況です。

  • 投稿日時:2023/10/06

    これは石巻市内及びその周辺で実際に行われている診療なので、思い当たる人は「ギクっ」としていただければいいのです。風邪にグレースビッドとかメイアクトなどの抗生物質を出している医療機関があります。ある医療機関ではどうやら約束処方に入れているらしく、そこがかかりつけの患者さんのお薬手帳を見せてもらったら風邪を引くたびに毎回グレースビッドが出ていました。


    風邪というものはウィルスによる疾患であって細菌ではないのから抗生物質は不要だという理解が一般にも広まったのはコロナの皮肉な効用です。しかし患者が知識を獲得したのに医者の方があいも変わらず風邪に抗生物質を出していたのでは、話になりません。


    風邪に抗生物質を出す医療機関がどんな抗生物質を出しているかを見ると、苦笑いを通り越してゾッとすることがあります。


    セフゾン、メイアクト、セフスパン、トミロン、バナン、フロモックスは苦笑い系です。これらはまとめて「第三世代セフェム」と呼ばれるグループの抗生物質ですが、このグループの抗生物質は口から飲んでも吸収されません。ほとんどうんこになって出て行きます。どうせ吸収されないから副作用もないかというと、吸収されなくても腸管細菌叢は壊します。だから下痢はするんです。風邪はウィルス性疾患ですから抗生物質は一切不要なんですが、下痢は起きます。苦笑いするしかない系統です。


    もっとも第三世代セフェムの注射剤である「セフトリアキソン(ロセフィン)」は大事な薬です。腎盂腎炎をクリニックで治療するときはこの注射を約1週間1日一回注射します。外来で朝夕2回通ってもらうのは無理なので、「1日一回」というのは重宝します。飲み薬は無意味ですが注射は大事、というのが「第三世代セフェム」です。


    苦笑いを通り越し背筋が寒くなるのがクラビット、グレースビッドなど「ニューキノロン」系の抗生物質です。ニューキノロン系の抗生物質は、めちゃくちゃ色々な微生物をやっつけます。「皆殺し」系です。しかし「何でも効くんならいいじゃないか」では無いです。いくら色々なものをやっつけるといっても要するに抗生物質ですから、ウィルスには効果がありません。風邪に出すのは無意味です。しかしそれで私の背筋が寒くなるわけでは無いのです。


    クラビットやグレースビッドは結核菌にも効くのです。これがまずいのです。なぜならこれらの薬は結核菌を若干弱らせますが、完全に叩くわけじゃありません。中途半端に効くのです。最近日本では高齢者を中心に結核が増加傾向にあります。発熱、咳などを呈する患者に「風邪」と誤診してクラビットやグレースビッドを出すと、それが本当は結核であったとしても中途半端に良くなります。よくなった、治ったと勘違いしたら大変です。完全に治す力はないからです。要するにこういう抗生物質を風邪に出していると、結核を見逃します。

     

    またこれらニューキノロンはやたら色々な細菌に効きますので、こういう治療を繰り返していると「多剤耐性菌」が出てきます。細菌が突然変異を繰り返して抗生物質が効かない菌になるのです。ニューキノロンがたくさんの細菌に効くだけに、ニューキノロンによる多剤耐性菌は無敵の菌になります。どんな抗生剤もへっちゃらだぜ、という細菌ができるのです。ニューキノロンは抗生物質の専門家でない限り、使うべきではありません。


    先日当院で肺炎と診断し、「軽症ですから入院ベッドがなければ当院で診ますよ」」と紹介状に書いて日赤に送った患者さん、ご家族に「どうなりました」と電話したら「抗生物質を出されて返されました」とのことです。サワシリンかアモキシシリンのどちらかとオーグメンチンが出ましたね、と言ったら「その通りです」というので、「ではそれで結構です。1週間後に来てください」、と言いました。普通に社会で暮らしている方がかかる肺炎はほとんど肺炎双球菌によるものなので、この二つのペニシリンで良いのです。なぜペニシリンを二種類合わせるかというのは専門的な話なので省略します。膀胱炎ならケフレックスかバクタです。膀胱炎は大腸菌と相場が決まっていますから。


    風邪に闇雲にグレースビッド出しても医者は儲かるし、こうしてきちんと使い分けても一文にもならないのですが、本音を言うとこう言う「まともな診療」を医療報酬で評価してくれたらいいのに、とは思います。 

  • 投稿日時:2023/10/04

    今日、ある障害を持つ方のご家族から当院受診のご依頼がありましたがお断りせざるを得ませんでした。

     

    「障がい者も認知症の高齢者も精神疾患患者もなるべく在宅で、地域で」というスローガンは聞こえがいいですが、それではそういう人が家で暮らせ、地域で生活できるような社会の仕組みがあるんですか、と思います。私は老年内科として認知症も見ているし、仙台西多賀病院で重症心身障害者病棟の主治医も3年やったし、名取熊の堂病院という精神病院の副院長もしましたが、その中でどうにかこうにか在宅の仕組みが整えられているのは認知症高齢者だけです。それもかなり不十分ですが。

    精神疾患の方や重度心身障害、発達障害の方が家で暮らそうとしたら、結局家族にものすごい負担がかかります。お金の問題はもちろんですが、障がい者病棟や精神病院はそういう人を1箇所に集め、そこに様々な専門家を取り揃えているからこそそういう人を見ていけるのです。ああいう人たちが家庭や地域で暮らしていけるだけの仕組みなんか、何もないじゃないですか。

    実際そういう人を知らずに理想論を振り回すのは正直やめてくれ、と思います。単に親切にするとか理解を示すとかいう話じゃないんですから、ああいう人に対応するということは。ご家族も最初はどうにかして家で見たいとおっしゃいますが、結局ご家族も年をとります。そうすると、どうすることもできなくなるんです。私はそういう現実を見てきているので、「社会投資もせず、何も仕組みも作らずに理想論を振り回すのは、結局国や自治体がそういう人にお金をかけたくないだけだろ」と思っています。「住みなれた家で」という裏には「家族に押し付けてて仕舞えばいい」という本音が隠されているように思えます。

    理想論って、裏があるんです。

  • 投稿日時:2023/10/02

    元気がない、怠い、感染症を起こしやすいなどという症状は、第一には気虚を考えます。勿論良く診察しないと、本当は気虚だけじゃないんですが。


    気虚ってのはですね。元々中医学では身体の中に気、血(けつ)、津液(しんえき)という三つのものが循環していると言うんです。この辺は患者さんにもいつも説明しているレベルです。血というのは、面倒くさい議論を抜きにすれば血液と思って良いです。津液も、「そもそもこれはアーユールヴェーダから伝わったもので」とか言う得体の知れない話(私は好きなんですが)をすっ飛ばせば体液です。人間の身体の70%は水だという、そのことです。


    で、血とか津液は循環してるわけです。それは分かりますよね。血液循環というのは西洋医学でも当たり前。体液が上手く循環しなくなれば浮腫、胸水、腹水など病的な水の溜まりになります。血液の循環が悪いのを(ざっくり言えば)血瘀と言い、津液の循環が悪ければ湿とか水滞と言います(湿と水滞の違いなんかここではどうでも良いです)。


    しかし、血液も体液もそれそのものは物体ですから、勝手には巡りません。採血したら採血管の中で血液がぐるぐる踊るなんて事は無いです。だからなんらかのエネルギーがこれらを循環させているんです。そのエネルギーが「気」です。
    気の定義は「働きがあって姿形が無いもの」ですが、実はかなり日常的な概念です。天気、空気、元気、電気。こういうのは、まさに気、つまり働きはあるけど姿形はないのです。


    生体に於いては、気と言えば生体エネルギーという事になります。またエネルギーを介して行われる情報伝達、つまりsignalingも気です。その気のエネルギーが落ちてしまうと気虚、signalingが上手く行かないと気滞と言うんです。

     


    気虚の薬は補気薬で、代表は薬用人参と黄耆(おうぎ)です。では気虚の人にはこれをドカンと飲ませればいいかというと、気虚の人ってしばしば胃腸が弱いんです。すぐ下痢したり食べるとたちまち胃の具合が悪くなる。そういう人に人参ドカーン、黄耆ドカーンとやると、逆に胃腸が受け付けないんですね。人参はそもそも胃腸を丈夫にする薬の筈なんですが、大量にそれだけ入れると胃腸が参ってしまう。それで、白朮だ、山薬だ、茯苓だというような「柔らかい胃腸薬」を入れて、胃腸を補いながら人参や黄耆を足していくのが治療のこつなんです。


    六君子湯は人参、白朮、茯苓、甘草、半夏、陳皮、大棗、生姜から出来ています。つまり気虚だから人参を入れたいんだけど、人参だけドカーンと入れると胃腸が弱い人は受け付けないので、「その他諸々」を足しているのです。


    その他諸々で片付けると生薬が怒るかも知れません。白朮、茯苓、甘草、大棗、生姜はまさに胃腸薬です。胃腸薬として理解して良いです。ただし茯苓は「津液を巡らせる」という大事な働きを兼ねていますが。


    陳皮、半夏は理気薬です。これも胃腸を助けるのですが、気を上手く巡らせる働きがあると言います。気虚だから気を補うんだけれども、補った気を巡らせましょう、と言うことで陳皮、半夏を足しています。


    え?ツムラの手帳に蒼朮とあるって。そうなんです。ツムラは白朮を使わず蒼朮を入れています。蒼朮はホソバオケラ、白朮はオケラで、要するにオケラなんですが、一応別の植物です。蒼朮は津液を巡らせる力が強く、白朮は胃腸を助ける力が強いので、六君子湯では本来白朮を使うべきです。クラシエは白朮を使っています。原典の「医学正伝」にはちゃんと白朮とありますから、これはクラシエの白朮を使った六君子湯が正しいのです。なぜツムラは白朮を使わず蒼朮なのか、今のツムラのMRは誰も知りませんが、私は昔お年寄りの漢方医から「あれはツムラの顧問だった漢方医が白朮は臭いと言って嫌ったからだ」と聞きました。まあ又聞きなので真偽の程は分かりませんが、いずれにしろ六君子湯では白朮を使ったクラシエが正しい。


    ともかく、六君子湯は気虚の薬なので、人参を飲ませたいのです。しかし人参だけ入れると胃腸が弱い人は受け付けないので胃腸薬をあれこれ合わせ、そこに人参を入れて気を補い、補った気を陳皮と半夏で巡らせようというのが六君子湯です。

     

    うーん。なるべく噛み砕いて書いたんですが、伝わるかしら?

  • 投稿日時:2023/09/29
    ご高齢のご家族がおられる方に大切なお話です。

    80,90を過ぎて多少物忘れがあってもおうちでそれなりに元気に暮らしているお年寄りっています。でもご高齢になれば急に体調を崩す場合は良くあります。そういうとき、家族はもちろん慌ててしまいます。しかしその時、この話を思い出してください。

    80も半ばを過ぎた人が急に具合が悪くなる。家族は救急車を呼びます。しかし「救急車を呼ぶ」ということの意味をご存じの方は、実はそう多くないです。

    救急車を呼ぶというのは、救急病院に運んで救命しろという意味なのです。それがどうしたって?

    救命しろという事は、救急外来に搬送されて呼吸が怪しければその場で気管挿管(気管支に管を突っ込む)をされ、人工呼吸器に繋がれます。心臓の拍動が微弱なら心臓マッサージを受けます。肋骨が何本か折れますが、それぐらい強くやらないと心臓マッサージは意味をなしませんので、やります。

    運良くそれで命が長らえても、こういう非常にご高齢の方の場合、大抵それで寝たきり、植物状態になります。そういう人を救急病院は何時までも入院させておけないので2週間ぐらいで老人病院に移します。その時は自分で口からものを食べられる状態でないことがほとんどですから、鼻から栄養の管を入れられます。あるいは高濃度の点滴が出来るよう首に太い点滴が刺さった状態で老人病院に送られます。

    そういう鼻から管を入れられた状態、首に太い点滴が刺さっている状態は、意識がほとんど無い高齢者にとっても不快です。不快だから抜こうとします。抜かれると困るので両手を抑制されます。ソフトなやり方は自分では外せない手袋(ミトン)を付けさせられることですが、寝たきりのご老人でもミトンを上手に外してしまう方がいて、その場合は両手をベッド柵に布で縛り付けます。

    その時になって「それは止めてくれ」と言っても遅いのです。そういう状態になったらその人は口からものを食べることは出来ないと看做されますので、そういう人の栄養チューブを抜いたり太い点滴を外すと、医者は殺人罪に問われる可能性があるため、出来ません。何年もその状態で過ごし、何回も肺炎をくり返したあげく、家族が「もうこれ以上は良いです」と言うまでその状態で治療(拷問といった方が良いでしょうが)は続きます。

    認知症で始末に負えない高齢者を施設に預けることは良くあります。家ではとてもみられないお年寄りを施設に入れると「やれやれ」とほっとしますが、ほとんどのご家族は施設に入れる時確認するべき事があるのを知りません。

    「その施設は看取りをやってくれるのか」

    と言うことです。福祉施設と言っても色々ですが、看取りまでやってくれるところとやらないところがあります。ウチでは看取りはしません、と言うところは、そろそろかな、と思ったらその人を病院に送ります。死ぬのは病院で診てくれ、と言うわけです。しかし「もうそろそろ」と施設の職員が気がつかないままその人が息絶えてしまうことがあります。看護師が巡回したら呼吸が止まっていた、と言うようなケースです。看取りはしないという施設では、そういう時は救急車を呼びます。そうすると話は振り出しに戻るわけで、齢90にもなる高齢者が自然に息を引き取ったのに、気管挿管して心臓マッサージをして肋骨をポキポキ折ることになるわけです。

    80を超えた高齢者がいるお宅では、その人が万が一の時どうするか、よく考えて置いた方が良いです。特にその人に判断能力があれば、御本人の意見をしっかり聞いておきましょう。そしてかかりつけがあれば、かかりつけの先生に「いざというときの対応」を相談しておくと良いです。

    当院でも何人かそういう高齢者を診ていますが、そのご家族にはきちんとこういうお話をして、急変した時どうするか、あらかじめ相談します。高齢者は大抵夜中に急変するのですが、私は毎晩晩酌をしていますから、夜中車で駆けつけるという事は出来ません。その代わり、夜中息が止まったら翌日お看取りにいきます、日中なら日曜祝日でもいきますが、夜には行かれませんよとお話ししてあります。高齢患者の急変にどう対応するかは医者によって違うでしょうから、かかりつけの先生とよく相談しておく方が良いです。

    ウチのばあちゃんはかかりつけが大病院だからいざというときは大丈夫というのは間違いです。かかりつけが大病院だから急変したら救急車でそこに運ぶという事になれば、冒頭に説明したようなことになるからです。急変したから救急車呼んだけど救命はしないでくれというのは通らないのです。救急車で救急病院に運ぶというのは救命しろって事なんですから。
    こう言うことは、日頃からじっくりと考えておきましょう。
  • 投稿日時:2023/09/25
    私の発言は、ありとあらゆるところで嫌われ、敵を作ります。さらに多くの人は、黙って私を避けます。

    しかしそう言う事は、まったく問題ではありません。大勢が私を嫌い、さらに大勢が私を避けるのは、私の言動が真実であり、事実だからです。私はもう59歳であり、その間そういう事実をいやという程経験してきたので、もうそう言うことには慣れっこなのです。人々が私を嫌ったり避けたりするのは、私からすれば何でもありません。

    ものすごく昔に遡ります。私が船橋市立峰台小学校の4年生だった時、私は放送部員でした。昼休みに音楽を流すのですが、それはクラシックと暗黙の了解で決まっていました。

    私はクラシック音楽が好きです。当時も今も。しかし昼休みの音楽は、何もクラシックで無くてもよいだろうと私は考え、「およげ鯛焼き君」を流したのです。

    学校中で割れんばかりの喝采が上がったのは、放送室の私の耳にもはっきりと聞こえました。夕方、放送部担当の教員が私を呼びつけ散々嫌みを言いましたが、私は平気でした。

    小学校6年の時、私は生徒会長候補に選ばれました。生徒会長候補は6年生の各学級から一人ずつ選ばれますが、誰が生徒会長になるかはあらかじめ職員室で決まっていました。出来の良い、物わかりのよい生徒が選ばれるのです。

    私は確かに出来は良かったのですが、物わかりはまったく良くなかったのです。しかし賢明な私は選挙作戦を工夫しました。私は考えたのです。どうせ男子生徒は先生の言う通りの候補に入れる。問題は女子票だ。

    そこで私は全校生徒が集まる候補者演説会にスーツとネクタイをバシッと決め、髪を七三に分けて臨みました(今は禿げてしまいましたが)。そこで「自分が生徒会長になったら、生徒会としてバレーボール大会を実施します」と具体的目標を打ち出したのです。

    その夕方判明した選挙結果では、教員室が推薦した候補を遙かに上回って私が当選しました。翌朝担任がクラスに入ってくるなり私を指さして、「私はあなたを絶対に認めない!」と叫びましたが、私はフンとせせら笑っただけでした。

    私立東邦中学校では、剣道の教師と対立しました。東邦中学校では全員が柔道か剣道のどちらかを選択する決まりで、私は剣道を選んだのですが、剣道場には神棚があり、授業の前に必ず「神前に一礼」しなければなりませんでしたが、私はそれを拒んだのです。なぜ一礼しないのかと問われて私は答えました。

    日本国憲法は信仰の自由を定めている。私は神道を信仰していないので神前に礼はしない。

    剣道の教師は怒り狂い、私に本気で剣を打ち込んできました。それを私は全て外したのです。教師は猛々しく「何故外す!俺を打ってみろ」と挑発しましたが、私はまたもせせら笑っただけでした。

    県立千葉高校時代、東北大学時代は幸か不幸か、私が社会や学校と対立した記憶がありません。県立千葉高等学校や東北大学は、学生を理由もない校則で縛るような学校ではありませんでした。そうそう、一度だけ、千葉高時代、トレンチコートを着て通学していた私を教師が校門で咎めたことがありました。しかし私は「トレンチコートはどの校則に違反していますか?」と聞いただけで、口をあんぐり開けている教師を尻目に、コートをはためかせて教室に入って行きました。



    医学部を卒業し、医者となった私はまず初期研修を受けました。私の研修先は民医連の坂総合病院です。

    しかし大学を卒業して民医連で初期研修を受ける前、私はガルバチョーフ時代のソビエトを列車で一ヶ月掛けて旅しました。当時の私は今よりロシア語が堪能だったので、列車の中やレストランなどで色々なロシア人と話をしました。

    記憶に残っている会話はこれです。

    シベリア鉄道に乗り合わせたコルホーズ長、かなりの年配でした。多分今の私と同じぐらいだったかと思います。かれは私にガルバチョーフの悪口を散々言い立てました。彼の主張は、ガルバチョーフは経済がまったく分かっていないという事でした。私もそれには賛成せざるを得ませんでした。何しろシベリア鉄道の東の起点ハバーロフスクではもはやルーブルが貨幣の意味をなさず、人々が争って外国たばこを求めていましたから。

    しかししばらくそのコルホーズ長の話を聞いた後、私は彼にロシア語でこう言いました。

    「でも今あなたはこうして列車の中で見知らぬ外国人にソビエト共産党書記長の悪口が言えるようになりましたね」。

    するとそのコルホーズ長は沈黙し、ややあって重々しくつぶやいたのです。

    ダー。エータ バリショイ ジェーラ。

    そう、それはとても偉大なことだ。

    民医連に初期研修に入って数ヶ月後、私のアパートに指導医が二名尋ねてきて共産党に入らないかと勧誘しましたが、私のこのソビエト旅行の体験を聴いて、口をあんぐり開けて帰って行きました。

    坂病院で一番私が対立したのは当直明け問題です。研修医は月に3日も4日も当直が入ります。そのたびに翌日はフルで働かされるのです。

    ある時私は事務職員に「病院の規定ってありますか」と聞きました。そうしたらその職員は何気なく「はい、あります。これですよ」と渡してくれたのです。そうしたら、その規定には「当直明けは休みとする」と明記されていました。

    私はその規定をもとに「次の当直から私は翌日は休みます。だって病院規定にこう明記されていますから」といいました。

    病院は、本当に私がそれを実行するのかどうか見守っていましたが、次の当直の翌日、私は当直が終わったらただちに帰宅しました。「後は宜しく」と言って。

    病院中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。遂に私は「坂病院友の会」という患者会に呼び出され、「何故当直明けに帰ったのか」と患者達に詰問されました。今でも共産党がお得意の査問です。しかし私はしれっと「病院規定に定められていますから」と答えました。するとハゲ茶瓶の爺さんがハゲ茶瓶から湯気を立てて、「あんたは医者のくせに患者をなんとも思っていないのか!」と怒鳴りましたが、私は涼しい顔をしました。

    初期研修が終わった時、私は漢方に関心がありました。しかし当時、漢方を指導してくれて漢方をテーマにした医学博士を取らせてくれる大学はありませんでした。色々な人に相談したところ、「東北大老年科の佐々木教授ならあるいは」というのです。東北大はたまたま私の母校でしたが、私にとってそれは二の次でした。老年科の佐々木教授のところにお邪魔して「漢方で医学博士を取りたいのですが」というと、佐々木先生は即座に「いいんでねべが」といってくれました(秋田弁なのです)。

    しかし実際に私が東北大老年科に入局してみると、周りの人々は一様に「そんな漢方なんてまじないのようなもので東北大の学位は取れない。まず西洋医学の研究で学位を取りなさい」というのです。「いいんでねべが」と言ってくれたのは佐々木教授ただ一人だったのです。

    しかし私はそれなりに研究に励み、高齢者が起こす誤嚥性肺炎のモデルマウスに清肺湯という漢方薬入りの餌を食べさせると肺の炎症が軽くなり、死亡率も下げるというデータを出し、学位審査に臨みました。

    その時、審査委員長は開口一番「私はこの研究が何故東北大の学位審査に掛けられているのか理解出来ないのだが!」と言い放ちましたが、すかさず後ろの席にいた佐々木教授が「オホン!」と一つ咳払いをし、後は滞りなく学術的な議論を経て、私は東北大開闢以来初の「漢方をテーマにした医学博士」になったのです。

    それからも、私の人生は茨の道でした。西洋医学の人々はどれほど私が漢方について客観的なデータを出しても頑としてそれを認めようとしないし、逆に漢方の「お偉いさん」たちは「漢方は術じゃ。そんな西洋医学の手法で効果などでは証明できん、フガフガ」と言いました。

    私が認知症の患者がよく起こす精神不穏や幻覚、妄想などBPSDと呼ばれる症状に抑肝散という漢方薬が有効であることを日本東洋医学会で発表したら、なんと座長が「こんな発表は意味が無い」と言い放ちました。しかしその研究論文はJ Clinical Psychiatryという世界の精神医学でトップの医学雑誌に載ったのです。

    東洋医学会はその後も私の研究業績が増えるごとに私を嫌い、遂に私を東洋医学会から追放しました。破門されたわけです。

    しかしその後も私は漢方のエビデンスを次々発表しました。抑肝散の研究がもっとも有名ですが、半夏厚朴湯が高齢者の誤嚥性肺炎を減らすこと(アメリカ老年医学会雑誌に掲載)、漢方の「気滞」という診断の新基準を客観的な方法で作ったこと(世界30以上の医学論文で引用)、加味帰脾湯という漢方薬は抑肝散同様認知症のBPSDに有効であるが、同時に認知症高齢者の鬱や意欲減退にも有効で、挨拶する、感謝するなど望ましい感情表現を回復させることなど合計49本の漢方や中医学に関する英論文を発表したのです。その一番最近のものは、JAMA(アメリカ医学会雑誌)に載った鍼灸の論文に対するコメントです。たかがコメントというかも知れませんが、世界三大医学雑誌の一つであるJAMAともなると、コメントが載るだけで極めて稀です。

    またBritish Medical Journal (BMJ)はWHOが計画した「世界の伝統医学は医学のどんな領域にどれほどエビデンスがあるか」という調査研究の方法を述べた論文に対し、私にreview、つまり査読を依頼してきました。世界の伝統医学全体を見渡した調査研究の是非や問題について内容を吟味出来る人間は、そう多くはなかったのでしょう。

    面白いことに、こうして私の業績が上がって増えるほど、私の敵も増え、私を避ける人は一層増えていきました。JAMAとかBMJとかWHOなどは私を一流の伝統医学研究者と看做すようになりましたが、そうなればなるほど私を嫌い、避ける人間は増えたのです。

    私はもう59になりました。その59年間、私はずっとこのようでしたから、私を嫌い、避ける人間が増えることを私は全く意に介しません。いくらでも嫌えば良いし、いくらでも避ければ良いのです。ガリレオ・ガリレイが言った通り、

    E pur si muove(それでも地球は回る)のですから。
  • 投稿日時:2023/09/25
    私は漢方医ですが、日本東洋医学会が出している「漢方専門医」は持っていません。そもそも東洋医学会も退会しています。あの専門医は「ツムラの何番がいいか」選べるだけでなれるのです。それだけです。それすら出来ない「漢方専門医」も腐るほどいますが。


    しかし私は生薬一つ一つの性味、薬効を知り、煎じ薬を処方することが出来る日本で数少ない(おそらく多くて100人いるかいないか)医者の一人です。ほとんどの「漢方専門医」は生薬一つ一つの薬効なんか知りませんから生薬を組み合わせて煎じ薬を処方するというのは出来ないんです。


    そういう立場から一言言わせていただきますが、「西洋薬はどうで漢方薬はこうだ」という類の素人談義は一切無意味です。強いてそういう比較をするなら、西洋薬は薬理機序がはっきり分かっているものが多く(全てではないです)、比較的「どの医者が出しても同じ効果が得られる」という利点があります。一方漢方薬は「その効能効果は漢方医学、ないし中医学の概念の中でしか説明出来ず、その概念も(少なくとも日本では)まったく統一されておらず、従って概念が統一されていないので薬理機序を研究したくても出来ない」状態のものです。両者の違いを言えばそういうことです。


    しかし西洋医学の薬だろうが中医薬・漢方薬だろうが、それは物質のかたまりであって、そこに含まれる何らかの物質が体内に入り人体という物質の塊の中でなんらかの化学反応を起こすから効果が出るという基本原理は同じです。「西洋医学は人工のものだからから身体に悪く、生薬は天然物だから安心だ」などという人がいますが、冗談じゃないです。天然物はしばしば毒性があります。天然のものが安心ならふぐをそのまま食えば良いし、トリカブトをおひたしにでもして食ったら良いです。自然界のものは植物でも動物でも自分の身を守るためにしばしば毒を持つのです。


    生薬は天然だから安心なのではありません。その生薬の薬効、使用法、加工法、副作用をよく熟知した専門家が、それを使用すべき適切な患者を選び、なおかつ生じうる副作用をきちんとモニタリングしながら使えば安心なのです。その点西洋薬とまったく変わりは無いです。
  • 投稿日時:2023/09/22
    先ほど、会社の検診で尿酸値が高いから病院で薬を出してもらえと言われたが出してもらえるかというお問い合わせがありました。その方の尿酸値は9ぐらいだったそうですから、基準値よりは高いです。


    しかし最近尿酸値が高い人を治療すべきかどうか、医学の考えが変わってきました。原則は、これまで痛風発作を起こしたことがある人は、再発作を防ぐために尿酸値を下げましょう、しかし痛風発作を起こしたことがない人は、特に治療の必要はありませんということになっています。


    その方にはそうしたご説明をしましたが、どうやらその方は「ともかく会社から言われたんだから会社が言う通りにするんだ」と言うお考えだったらしく「じゃあ他を探します」と言って電話を切りました。


    おそらく今でも最新の内科診療の知識をアップデートしていない医者なら「尿酸値が高ければ薬を出す」と言う医者はいるでしょう。その人はそう言う医者を探すつもりのようです。しかしそう言う医者は不勉強なのです。そもそも不勉強な医者にかかるのは危険です。それに痛風の薬にはもちろん副作用があります。例えば代表的な薬であるアロプリノールは稀ですが反血球減少症、腎障害、血管炎、肝機能異常などを起こすことがあります。全ての薬にはそれぞれ一定の副作用が起こりうるのですから、飲む必要がない薬を飲んではいけません。薬は「会社に言われたから」飲むものではなく、医者が医学的判断で必要と考え、それを患者さんご本人が納得して飲むものです。会社の上司は医者じゃないんですから。


    と言うわけで、当院では痛風発作を起こしたことのない人に尿酸を下げる薬は出しません。
  • 投稿日時:2023/09/21

    この内容は新着情報にも載せましたが重要なのでこちらにも掲載します。

     

    当院では9/20か現在流行の主流であるらxbb株対応ワクチンの接種を始めました。しかし私が世界中の英文医学論文を検索出来るPubMedと言うサイトで検索したところ、実験室レベルでxbb株に対する抗体が出来たという論文はありましたが、現在接種されているワクチンがxbb株に臨床的に有効であることを報告した英語の医学論文は存在しませんでした。つまり今接種しているのは実験室でxbb株に対する中和抗体を作ることが出来ると確認されたワクチンであって、それが臨床的にどの程度有効なのかについて根拠となるデータはありません。

     


    ウィルスは数ヶ月から1年で変異しますので、そのたびに新しい変異株について千例以上のヒトを対象にした臨床試験をやるのは不可能です。従って、変異株に対するワクチンの有効性は従来のインフルエンザワクチンもそうですが、「実験室で今流行している変異株に対する抗体が出来た」事をもって認可されます。毎年皆さんが受けるインフルエンザワクチンも、その年によって流行株が変わるので、「今年流行するであろう変異株」を予測した上で実験室内で抗体が出来ることを確認して良しとします。毎年数千人規模の臨床治験などやれないからです。その従来型インフルエンザワクチンの有効性は年によって異なりますが、平均すると約4割です。

     


    一方今回のコロナワクチン接種は7回目ですから、私を含めほとんどの市民はワクチンの副作用(発熱、痛みなど)がどの程度か、既に経験的にご存じと思います。なお現時点ではコロナワクチンは全額公費負担ですので、ワクチンを受けても自己負担はありません(ちなみに本当のお値段は2200円です)。


    院長個人の判断ですが、医療、福祉、介護に携わる方、小児や高齢者に関わる方にはその方の副反応が過去に重篤でなかった場合は接種を強く推奨します。私自身も医師ですので接種を受ける予定です。また学校関係者、つまり教員などにも「ある程度」推奨します。後期高齢者、糖尿病、コントロールされていない高血圧をお持ちの方、透析中の方などには「強く積極的に」接種を推奨します。一方過去のコロナワクチン接種で重篤な副反応を経験された方には接種をお勧めしません。そのような方に予想されるような有害性を上回るほどのメリットは、今のコロナワクチンにはないです。その他の方々は、上記の情報をご理解の上、ご自分で受けるかどうかご判断ください。

PAGE TOP