石巻あゆみ野駅前にあるあゆみ野クリニックでは漢方内科・高齢者医療・心療内科・一般内科診療を行っております。*現在訪問診療の新規受付はしておりません。
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投稿日時:2024/12/28
昨日ある患者さんが、非常に落ち込んだ表情で受診した。
一年ほど前、私はその人の胸のレントゲンを覧て、日赤に紹介して胸部大動脈瘤があることを見つけた。以来その人は日赤の血管外科が数ヶ月おきにfollowしつつ毎月の診療は私が引き受けていた。
当初血管外科はその大動脈瘤について、小さいからガイドラインが定める手術の対象では無いと言い、それで1年間、3ヶ月おきにその人は日赤に通った。ところが今回は東北大学から来ている血管外科医に「年明け家族と一緒にまた来院するように」言われたという。つまりその人の大動脈瘤は、1年間経過を診ているうちにだんだん大きくなって、遂にガイドラインで定められた手術の適応になったのだ。
そう言われた御本人は、非常に落ち込んでいた。1年間「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と言われてきて、ここに到って「やっぱり手術だ」と言われた、と御本人は感じている。どうせなら最初からやって欲しかった、やらないならこのままやらなくたって良いのではないか。
患者本人の受け止め方としては、全く理解出来ることだ。一方血管外科の「手術適応になるかならないかで手術するかどうか判断するために定期的に経過観察してきた」というのも医学的にはまさに妥当なやり方だ。
どちらの言い分も正しい。ジャッジを下すような話ではない。しかし私はまさに「掛かりつけの町医者」としてその人に、
「あなたの心境はとてもよく分かります。しかし外科としても、大手術になる大動脈瘤の手術をガイドラインに一致しないのにやるわけにはいきません。そんなことをしてもし手術に失敗したらどうなるだろうか。つまり、あなたの感情は患者としてとてもよく分かるし、一方日赤血管外科が取った対応もよく分かります」と説明した。
先生はどちらが良いと思いますかと訊かれたので、
「そうですねえ。あなたはまだ70を少し過ぎたばかりだ。だからこれからずっと不安の日々を過ごすよりは、いっそ思い切って手術を受けた方が良いと思いますよ」と答えた。かかりつけ医というものは、自分の意見は自分の意見としてしっかり伝えるべきだ、押しつけにならないように注意して。 -
投稿日時:2024/12/28
先日、あるサービス付き高齢者住宅(サ高住)に入所している90過ぎの高齢者を緊急往診してその場から救急搬送した。
実はその患者さんのご家族は延命など全く希望していなかった。その方はたしかにある疾患にかかったが、単にいつもより活気がなくなっただけで、「このまま静かにお看取りしてもよい」状態だった。では何故その人を救急搬送せざるを得なかったかと言うと、そのサ高住の現場責任者が「ここで看取りをしたことはないし、無理です」とはっきり断ったからだ。
サ高住は本来から言えば、終の棲家の筈だ。終の棲家であれば、患者(利用者)はそこで亡くなっても良い。だからそこの現場責任者が看取りを拒否したことは、ある面からすれば理不尽だ。
しかし一方、私はそこに何回も訪問診療しており、また長年高齢者医療畑を歩いてきた人間だから、「ここのこの人員配置では、たしかにここでの看取りは無理だ」という事も分かった。
つまり、経営法人レベルでいくら「お看取りも出来ます」と言っても、現場の状況は不可能だという事だ。それが分かったから私は救急搬送した。状況は全て搬送先に説明した。
あけすけに言うが、医療保険や介護保険など、公的保険で運用されている施設で看取りなんか、期待しては行けない。
そんな人員配置をする金なんか無いんだから。 -
投稿日時:2024/12/22若い患者さんに私がいつも言うこと。
あなたの人生を歩くのは、あなたです、お母さんでもお父さんでも、まして学校の同級生や教師でもない。あなただけが、あなたの人生を歩むのです。
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投稿日時:2024/12/22今、私の身の回りから、次々に人が去って行きます。去って行く人々は、まさに将来を嘱望されている人々です。
例えばかつて私と同級生だった。その人が大学院生時代、私がその人を指導した。私の論文の共著者になった。
こう言った「今更消せない過去」によって、今まさにこれからのし上がろうとする人々が頭を抱えています。彼らはこう言われるのです。
お前はこんな人間と関係があるのか!
バッハのマタイ受難曲でも一番感動的な部分が、ペテロによるキリストの否定です。
キリストが磔にされ殺された後、群衆がペテロを指さし、
「お前もあいつの一味だった」と言います。それに対しペテロは狼狽え、
いや、私はその人なんか知らない、と三度言います。
Ich kenne des Menschen nicht(イッヒ ケンネ デス メンシェン ニヒト).
彼が三度そう答えたとき、鶏が鳴きます。そこでペテロはキリストが殺される前、「あなたは私を三度否定し、その時鶏が鳴くであろう」と預言したことを思い出し、痛ましく泣きました。
バッハはプロテスタントでしたから、全編をラテン語ではなくドイツ語で、つまりこの曲を聴く全ての人々が解る言葉で書いています。
この逸話は無論脚色されてはいるでしょうが、あり得ない話ではないかも知れません。自分が逮捕され、殺害されるのが逃れがたいと悟ったキリストがペテロに対し、半ば自暴自棄になって「どうせお前も俺が殺されたら俺を裏切るだろう」と言ったことは、十分可能性があると私は思います。この場面ではむしろキリスト本人より、ペテロの真情に焦点が当てられています。彼は群衆に詰め寄られ、心から信じていた我が師を思わず「知らない」と、それも三回もそう言ってしまった。それに気がついたときの彼の慟哭にこの曲はフォーカスを置いています。
まあ良いですよ、誰が私を無視したって。彼らのうち何人がいつか私を無視したことを悔いてくれるかなんか、私は知りませんが。
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投稿日時:2024/12/21ある患者さんが「産婦人科からこの2つの漢方薬が出ているのですが」、と相談されました。
その方は、まさに更年期という方です。その人にその産婦人科はクラシエの桂枝茯苓丸と同じクラシエの苓桂朮甘湯を出していました。その産婦人科の先生は、一応基礎的な漢方の理解はお持ちのようです。更年期症候群の代表的な治療薬として桂枝茯苓丸を出し、めまいが酷いときに苓桂朮甘湯を飲みなさい、と言って出したのです。まあ、一般的には悪くない話です。
しかし患者さんがわざわざ私に相談したのは、「クラクラめまいがするとき、この2剤を両方飲むとほてるんです」という事でした。そこで即座に私は、「ああ、それはこの2剤を両方飲むと、あなたには桂皮(けいひ)の量が多すぎるんですよ」と答えました。
桂皮というのは、ニッキです。京都の銘菓「八つ橋」に使われているものです。あれは、気を巡らせる生薬なのです。非常に重要で、効果も強い生薬ですが、桂皮の量が多すぎれば気を巡らしすぎて、逆にめまいやほてりを起こします。
クラシエのエキスでは、桂枝茯苓丸に1日量4g、苓桂朮甘湯にも4gの桂皮が使われています。合わせれば8gです。これが、その患者さんには多すぎたのです。もっとも、8gの桂皮なんか、わたしはしばしば使います。日本の漢方エキス製剤は大抵生薬の量が少なすぎるから、わざと同じ生薬を含むエキスを合わせて生薬の量を増やすなんて事はよくやるのです。しかしそこはあくまでcase by caseです。この方には1日8gの桂皮は多すぎて、それでほてりをおこしたのでしょう。
その人の脈、舌を覧て、私は「桂枝茯苓丸はあなたに最適だから飲みなさい。しかしめまいについては半夏白朮天麻湯を私が出すから、苓桂朮甘湯は止めて下さい。両方飲むとあなたには桂皮の量が多すぎるのです」と言ってツムラ半夏白朮天麻湯を1日2回で出しました。
更年期障害には桂枝茯苓丸、めまいには苓桂朮甘湯というレベルの理解だと、こう言うことがおきます。もっともその人に最適な桂皮の量なんてのは、出してみないと解らないのですが。
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投稿日時:2024/12/21
昔私が個人でやっていたKOH’s WHOというHPに「大学病院の看護婦」という文章を載せたら、それを読んだ東北大病院の看護婦(当時は看護師ではなく看護婦だった)が病院にチクり、私は病棟勤務を辞めさせられた。それは名文だったのだが、いまそのKOH’s WHOというHPは消滅し、ウェブ上にも私のパソコンにも残っていない。電子情報の消滅は早い。当時最先端だった個人のHPも、今では過去のもので、そもそもそういう業種自体がなくなったから、そこに載せた多くの文章が消滅してしまっている。しかしこのほど私はたまたま柳瀬義男著「ヘボ医者のつぶやき」を読んで、この「大学病院の看護婦」をどうにかして復活させようと思う。無論、原文は私のパソコンにも残っていないのだから、うろ覚えの記憶を基にし、かつその後の状況変化をも含めた文章にする。以下、新版・「大学病院の看護婦」である。
新版・「大学病院の看護婦」
冒頭でまず、この文章では今の用語である看護師ではなく看護婦を使用することをお断りする。なぜならこの文章の第一版が書かれたときはまだ「看護婦」だったからだ。これは、私が坂操業病院で初期研修を3年間終えた後老年科に入局した東北大学病院で体験し、綴ったエッセイである。
3年間の初期研修を終え、私は東北大学大学院に入学、老年医学講座に入局した。大学病院の診療科では「老年科」だ。
坂病院から大学病院に移ったとき私が一番驚愕したのが看護婦である。
まず、彼ら(彼女ら)は一切仕事をしない。大学病院の看護婦の一番大事な仕事は申し送りと看護研究だ。彼らがやっている「看護研究」なるものは医者の私から覧れば愚にも付かないものなのだが、これが彼らの世界では非常に重要視されるらしい。そして、その看護研究にも勝って彼らが重要視している、いや神聖視していると言った方が良いだろうが、その仕事は「申し送り」だ。朝と夕方、彼らは「申し送り」をする。たっぷり1時間は掛ける。その間入院患者に何かあり、医者の私が彼らに声を掛けると、リーダーがきっと私を睨み「今、申し送り中です!」と私を叱りつける。彼らにとって申し送りとはかくも神聖な業務であり、患者の急変どころではないのだ。
当時大学病院では、注射は全て医者の仕事であった。私よりかなり先輩の医者が当直中、病棟の看護師からNさんのおしっこが出ていませんと電話が来た。その先輩(後に教授になった)が「じゃあラシックス(代表的な利尿剤)一本注射して」と言ったら電話口の看護婦が「注射は先生のお仕事です」・・・ガチャッと電話を切った。
ところが看護婦達は助教授(当時は助教授)以上になると丁重に扱い、教授にはあからさまにおべっかを使っていた。教授回診の時は必ず病棟看護婦長が付く。日頃我々若手の医者を顎で使っている看護婦どものその背後にいて、我々なんぞ歯牙にも掛けない看護婦長殿が、教授回診の時だけ出てきて教授にあからさまなおべっかを使う。覧ていて反吐が出る。
と言うのが若かりし当時私が書いた「大学病院の看護婦」の概要だ。これを私がKOH’s WHOという自分のHPに載せたら、どうやら耳鼻科の看護婦がそれを読み、それは東北大学附属病院看護部上層部に伝わった。そうして、看護部上層部から、つまりは「総看護婦長」から老年科教授に(医師で教授に対して看護婦長から)、あのふざけた医者を外せ、という指示が下り、教授は私を病棟業務から外した。
さて、ここからが後日談だ。東北大学が本物の国立から非公務員型の独立法人になった。まさにその日の朝、私は愕然とした。何故なら、昨日まで各種注射を医者に突き出し「やれ」と命じていた病棟看護婦が突然(そう言えば非公務員型の独立法人になった途端、私は病棟勤務に戻された)、あ、今日の注射は?と訊いた私に対して
「注射は私たちがいたします」と言ったのだ。
いたしますって、それまで看護婦達から一度も聞いたことが無い台詞だった。「これやって下さい、あれやってください」と医者を指示指図していた連中が、突然
「注射は私たちがいたします」。
あ、そう、じゃあお願いね、と小さくつぶやくと共に、私は心中
「屑どもが」とどついた。
彼らは正規国家公務員ではなくなった。その無くなった日の朝から、彼らは看護婦として本来やるべき仕事をきちんとやるようになったのだ。
民間は金儲けだから駄目だ、国民皆が必要な業務は公営にすべきだと主張する人々がいるが、私はまさに「その日の朝」を体験した人間だから、そういう主張は一切無視する。公務員がどれほど屑か、そして同じ人間が公務員から公務員でなくなったとき、どれほど激変するか、私はこの眼で見たからだ。
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投稿日時:2024/12/19患者本人が「最近物忘れが」と言ってきた場合、大抵その人は認知症以外の何かですが、家族が「ウチのばあちゃん・じいちゃんはどうもおかしい」と言い、本人が「自分は全然なんともない」と言うときは間違いなく認知症です。どういう認知症かは別にして。
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投稿日時:2024/12/18今日初診の70代男性。主訴は頭痛。
一週間ほど前から頭痛がする。頭痛がするからあゆみ野クリニックから線路を挟んですぐのとある病院の脳外科に掛かった。まあこう言えば分かっちゃいますから正直に言いますが、仙石病院の脳外科を受診しました。
仙石病院脳外科は脳のMRIをやり、採血諸々検査しましたが「異常なし」と言ってその人を帰したそうです。それでその人は困ったのですが、たまたまその人の奥さんを以前私が肺炎と診断して日赤に紹介して治ったので、奥さんが「あゆみ野クリニックに行け」といい、ここに来たそうです。
その人の頭痛の原因は、私より先に当院看護リーダーが診断を付けていました。だって看護リーダーは「風に当たると頭皮がピリピリするそうです」と言ってその人のファイルを私に廻してきたのですから。
無論、診断するためにMRIは必要ありません。その人の頭皮を覧ればよいだけでした。帯状疱疹という診断は、即座に付いたのです。
しかしこの話には尾ひれが付きます。その人曰わく、自分はなにも病気はない、なんの薬も飲んでいないというのです。
「健診は受けていますか?」「受けてないよ」。
こう言う人は、危ないのです。帯状疱疹は、その人の免疫力が下がっているときに起きます。ところがその人は何も病気もなく、薬も飲んでいない、健診すら受けていないと。
こう言う人は、特に高齢者は、危ないのです。だから私はすぐに一般的な健診に該当するような検査をやりました。検査病名は「2型糖尿病疑い」です。なぜなら全く医学フォローを受けていない人が帯状疱疹になったということは、その人の免疫力は低下しているという事であって、免疫機能が低下する代表的な疾患は糖尿病ですから。
一式検査でやった胸部レントゲンを覧て、私はその人に「あんた日赤に掛かってるでしょ?」と訊きました。そうしたらその人、「うん、半年ごとに日赤で診てもらってる」と言うんです。
まあその、患者の言葉なんか、一言も信用してはいけないという、その典型です。病名を明かすとまずいから言いませんが、その人は半年ごとに日赤呼吸器内科が肺のCTをやってfollowしていたのです。このロートルの医者がレントゲン一枚覧てすぐに「あんた日赤の呼吸器科に掛かってるでしょ」と言えるほどの疾患でした。
帯状疱疹を診断出来なかった仙石病院の脳外科も脳外科ですが、患者本人も呆れ果てたものです。持病はありません、自治体の健診も受けていません・・・。
いやあんた、これ違うから、って話です。
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投稿日時:2024/12/18先週あたりから当院でも突然インフルエンザの患者さんが増え始めました。殆どインフルエンザA型です。
因みにインフルエンザって、なぜA型とかB型とかって分けるんでしょうか。予後も重症化リスクも治療法もなにも変わらないのですから、臨床医にとってA型B型を分ける意味は何もないんですけど。
それはさておき、インフルエンザ陽性反応が出た患者さんには漢方薬とカロナールの他に、もれなくイナビルを付けます。吸入が難しい人なら飲み薬のタミフル。
しかしあの類って、実は殆ど意味がないのです。タミフル、リレンザ、イナビル等々の臨床治験で確認されている効果は「発熱時間を約24時間短縮する」と言うだけです。
熱が下がるまでの時間を短縮するだけならカロナールとなにが違うのって訳です。因みにあの類の薬を使っても、患者からインフルエンザウィルスが排出される時間は短縮されません。個人差はありますが、日頃健康な成人の場合患者からは平均五日間、ウィルスが排出されます。そしてこの時間はあの手の薬を使っても変わりません。因みに解熱までの時間は、麻黄湯とタミフルで差がない、と言うことも臨床的に確認されています。
ああ言うのって、「出さないと患者が文句言うから出しとく」だけです。私自身かつてインフルエンザにかかったときは麻黄湯の倍量服用だけで治しました。まあ、要するに水分しっかり取って寝ていれば治るんですけど、どのみち。
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投稿日時:2024/12/17
「漢方内科」は医者なら誰でも標榜出来ます。しかも問題なのは、日本東洋医学会が認めている「漢方専門医」の満たすべきレベルは極めて低く、呆れ果てるような医者でも容易に「漢方専門医」を取得することが出来ます。逆に私はそうした日本東洋医学会を見捨てて学会を脱会したから、「漢方専門医」ではありません。だからその医者がマジな漢方医かどうか、なかなか患者は判断出来ません。
簡単な判断条件を示せば
「その医者は毎回あなたに脈診、舌診、さらに日本漢方なら腹診もやるか?」です。両手の脈を触り、あなたの舌を見ているか?さらに日本漢方なら「腹を触ったり押したりするか?」も重要です。もっとも私のように中医学、つまり忠合流ではあまり腹は触りませんが。ともかくそれらをやらないのならその医者は漢方なんか全く知らないと判断して良いです。例えその医者が「日本東洋医学会認定漢方専門医」を標榜しているとしても、です。