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  • 投稿日時:2024/10/14
    昨日の講演会はとあるサプリメーカーが主催する、薬剤師が中心の講演会だった。講演の後の「交歓会」はお義理でほんの10分ほど出ただけだったが,ある薬剤師が「これまで医者からこんな話を聞いたことがありません。こんなこと言って良いのかという内容ばかりで非常に面白かった。だけどこういう生き方をしてくると、先生大変だったんじゃないですか?」と聞いてきた。


    それで私はこう答えた。


    「ええそうですよ。私は普通皆が「これは言わない方が良い」という事しか言いません。そして大勢が「言わない方が良い」と考えることと言うのは、大抵真実なんです。もちろん、私はそのために色々と面倒を被りました。日本東洋医学会からは追い出されたし、私は東北大漢方内科の実質的設立者ですが、今東北大漢方内科に私の名前は残っていません。消されています。でもね、他人が私をどうこう言うことは、要するにあちらの問題なんです。私の問題じゃないんです。だからそれは私にとってはどうでもいいんです」。


    声を掛けてきた人はあっけにとられたような顔をして黙ってしまった。その頃合いを見て私は交歓会から姿を消した。
     
  • 投稿日時:2024/10/12
    ある20を過ぎたばかりの女性はパート先で絶えずセクハラ、パワハラを受けていました。彼女はそれに耐えられなくなり、私のクリニックの心療内科に受診したのです。


    彼女が受けたセクハラは、語るもおぞましいものでした。私は彼女の心が負った傷の深さをまざまざと目の当たりにし、一度は彼女を黙って退職させて転職させようと思いました。しかし、しばらく彼女の話を聞いたあげく、私は彼女にこう話したのです。


    あなたの上司の行為は明らかにセクハラ、パワハラであり、もっとも卑しい行為です。あなたの心がそれに深く傷ついていることは分かります。だから普通であれば、あなたを黙ってその職場から退職させ、傷病手当を申請して休業期間をおいた後に転職させるのが常道です。


    しかし今あなたのお話を伺うと、あなたは奴らのあまりにも忌まわしい言動で、深く深く心が傷ついています。そこから逃げるというのは最も簡単ですが、その場合、あなたは一生「自分はあのような卑劣な連中から逃げた」という心の傷を負うことを私は心配します。あんな理不尽な、不当な暴力を受けたのに、私は戦わずに逃げたという記憶は、あなたの心のもっとも深いところに傷を残すと思います。PTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまう可能性があります。私は今からあなたが受けたパワハラ、セクハラを全て詳細に診断書にします。それを持ってすぐこの足で労働基準監督署に行きなさい」。


    彼女はしばらく黙って逡巡していましたが、やがて深く頚を縦に振りました。そこで私は女性看護師を同席させ、彼女が受けたセクハラ・パワハラを具体的に供述させ、それを全て「石巻労働基準監督署ご担当者宛」という診断書にまとめました。末尾には「これは明らかなパワハラ・セクハラであり、労災に該当すると考えるのでよろしくご対応ください」と書きました。


    その若い女性は、その診断書を持って、本当にすぐに石巻労基署に行きました。労基署は対応が遅いので有名ですが、その診断書を読んだ担当官はその場で「ではこちらが会社に事情を聞きます」といい、会社に直接説明を求めたのです。


    会社にとっては万事休すでした。まさか20そこそこの女性パートの話が労基署を動かすとは夢にも思わなかったのでしょうが、そこから話は急展開し、パワハラ・セクハラをやっていた上司二人は罪を認め、本社総務部長が患者の家に謝罪に訪れました。当然、労災として認められたのです。


    苦しみから逃げるだけではいけないのです。戦わなければならないときと言うのはあります。もしその時自分を襲った理不尽な暴力暴行から逃げたら一生「自分は逃げた」という心の傷を負うというとき、人間は戦わなければなりません。立ち上がり、敵と戦うのです。もしそれで負けても「私は力の限り戦った」という記憶が残りますから、それはPTSDにはなりません。しかし「自分は逃げた」という記憶は一生その人の心を引き裂くのです。だから、どんなに辛く、どんな深い傷を負っていても、戦わなければならないときは、戦うのです。


    彼女には、勇気がありました。若き英雄に乾杯!
     
  • 投稿日時:2024/10/12
    あゆみ野クリニック院長として、私は次の通り声明します。


    線維筋痛症は存在しません。それは架空の概念です。架空の概念の治療はありませんから、当院は線維筋痛症の治療などと言う、「存在しないものの治療」はお断りします。
  • 投稿日時:2024/10/12

    要点
    1. 医療過疎の本質は患者過疎である
    2. 地方では高齢化を通り越し、高齢者人口自体が急速に減少し、医療も介護も産業として成り立たなくなっている。


    またぞろ国が医療過疎対策として妙なことを言い始めたようだ。経験を積んだ40代、50代の医者を医療過疎地域に派遣するという。


    40代、50代と言えば、生活費、子供の養育費が一番掛かる年代だ。医者自身の人生の岐路でもある。人生の勝負時だ。過疎手当をいくら積んだからと言って、そんな年代の医者、いや平たく言えば人間がおいそれと過疎地にいけるわけがない。要するに、こんな話に乗る医者はいない。


    石巻市でも医療不足は深刻だ。とりわけ、救急、産科、小児科の不足が著しい。救急を担うのは市内では日赤一箇所しかなく、ご立派に復興再建された石巻市立は殿様商売で赤字を垂れ流している。


    産科は日赤と民間が一箇所。小児科のクリニックは複数あるが、特に東部に少ない。石巻市が「市の東部に産婦人科か小児科が進出するなら初期投資の半分、五千万まで補助する」と言ったが、一軒も手を挙げたところは無かった。しかも石巻市は「在宅診療所なら市内何所でも同条件で補助する」と言ったが、これも応じたところはなかった。


    何故これほど破格な条件を出しても医療機関は応じないのか?答えは簡単、採算が見込めない。初期費用を補助して貰っても、診療の採算が取れないことが明白な以上、何所もそんな話には乗れない。


    では何故採算が取れないのか?これも答えは簡単で、石巻東部地域では若い妊産婦も子供も激減しており、今後さらに激減することが予想されているからだ。対象患者層の人口が今でも少なく、今後さらに急激に減少することが分かっているのでは、採算が取れるはずがない。


    もうこれは鶏と卵なのだが、そもそもそういう地域では医療だけが不足している、なんてことはない。生活に必要な殆どのものが不足している。さらに言えば、人間の数そのものの減少が著しいのだ。従ってそういう所にはスーパーもコンビニも出店しない。出店しないから住民はどんどん不便になり、ますます人口は減少する。要するに、過疎地域で医療だけ提供したって無駄なのだ。消滅まっしぐらなのだから。


    では何故訪問在宅診療所も手を挙げなかったのだろうか。


    理由は2つある。1つは今年の国の診療報酬大改訂で在宅関連は大幅に点数が下がったこと。すなわち国は、これまでの在宅に軸を置いた高齢者医療介護政策の方向転換を計っていることが明確になった。これは当然だ。何故なら訪問診療では一人の医者は半日でどんなに頑張っても患者を10人しか診られない。そして半日で10件回る訪問診療というのは3分診療と同じで、粗雑そのものだ。一方外来診療なら、半日で50人診療する医者はざらだ。すなわち訪問診療、在宅医療は極めて効率が悪い。丁度今から団塊の世代が後期高齢者になり、やがて数年後には介護が必要な状態になる。その時、こんな不効率なやり方では到底対応出来ないことを、国もやっと認めたのだ。今後高齢者介護、医療は施設中心にならざるを得ない。そんな田舎町でえっちらおっちら医者を軽自動車で廻らせるより、地域の患者を纏めてマイクロバスで医療機関に運んできた方がずっと合理的だ。デイサービスだってマイクロバスで利用者送迎しているのだから、医療機関も同じことをすればよいのだ。


    もう一つの、もっと根源的な理由は、今地方では高齢者人口そのものが急激に減少しているという事だ。地方の高齢化という言葉は使い古されているが、今実際に地方で起きているのは、高齢者人口の減少。すなわち、在宅医療も在宅介護も、そして介護施設も、対象になる高齢者そのものが減ってしまい、採算が成り立たない。だから閉鎖撤退するところが急激に増えている。つまり現実は医療過疎ではなく、患者過疎なのだ。


    こう言うところは要するに地域としてもはや成り立たないのだ。成り立たないところに医者だけ持ってきても、介護施設だけ持ってきても、なり立たないものはなり立たない。居住権云々とは言っても、要するにそういう所にもう人間は住めないという事だ。人々が自然に消え去り「やがて誰もいなくなる」のを待つしか無いのだろう。

  • 投稿日時:2024/10/11
    今日、石巻では一番有名な精神病院から「御本人の希望により、今後この方の診療は貴院にお願いします」という患者が来ました。私は本人には、「私はあなたを治療出来ませんから治療しません。それは、私は内科医だから胃がんを切って治せいないと同様、あなたは治せないという事です」と告げました。


    しかし紹介元の精神病院には「この者は詐病であるから治療はお断りします」と返信しました。


    その人は、ありとあらゆる、どの領域の専門家が調べても全く原因が分からない、説明が付かない症状を呈していました。あらゆる専門家が「原因不明」と言い、しかし本人は障害者手帳を持っていました。


    無論医学は万能では無いので、いくら検査や診察をしてもその患者の病悩の原因が分からないという事はあります。しかし、その反対もあるのです。


    人生経験を充分に積んだ医者は、別に検査しなくても「これは詐病だ」と見抜きます。詐病を証明する検査というものはありません。採血して何かの数値が上がり下がりしているからあなたは詐病だ、なんていう検査はないのです。その「自称患者」が詐病かどうかは、まさに医者の人生経験、医者としての人生経験で判断するしかない。検査ではないのです。


    私は本人には
    「私はあなたを治療出来ません。それは、私が内科医だから胃がんを切って治せないと同様、私はあなたを治せないのです。だからあなたの治療は出来ません」。


    と言いました。その患者は困った表情で「では私はどうしたらよいのでしょうか」と言いましたが、私は冷徹に


    「私には分かりません。ともかく、私はあなたを治療出来ません」と言い放ちました。


    ここから先は想像ですが、その人は最初は何か具合が悪かったのでしょう。しかし「具合が悪い」という事で、その人はなんらかの「疾病利得(しっぺいりとく)」を得たのだと思います。病人だと認定されることで社会から配慮してもらえた。それがその人に、まるで抗精神病薬のように、あるいは覚醒剤のように、麻薬のような効果をもたらしてしまった。「この人は病人なのだ」と社会が受け取ったが故に、その人はそれまでどうにもならなかった生き辛さの一部を解消出来た。


    ところが、その経験がその人にとっては負の学習効果になり、その人はその後ずっと「病人」の仮面を被るようになったのです。その仮面はどんどんエスカレートし、精神症状だけでなく身体症状をもおこすようになった。様々な不可解な身体症状が起きたから、その人はありとあらゆる専門病院に受診したが,どの医者も「原因不明」で終わった。


    おそらく、その人に関わった医者の多くが「こいつは詐病だ」と気がついてはいたでしょうが、しかし「お前は詐病だ」という診断は、限りなく困難です。本人が嘘をついているという事を証明することは難しい。


    そうして20年の時が流れるうち、その人が被っていたはずの仮面は次第に本人の皮膚や肉に食いつき、離れがたくなってしまった。もはや仮面を脱ごうとしても、脱げないのです。仮面は癌になりました。


    自分が作って被った仮面が精神の癌になり、自分のこころと切り離すことが出来なくなった。つまり癌で言えば「根治手術は不可能」となったわけです。


    しかし、癌と違い、これは要するに、自業自得です。自分が被って疾病利得を受けていた仮面がいつしか自分で剥がせなくなり、血肉とくっつき、自らの精神、人格に浸潤し始めた。


    癌で言えば第四期、治癒不能です。


    病気の仮面を被ると、いつしか治癒不能になるということは、よく覚えておきなさい。
     
  • 投稿日時:2024/10/09
    70代が深夜の交通整理の仕事しか見つからないから食事は1日一食なので「夕食後の糖尿病の薬」は飲めない。二人の子供を抱えたシングルマザーは子供が入院して休んだら就業日数が足らなくなってクビ。深い事情は聞かなかったが金のために昼と夜の仕事を掛け持ちしている女性は爪は派手に塗り立てているが顔色があまりにわるいので貧血を疑って採血、息子が自殺した母親は毎晩眠れないが夜になるとパニックを起こす娘が心配で睡眠薬は飲めない・・・。石巻の場末の診療所から見える風景だ。


    誰か国を治す医者はいないのか!
     
  • 投稿日時:2024/10/08
    視床痛というものすごく難治性の疾患を長年患っている方を東京の中医学鍼灸をしている有名な鍼灸院にご紹介したら、患者さんから「一回受けただけで十何年も続いてきた痛みがほんの少しだが軽くなり、治療を受けた部位がぽうっと暖かくなった」と言われました。無論その人には私も煎じ薬治療をしています。煎じ薬治療である程度の反応はあったのですが、あるところで改善が止まったことと、お話をよく伺うとどうもこれは経絡阻滞が強く関係していると考えたので鍼灸院に併診をお願いしたのです。


    煎じ薬治療もこのような非常に難治な症例に対する鍼治療も、完全な「個の医療」です。その人個人をよくよく診察して、まさに「その人にとってベスト」な煎じ薬や配穴を行います。


    しかし、そのように非常に難しい患者さんに対し煎じ薬や中医鍼灸を行って効果を出すためにこそ、弁証論治が精確で、配穴や生薬の取捨選択が適切で無ければなりません。こう言う治療は、どこそこの痛みにはこのツボとか、女性の冷えにはとりあえず当帰芍薬散とか言うレベルの医者や鍼灸師には完全に不可能です。中医学弁証を総動員し、鍼灸であればさらに配穴理論を熟知している、煎じ薬治療では本草学をきちんと学んでいて生薬一つ一つの効能効果やその組み合わせ方の法則を理解していなければ、こう言う治療は出来ないのです。


    ところが、もしそう言うときに拠り所とする中医学理論や配穴の理論、本草学が間違っていたら?間違った知識を基にした治療で患者を治せるはずがありません。


    ですから、個の医療で本当に素晴らしい、西洋医学の医者が仰天するような効果を上げるためにこそ、中医弁証理論がしっかり確立していて、配穴や生薬学の知識が正確でなければならないわけです。中医学は個の医学だから弁証理論より経験だ、などとうそぶく人間には、こんな難治患者は全く歯が立ちません。


    つまり、個の医療をきちんとやることと弁証や配穴、本草学と言った「医学体系」がきちんとしていることは、矛盾しないどころか完全に表裏一体なのです。


    俺は中医弁証なんか知らんけど、師匠から教わった通りに鍼を打てばだいたいの患者はよくなる、なんて言うのは、せいぜいありふれた肩こり腰痛を相手にしているだけだってことです。


    中医弁証なんか関係ない、口訣(くけつ)で漢方薬出せば治るんだ、と言うのも同じです。口訣というのは英語で言えばclinical pearlです。たしかにあるときひょいとその口訣を思いついてそれを参考にすると臨床の役に立つことはありますが、そんなもので「10数年来の視床痛」とか「食べても食べても体重が一年で10kg以上減少して、何所で精査されても原因が分からない」なんて言う患者は治せません。


    個の医療と、弁証論治を精確に、かつきちんと体系化し検証する作業は、全く矛盾しません。弁証や本草学、配穴理論などの医学理論が正しいのかどうか、いや現時点では内部矛盾があるがそれはどう解決していくのかと言った作業は、まさに個の医学を高度なレベルで行うためにこそ、絶対に必要なのです。


    これが全く分かっていないのが、「中医学は一例報告を積み上げるべきだ」とか、何も深く考えずただ安易に「中医学はpersonal medicineだ」などと主張する連中なのです。彼らは、きちんと深くものを考えていないのです。
     
  • 投稿日時:2024/10/07
    私は心療内科初診の患者に


    「世の中の2割はあなたが何をしようが(あるいはしまいが)あなたの敵で、この2割というのはそれより多くはなっても少なくはなりません」と冒頭に言う。


    それで自分の問題が分かってしまい、全て解決してしまう人も多い。


    だが私は必ずこう念を押す。


    「敵には2種類あります。一つは、単にあなたが嫌いなだけの人々です。SNSで絡む連中などは大抵これです。こういう人々は、ネットではブロックし、実社会では遠ざければよい。それだけです」。


    「しかし、もう1種類の敵がいます。それは、あなたが真に大切だと思うことについて、例えば私にとってそれは医学医療や伝統医学ですが、そう言う本当にあなたが大切にしていることに関して、あなたに敵対し、あなたを倒そうとする人々です。こういう人々と、一時的に妥協することはありますが、しかしもし彼らを倒せると思ったときは、躊躇なく倒しなさい。滅ぼすのです。なぜならそれは、あなたにとって正義であり、そうしなければあなたは一生後悔しますから」。



     
  • 投稿日時:2024/10/03

    今、色々な薬がありません。別に特殊な薬ではなく、咳止めやペニシリンやビタミン剤、睡眠薬など、ありとあらゆる薬の供給が不安定で、薬局によってこの薬はあるけどあの薬はない、という状態がもう2年も続いています。

    理由は、政府が薬の値段を下げすぎたからです。ジェネリックにすればいくらでも安く作れるだろうと、例えば代表的な抗生物質ペニシリンが1カプセル10.1円です。咳止めのアストミンは7円です。

    10.1円とか7円で、何か買えますか?買えませんよね。だから薬もかないのです。

    これまで当院では、私の処方箋にある薬が揃う薬局を窓口の事務が必死で探していました。しかし患者さん一人あたり、そういう薬局が見つかるまで20分も30分もかかるのです。もう無理です。

    今後当院では、処方箋で出した薬が揃う薬局を探すのは止めます。どのみちどの薬局に行っても大抵の処方箋は、全部は揃いません。その責任は政府と自民党にあります。しかしその自民党をずっと支持してきたのは日本医師会と日本薬剤師会です。ですから、当院の処方箋の薬が揃う薬局が見つからなければ、医師会や薬剤師会に相談してください。彼らはこういう現実を知りながら、もう何年も自民党を支持し続けてきたのですから。

    もちろん皆さんの中にも自民党支持の方はおられるでしょう。そういう方の薬がないのは、あなたの自己責任です。総選挙が近づいています。今度も自民党を支持されるのであれば、あなたの薬は揃いません。それは、自己責任でお願いします。ご自分で薬局を探してください。

    日本医師会 03-3946-2121

    日本薬剤師会 03-3353-6270

     

    当院ではこれ以上「薬が揃わない」という事態には対応不可能です。

     

     

  • 投稿日時:2024/10/01
    漢方には「望・聞・問・切」という四つの診断法があります。患者を目で見ること、患者が発する音を聞くこと、問診すること、患者を触ることです。切(せつ)というのは切るのではなく触るという事です。このうち、望診、つまり患者を見ただけで患者を判断出来るのは名医とされています。


    ところが。


    今日、ある初診の患者さんが来ました。いや、正確には「担ぎ込まれた」と言った方がいいでしょう。



    詳細は省きますが、その人については昨日の夕方本人の関係者から相談の電話があり、相方事務長が「では明日来て下さい」と言ったのです。相方は電話口で「どうもこの案件は何月何日予約じゃない」と思ったそうです。しかし相方事務長がそれを私に告げたのは今朝でした。私は何も知らないから、「あ、そう。じゃあ今日午後来るんだね」と言いました。


    その人は実際、今日午後に来ました。来たその患者を見た瞬間、私は「こりゃやばい」と直感しました。SpO2を測るとマスクを外しても90しかない。SpO2 90と言うのは、その人の風貌を見た瞬間医者が「やばい」と感じるのを数字で表したという事です。望診の「やばい」を数字にすると(全てではないです、この患者の場合です)SpO2 90になります。


    後はサクサクとやるべきことをやって日赤に救急搬送しました。診断は伏せますが、要するに日赤に救急搬送を要したのです。


    たしかに私は望診で物事を判断しました。後の検査は裏付けです。日赤の救急外来担当医に「望診で危険と判断しました」という診療情報提供書は書けないから、相手を納得させられるだけの検査をしたのです。しかし患者を目にしたその瞬間から、「この患者は日赤に救急搬送」という腹は固まっていたのです。


    だからと言って私は名医でしょうか?そうは思いません。あの患者を一目見たら、医者なら誰だって「やばい」と思うでしょうし「救急搬送だ」という判断をするのも容易だったと思います・・・アー、誰とは言いませんがその判断が出来なかった医者がこの件に絡んで一人いましたが。


    要するに望診で判断するってのは、「やばいかどうか」を判断するのです。やばいという判断は、殆ど一瞬でつきます。初診の患者が診察室に入ってきたとき、一目見て「あら、やばい」と判断するのは、そんなに高度な技ではありません。フツーの内科医です。逆に言うと、患者が診察室に入ってきた瞬間その人を覧て「やばいかやばくないか」判断出来ないような医者は駄目なんです。少なくとも、内科・外科なら駄目です。後は「やばい」ということの裏付けのための検査をして、高次救急に送るんです。高次救急病院は私が「この人やばいと覧ました」という紹介状では取ってくれませんから、高次救急の医者が「なるほどこれはたしかにやばい」と納得するための検査をするだけです。当院レベルで精確な診断を付ける必要は無いのです。高次救急病院が「あ、確かにこの人はやばいから受けよう」と判断するのに必要なデータ、所見を揃えれば、それでいいんです。


    望診で判断するのが名医だというのなら、私が名医になってしまいます。しかし私は明らかに名医ではなく迷医ですので、「望診は名医」は間違いです。


    ちなみに。今回の件ではたしかに名医が一人いました。相方事務長です。通常電話で相談があった新患は予約制です。何月何日なら空きがありますと言います。しかし相方事務長は電話口で本人ではなくその友人から話を聞いただけで「これはすぐ明日来て貰おう」と判断したそうです。


    名医です。
     

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