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  • 投稿日時:2024/08/11
    先日、採血結果はちゃんと聞きに来てください、その時は再診料をお支払い戴きますと書いたが、実は私は毎朝診療が始まる前に前日の採血結果に目を通し、「あ、これは近日中に来て貰わないとマズい」と判断した人にはその場で本人の携帯に電話をしている。


    以前はそんなことはやってなかった。採血したんだから患者は当然その結果を聞きに来るはずだと思っていた。ところがある日看護リーダーから「採血したまま来院せず、溜まっている採血結果がこんなにある」とその束を見せられ、仰天した。百数十人分。一つ一つめくってみると、大半は「まあこれは良いだろう」だが、何人か「いやこれはマズい」という人がいた。それから、私は必ず前日の採血結果に目を通すことにした。


    おそらく、「何か異常があればクリニックから知らせてくるだろう」と思っている人が相当いるのだろう。そしてこちらは「採血したんだから患者はその結果を聞きに来るはずだ」と思っていた。双方がそれぞれ思い込んでいた結果、本人が聞きに来ないで後日私が結果を見たら仰天、というケースが何人もいたわけだ。


    それで、今は私は昨日の採血結果には必ず目を通しているが、そんなことをする医者は少ないのだから、皆さん検査受けたら必ずその結果を聞きに来て下さい。実は大変なことになっていた、と言うことが実際にあったのですから。

     
  • 投稿日時:2024/08/09
    今日、日本製紙から3人目の心療内科受診があった。さすがに3人目ともなれば捨て置けない。こうして企業名を公開する。


    日本製紙は製紙業では日本第二の大企業だ。世界的にも、製紙会社としては世界第8位だそうだ(Wikipedia)。石巻に拠点を持つ企業の中では唯一の一部上場企業である。ところがそこから、今日で3人、労働問題で心を病んだ患者が来た。


    あんな大企業が、いったい何をやっているんだろうと、先ほど「日本製紙」という会社について調べてみた。そうしたら、日本製紙の直接の前身は十條製紙だが、そのもともとは、渋沢栄一が三井と組んで1873年(明治6年)に設立した「王子製紙株式会社」であったことが分かった。


    それで、合点がいった。そもそもが、官僚から資本家に転出した渋沢栄一が三井財閥と組んで立ち上げた会社だ。つまり職種は違えど、「女工哀史」の舞台と同じような会社であったという事だ。設立当時からして、労働者を虫けらのように搾取するのが当然という体質の会社なのだ。


    渋沢栄一を美化したり理想化する風潮があるが、人間はその発言ではなく、行動を見た方が良い。


    渋沢栄一は、元豪農の生まれだった。農家であったが、豪農だったので苗字帯刀を許された。そして明治維新の時、最初は尊皇攘夷を唱えたが、機を見るに敏で、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の家臣になった。幕臣としてパリ万博に派遣され、ヨーロッパ文明に接した。


    明治2年には今度は明治政府に招かれ、民部省の役人として税制に関わった。その間、彼は富岡製糸場に従兄を初代場長として送り込んでいる。この富岡製糸こそ、あの「女工哀史」のそのままであった。彼は大蔵省で出世したが、あることで権力者と意見が対立し、退官。実業界に身を転じた。三井財閥と組んで様々な銀行や会社の設立に関わった。その渋沢栄一が設立に関わった会社の一つが王子製紙だ。つまり、彼は終生、よく言えば「機を見るに敏」、露骨に言えば「今どこに権力があるかを察知して、上手く一生を泳いだ」人物だ。


    渋沢栄一は今年なんと万札の顔になったが、彼を賞賛するのは危険である。渋沢栄一が高級官僚から実業界に転出して活躍した時代というのは、まさに戦前の日本。労働者などは虫けらのように扱われ、死ねば死んだきり。小林多喜二が描いた「地獄に行くぞ」の時代であった。渋沢栄一という人間は、小林多喜二のペンに掛かれば「地獄絵図」の企業を次々に設立した人間だったのであって、老年になって医療や福祉,教育に関わったからと言って、彼の社会的犯罪は否定出来ない。


    そういう人物がそもそもの会社を設立した、その末が今の日本製紙なのだ。それなら、あれほどの大企業なのにこんなちっぽけな場末のクリニックに三人も労働問題で心を病んだ労働者が来たというのも、合点がいく。三人の状況は、いずれも、一部上場の大企業としては驚くべく酷いものだった。一帯何故これほどの大企業から労働問題で心を病んだ患者が来るのか不思議だったが、今日ついに三人目が来たので日本製紙のそもそもを洗ったら、なるほどあの渋沢栄一が立ち上げた会社が元なら、それはこう言う労働環境だろうと合点がいった次第であった。



     
  • 投稿日時:2024/08/03

    今夜は、50代最後の日の晩餐を相方と一緒に戴きました。明日は彼が手料理を作ってくれるそうです。

     

     

    いつもは「相方事務長」と書いていますが、今日は「相方」と書きます。なぜなら彼と私は19981230日に出会って以来、人生を共にしてきたパートナーだからです。

     

     

    その間、彼には迷惑の掛け通しでした。出会った翌年に今のマンションが完成して、私は彼を仙台に呼んだのですが、当時はまさに冬の時代でしたから、彼は仙台で職に就くことが出来ませんでした。しかも、私は2001年に一回仙台を離れ、東大に漢方の武者修行をしに行きました。その時は、このマンションは一度手放し、東京で2年間アパート住まいをしました。その時も相方は一緒に着いてきてくれましたが、当然東京でも、まともな職には就けなかったのです。あの「冬の時代」の話です。

     

     

    2003年、私自身が引き金を引いて、東北大学医学部になんと漢方の講座が出来ることになり、私たちは予想だにしなかったのですが、仙台に戻ってきました。私は浪人暮らしから突然東北大学准教授になりました。

     

     

    その後も色々とあったのです。話し出すと切りがありません。しかしどんなときも、常に私には彼がいました。彼はあの19981230日の晩以来、一度も私に「別れる」と言ったことがありません。その間、私は何度も浮気をしたのですが。

     

     

    しかし今、明日還暦を迎えるという身になってみれば、浮気相手とは皆疎遠になりました。結局、彼だけが残ったのです。むしろ、彼と知り合う前に付き合っていたタイのチェンとは、今でも友人として関係が続いています。おそらく彼は、明日私におめでとうというラインをくれるでしょう。

     

     

    無論、1998年という時代、私たちが結婚式を挙げるなどということはまったく考えられませんでした。私たちは今年で26年目です。なんでも25年目を銀婚式というのだそうですが、これはおそらく業界の金儲けの種だろうと思います。おそらく私たちがもしお互いに何か式をするというなら、それは葬式になるでしょう。どちらがどちらの葬式をするのかは、分かりませんが。

     

     

    私は職場の同僚や同級生など、たくさんの結婚式に参列し、そのたびに三万円を置いてきましたが(まあ、決まり事ですので)、私と相方は、一度もそういう機会には恵まれませんでした。しかし、いくら盛大な結婚式をやっても、破綻する夫婦はいくらでもいます。私たちは何の式も挙げませんでしたが、26年間人生を共にしております。

     

     

    そうですね・・・。もし出来ることなら、私たち同性カップルにも、少なくともなんらかの法的関係を認めてほしい。まさに星霜を共にしてきたのですから。仏教式に言えば塵労を共にしてきたわけです。私は自分がゲイである事を隠していませんが、相方の名前は明かせません。彼は未だにGay in a closet、沈黙するゲイですから。しかし、私たちのどちらかは、先に死にます。私の方が年が上ですから、可能性としては私が先に死ぬでしょう。その時、私は是非相方に喪主を務めてほしい。それには、社会が私たちのような関係を認めて戴く必要があるのです。今のままでは、いくら私たち二人が人生で分かちがたい関係だとしても、法律や慣習では「単なる同居人」なのです。

     

     

    色々な考えで「そういうことは公に認めるべきではない」という方が多いことは承知しています。しかし少なくとも、私と相方の関係が公的に認められても、皆さん方一人一人には、何の迷惑も掛かりません。これだけはご理解戴きたい。26年間人生の苦労を共にしてきた私と相方がなんらかの公的な、あるいは法的な関係として認められたからと言って、誰にも一切、ご迷惑が掛かるという事はないのです。そうなったところで、太陽はその翌日も東から上がるでしょうし、あなたのお子さんは反抗期であなたに反発するでしょう。老いた親御さんの面倒を見るのが大変なことも、別に私と相方が公的な関係を認められるかどうかで変わるわけではありません。あなたの上司は、その翌日もあなたにガミガミ言うでしょう、それまでとまったく同じように。皆さんにとっては、まったく同じ日常が続くだけです。しかし、私たち性的マイノリティーにとっては、それは非常に大きな福音なのです。

     

     

    もし私たちの関係が公に認められれば、私か相方が病気になって入院したときも、「誰か他のご家族を呼んでください」なんて言われる必要は無くなります。どちらかが死んだときも、ごく自然に片方が喪主になり、遺産を相続出来ます。私の両親はともに70代後半で呆けましたから、私もおそらくその年代で呆けるでしょう。その時、私の身寄りは相方しかいません。しかし私と彼が今のような「法律上はあかの他人」だと、私が呆けたとき、あれもこれも山のように面倒が生じます。

     

     

    私たち性的マイノリティーは、自分でそういう生き方を選択したのではありません。思春期を迎えたら、自分でも訳が分からないまま、そうだったのです。今では性的指向というものは生まれつきであって、ある人々は思春期を迎えると異性に興味を持つが、ある人々は同性に惹かれる、またある人は異性にも同性にも惹かれるという、それだけのことだ、と言うのが世界の医学常識です。だからこそ、多くの国々で性的指向によって人を差別しないと言う方向に向かっています。しかし日本では、なかなかそうなりません。

     

     

    家族制度を持ち出す人がいます。しかし代々続く家族などと言うものは、武家か公家以外は、江戸時代まで存在しませんでした。そもそも苗字を許されたのが武士か公家だけだったのですから。

     

     

    つまり、「古来の伝統」と呼ばれる慣習や制度の大半は、実は割合新しいものです。そう言うものを尊びたい人は、無論尊んで戴いて善いのですが、しかし「日本では古来から代々家系が」と言われて性的マイノリティーの関係を否定されると、いやいやそう言うのって、実はそんなに昔々からあったわけじゃないですよ、と言わざるを得ないのです。むしろ、戦国時代から江戸時代まで、日本社会は同性愛には非常に寛容でした。

     

     

    まあそういう歴史の話はさておいて、少なくとも、私と相方の26年続いている人生を共にする関係を公に認めて戴いても、少なくともどなたにも一切ご迷惑は掛かりません。誰にも迷惑は掛からず、かつ私たち当事者にとっては非常に有益で有り難いのですから、どうぞ私たちのような関係を公に認めてください。

     

     

    あゆみ野クリニックにとっても、我が相方は必要欠くべからざる人間です。そして相方が私の要求する当院にとっては必要だが相方にとっては完全に不慣れな要求を一生懸命こなしてくれるのは、まさに彼が私の相方だからです。そうでなければ、彼はこんな困難な仕事はとっくに辞めていたと思います。しかし彼が辞めたら、あゆみ野クリニックは成り立ちません。私と相方の関係は今まさに、石巻にとってもささやかながら大事な話なのです。あゆみ野クリニックが今後も皆さんのお役に立つためには、私と相方の関係がとても大事なのです。還暦という人生の節目に当たって、私が皆さんに是非お願いしたいことを申し上げました。それでは、今後もあゆみ野クリニックに宜しくご贔屓をお願いいたします。

  • 投稿日時:2024/08/01

    私は何故今日本人がパリオリンピックの日本人選手が得たメダルの数に一喜一憂出来るのかが分からない。能登ではまだ仮設住宅すら不十分で、震災から7か月も経つこの炎天下、避難所暮らしを余儀なくさせられている人がたくさんいる。この猛暑の中、仮設住宅にすら入れず、避難所に押し込められている同胞を忘れ、メダルの数に熱中するという感覚は、私にはまったく理解出来ない。

    日本人は全員記憶喪失なのか、認知障害なのか、そもそも頭がおかしいのか。いや一番可能性が高いのは、その全てだという事だろう。 そういう人は、是非あゆみ野クリニックに受診してください。みんな認知症と診断して上げますから。

  • 投稿日時:2024/07/30
    先日石巻市から「10月からコロナワクチン接種をやるが、貴院では取り扱うか?」という問い合わせがあり、私はうーん、と考え込んでしまいました。

    私はアンチワクチンではありません。ワクチンは地球上で無数の人々の命を救ってきた偉大な発明であり、漢方や中医学の「未病を治す」医療そのものです。

    同時に私は、ワクチンが時に重大な副反応を起こすことも承知しています。中には死亡例もあります。
    先日、ある患者さんからこう言う話を聞きました。その人の旦那さんが、コロナワクチンを接種したその晩、突然死したそうです。剖検されましたが、死因は不明だったと。
    無論患者さんは、夫が死んだのはワクチンの副反応だと考えており、「何故あんなものを夫に打たせてしまったのか」と自分を責めているのです。

    この例について「男性の突然死は一定の確率で生じうるからそれは偶発的な事象に過ぎず、ワクチンとの因果関係は証明出来ない」などと言い放つ医者がいたら、それは医者失格です。少なくとも臨床医としては失格です。単に患者に対する同情からだけでなく、「なるほどそういう状況経過であれば、ワクチンの副反応で亡くなった可能性はあるだろう」と医学的にも考えるべきです。可能性を疑わない者は、科学者ではありません。

    しかし、それでもワクチンは、地球規模で数え切れないほど多くの命を救ってきました。

    医療が行き届かない状況にある国や地域に行ってまずやるべき医療支援の一つが、ワクチン接種です。そういう国や地域では、「病院を建てましょう」と言っても、病院一つ建てるって何年もかかりますし、建物が建っても電気がない、医療に不可欠な清潔な水が手に入らない、医療従事者が育っていない等々、なかなかことは進みません。しかしワクチン接種なら、コールドチェーン(低温に保冷して輸送する手段)だけ確保すれば、出来るのです。

    例えば、はしか。はしかは今でも世界的に流行をくり返しています。2019年に世界で50万人以上が感染する大流行の後、コロナ禍で人々の移動が減少し感染予防対策が徹底されたため、逆にはしかの流行はしばらく収まっていました。しかしコロナが弱毒化し、人々が以前の生活を取り戻すにつれ、再びはしかが流行するようになりました。昨年には日本でも28人のはしか感染が確認され、今年は3月末日現在で既に11人がはしかに感染しています。

    しかし1963年、麻疹ワクチンが開発され、世界中で接種されるようになる前は、こんなものじゃなかったのです。世界で毎年推定260万人がはしかで命を落としていたそうです。麻疹ワクチンは、まさにそういう人々を世界中で救ったのです。水痘も日本脳炎も破傷風も、ワクチンを打っていなければ極めて高い致死率を示す疾患です。

    私はよくアンチワクチンの人々にこういう皮肉を言います。なるほど、あなた方が言う通り、ワクチンは時に重大な・・・死亡を含む副反応を起こす。しかし今あなたが元気でワクチンの害を論じることが出来るのは、あなたが子供の頃、あなたのお母さんがきちんとあなたに定められたワクチンを接種させたおかげです、と。

    さて、そこで本題です(ここから?ってのは無し)。この秋、政府はまたコロナワクチン接種を実施するそうです。今回は「65歳以上、腎臓病、糖尿病を持つ人だけ」が対象で、これまでのように無料クーポンを配って大々的にやるというのではないようです。

    さて、上記に該当する人々がこの秋のコロナワクチンを受けるメリットはあるでしょうか。

    先日当院に、ファイザーが最新ヴァージョンのコロナワクチンを出したと業者が紹介しに来ました。最新型の変異株に対応したワクチンだそうです。どれどれ、と添付文書(要するに説明書き)を読んだら、効能効果のところに
    「本薬剤の有効期間は不明である」。

    たった一行、これしか書いてありませんでした。感染予防率も重症化予防率も、一切記載がありません。私は黙ってそれを業者に見せ、業者もしげしげとそれを読み、お互いに顔を見合わせて笑い出してしまいました。もちろん、その話は無しになったのです。

    そんなものは、到底お勧め出来ません。効能効果が「本薬剤の有効期間は不明」としか書かれていない薬剤なんてものは、初めて見ました。その他に起こりうる副反応とその確率などが色々書かれていましたが、肝心の効能効果がこれでは・・・。

    と言うわけで、この秋のコロナワクチンは「どうしても」という方がいればあゆみ野クリニックでもやりますけど、全然お勧めはしません。どうしてもご希望の方は、自己責任でお願いします。
  • 投稿日時:2024/07/25
    株価が上がった下がった、円がどうなったというレベルとは別に、今まさに日本社会が音を立てて崩れつつあるその現場に立っているのは事実だと思う。しかし私は30年以上にわたり、まさにこの社会の現役だったのだ。

    私が何も努力しなかったとは言わない。少なくとも自分が関わる分野で、どうにか変えようと努力はしたが、結局社会全体の崩壊を目の当たりにすることになってしまった。もうちょっとどうにかならないか、どうにかしようと頑張ってきたけれども、今となっては「もはやどうにもならない」と認めざるを得ない。

    そもそも、あんな大震災であれほど広範囲の地域がまさに一瞬で消滅しても、この国の体質は変わらなかった。深く本質を見つめることをせず、目先の金儲けに終始した・・・上から下まで、全員が。

    石原慎太郎が放った暴言の中で、今思い返せば正しかったことが一つだけあった。あの震災は天罰だと、これを機に我欲を洗い落とせと言ったのは、今になってみればそうだった。あの大震災を「金儲けの種、甘い蜜の塊」としか見ることができなかった日本人は、もはや滅ぶほかはないのだろう。
  • 投稿日時:2024/07/22
    同級生が教師に媚びへつらいながら陰で悪口を言うのがいやだという君の気持ちは分かる。その君の感情は、世間では「うぶだ」とか「未熟だ」と言われるものだが、本当はそうではない。君が感じていることこそ「本物で真実」なのだ。
    今君が石巻の高校で感じているこのなんとも言えない嫌な風潮は、実は君の学校だけでは無い。君がどこか大学に行っても、就職しても、日本にいる限り全てそうなのだ。

    ムラ社会、と言うんだ。

    ムラ社会。閉鎖的で、閉じられた内部のルールだけが通用する社会。その中で権威権力を振り回すボス猿に皆が媚びへつらいつつ、陰口を言う社会。それは、石巻だけではない。日本というものが、全部そうなんだ。

    君は東京に行ったことがあるね。君からしたら、東京は超高層ビルが林立し、地下鉄が網の目のように走る大都会に見えるかも知れない。だがね、あれだって要するに無数のムラ社会が積み重なっただけなんだ。霞ヶ関ムラ、永田町ムラ、大手町ムラ、ムラ、ムラ、ムラ。みんなムラだ。そして東京に群がる人々は、皆自分が所属するムラのルールで生きているんだ。彼らに出来ることは精々、陰口を言うだけさ。

    私は来月60になる。つまりこの30年間、私はこの社会の現役だった。医者として、大学の准教授、臨床教授、国立病院部長等々、それなりの地位にあった。すなわち、私は今日本という社会をこんなにダメにしてしまった責任の一端を背負う人間だ。

    私は君に「君たち若い人々がこの日本を立て直してくれ」とは言えない。言いたいけれども言えない。「そんなことを言うなら、あんたがたがこんな社会にしなければ良かったじゃ無いか」と言われるのは分かってる。

    君が今、自分の学校というムラ社会を嫌悪しているのなら、石巻を出なさい、いや、日本を出なさい。英語をしっかり勉強して、海外の大学に行くんだ。日本なんか、戻ってくるな。こんな所にいたら、みんな病気になるんだから。こんな社会にいておかしくならないというのは、つまりそいつがおかしいんだ。

    日本なんて言うものは捨てて海外に行くと決めれば、今君が嫌悪感を感じている連中は、要するに君とは無縁だ。どうでも良い奴らだ。だから其奴らに関わるな。君は一生懸命勉強して、海外の大学に進みなさい。こんな窒息する社会から出なさい。

    今60になる私から高校生の君に言えるのは、それだけだ。
  • 投稿日時:2024/07/20
    心療内科を受診される、特に労働問題、職場の問題で悩んで心身を崩した患者さんに、声を大にして言わせていただきます。


    真面目な人が損をして、正直者がバカを見て

    優しい人がメンタルを病み、一生懸命な人ほど都合よく使われ

    真っ当な人が少数派で、なぜか傷ついた側が責められる。

    あなたがおかしいのではなく、こんな世の中がおかしいのです。
  • 投稿日時:2024/07/20
    今週から石巻でも新型コロナの第11波が襲ってきました。

    あゆみ野クリニックでは、先週まで新型コロナの患者さんは毎日コンスタントに3,4人でしたが、連休明けの今週火曜日にいきなりどっと増えました。既に関東では一ヶ月前から大流行していましたので、連休中の人の移動で石巻でもばっと増えたと思われます。

     

     

    色々な情報を総合すると、KP.3は人間の免疫系やワクチンが作る抗体をすり抜ける力がダントツに強くなっているため、ワクチンを打った人、過去にコロナにかかった人でも容赦なく感染します。事実上、室内でKP.3に有効な感染予防策は存在しません。マスクやうがい、手洗いetc.はまったく効果がないばかりか、ワクチンもおそらく感染予防効果はほとんど期待出来ません。なぜならコロナワクチンの基本的な効果発現の仕組みは「新型コロナウィルスに特別に反応する抗体を作る」事なのですが、KP.3はその抗体の攻撃をすり抜ける能力が格段に上がっているからです。つまりワクチンで抗体が出来ても、ウィルスが抗体の攻撃をすり抜けてしまうのですから、ワクチンの感染予防効果はほとんど期待出来ません。

     

     

    重症化リスクについては従来のオミクロン株と基本的に変わらないというのが既に大流行している地区の臨床医の印象ですが、東京都ではKP.3が流行し始めてコロナに起因する入院が明らかに増えているというデータがあります。当院でも、今週連休明けの火曜日から今日金曜日までの間に2名、従来重症化リスクと考えられていた糖尿病や腎臓病などの基礎疾患がない40代の方二人を「コロナによる肺炎疑い」として日赤に送りました。そのうち一名は日赤の精査でコロナ肺炎と判明し、抗ウィルス薬が投与されています。もう一名は今日送った症例なのでまだ結果は不明です。これは、これまでのオミクロン株と「違うな」と思わせる点です。

     

     

    症状においてこれまでのオミクロン株と明らかに違うのは、鼻閉と咳、痰が多いことです。これまではほとんど発熱と咽頭痛でしたが、今回明らかに鼻閉と咳、痰が目に付きます。そしてその「咳、痰」を訴える人の中に、オミクロン株になってからはずっとなりを潜めていた健常成人のコロナ肺炎確定例1名、疑い例1名がでています。

     

     

    KP.3の感染予防対策は皆無です。当院では現在、発熱外来は全て駐車場に車を停めて待機していただいたまま、医療側は戸外にいる状態で行っています。戸外であれば感染確率は明らかに低いというのはこれまで一連のコロナ変異株で確認されているからです。発熱外来のブースに案内せざるを得ないときはN95マスクを着用します。またコロナ肺炎などが疑われレントゲンなど精査が必要な人は、御本人にN95マスクを着用していただいて院内で検査します。

     

     

    N95マスクと言うのは本来空気感染する結核菌に対応するために開発されたマスクで、今のところ新型コロナに有効とされるのはN95マスクだけです。しかしこれはきちんと装着すると(つまりマスクの端から空気が漏れたりしないようにぴったり密着して装着すると)、付けていられる時間は15分から20分が限界です。非常に息苦しいものです。一方、今皆さんが通常使用しているマスクは現在の新型コロナウィルスに対しては完全に無意味です。逆に言えば、無意味なんですから無意味なマスクをする必要はありません。一部の店にいまだに置かれてあるアクリル板は、さらに無意味です。感染防御は精神論じゃないです。無意味なことは無意味なんです。

     

     

    なお、現在非常に蒸し暑くなっています。コロナ特有の重症化でなくても、コロナで発熱し、かつ気温が高いという状況下では、どんな人でも容易に熱中症、脱水症を合併します。水分摂取を充分行うと同時に、エアコンを適切に使用して、熱中症を合併しないよう注意してください。コロナの合併症を医学的に厳密に言えば血栓症やコロナによる肺炎という事になりますが、「この蒸し暑い時期に大流行する発熱を伴う感染症」と言うことで考えれば、当然熱中症、脱水などは誰でも容易に起こりえます。充分な水分摂取とエアコンの適切な使用が大事です。学校でエアコンがない教室、なんてのは論外です。学校にエアコンがなければ、この間登校しないことをお勧めします。子供殺すなってことです。無意味な根性論は止めましょう。命の危険があります。

     

     

     

    KP.3は「一つ屋根の下にいれば何をしても感染する」と思って下さい。しかし発熱して半日程度では、医療機関で使用している抗原抗体検査は正常に作動しません。「早期発見・早期治療」と行かないところがもどかしいのですが、きちんと検査陽性になるにはおおよそ症状発現から1日を要します。しかも、この「抗原定性検査」は「陽性は信用出来るが陰性は必ずしも信用出来ない」検査です。つまり、検査でコロナ陽性ならそのまま診断はコロナになりますが、検査で陰性であっても症状やその経過、周辺の人々の状況などを勘案して「これは臨床的にコロナ」と判断する場合はかなり多いのです。これは以前PCRが無料で受けられた時代、抗原定性検査陰性でも症状から強くコロナを疑った人にPCRをやるとPCRでは陽性、というケースが非常に多かったことで我々は学習しています。従って、「会社からは検査してこいと言われただけ」と言っても「検査は陰性だが医者が判断して総合的にあなたはコロナです」と診断したら「会社からはただ検査陽性かどうかだけ受けろと言われた」というのは止めましょう。診断するのは医師です。会社じゃありません。検査は医師の診断の一つの材料に過ぎません。医者がコロナと診断しているのに会社が「検査陰性だったら出勤しろ」と言い張るのでしたら「医者はコロナだと言っている。医者の言う通りなら職場中に蔓延するがそれで良いか」と脅すぐらいの姿勢が必要です。石巻の会社って医学知識0なのにめちゃくちゃ言う会社とても多いですから。餅は餅屋です。コロナについては医者の方が会社よりも適切な判断をします。

     

     

    以上現時点でのご報告でした。

  • 投稿日時:2024/07/10

    私は医師として一定の知識があります。また著作権についての知識もあります。それは、私が臨床医としてのキャリアだけでなく、長年学者でもあったので、論文や総説を載せる際必ず著作権法の知識が必要だったから、学んで知っているのです。さらに今は、労働三法(労働基準法、労働組合法、労働関係調整法)や教育基本法を学んで労働問題で苦しむ患者さんや不登校のお子さんに対応しています。

     

    私の亡父岩崎修は弁護士だったのです。父は、米軍横田基地訴訟弁護団の初代事務長でした。


    米軍横田基地は、まさに地元住民を米軍が強制的に追い出して作ったのです。日本国の土地収用法に基づいたものではありません。日米安保条約とセットである日米地位協定に基づき、日本国は米軍が基地を作ると言ったらそれを一切拒否できません。在日米軍は、日本国憲法のもとに定められた日本の法律には一切従わなくて良いのです。


    それまで地域の人々が日々の生活を営んでいた土地に突然米軍が現れ、この土地を接収すると宣言し、住民に銃を突きつけ、ブルドーザーで街を破壊して基地を作りました。溜まりかねて住民が立ち上がり、集団訴訟を起こしました。一審、二審は敗訴。そこで弁護団は初めて、在日米軍は日本国憲法に従うべきか否かを争点にしました。これは当時、日本政府が一番触れてほしくない問題だったのです。


    日米安保条約には、在日米軍が日本の法の支配のもとにあるか否か、明文規定はないのです。それは、日米地位協定という、吉田茂が訪米した時米軍基地に連れて行かれて有無を言わせずサインさせられた、いわば闇協定で決められているのです。


    日米安保条約は条約だから、日米両国の国会で批准、発効しました。しかし日米地位協定は、銃を突きつけられながら吉田茂がサインしたもので、正式な条約ではありません。しかしそれが今現在も、日米関係を縛っています。


    だから日本政府は日米安保は公にしても、地位協定は曖昧にしました。ところが横田基地訴訟ではまさにそれが争点になったのです。日米安保条約では、米軍が勝手に住民を立ち退かせ基地にする根拠にはなりません。日米安保条約には、そんなことを認める条文がない。


    すると今、米軍は銃を突きつけて住民を追い出し、土地を奪って基地にし、そのため住民は塗炭の苦しみを舐めているが、公式に批准されている条約である安保条約にはそんな事が許されると言う記載はない。条約に記載がない以上米軍といえども憲法のもとに存在する日本の国宝に従わなくてはならないはずだが現実はそうではない。一体日本国はこれについてどう考えているのか明らかにしろ。それが最高裁で正面から争点になりました。その結果、遂に最高裁は在日米軍は日本の法の元にはないと正式に認めたのです。


    それまでサンフランシスコ条約で日本は独立国家になったと言う国の主張が最高裁によって否定されました。日本は独立国にはなっていない、在日米軍に日本の法律は適用できない。最高裁大法廷の判決ですから、国家としての公式判断です。横田米軍基地訴訟の最大の成果はその事でした。それまでサンフランシスコ条約で日本は独立を回復したことになっていたが、実はそうじゃないですと最高裁大法廷が判決で認めました。


    それは、大きな第一歩になるはずでした。日本はアメリカに対して独立していないことを最高裁大法廷の判決が認めたのだから、日本人がやるべき事は、日本が実は独立していないことが公的に確認された以上、どうしたら独立できるかを必死で考え、努力すべきだったのです。しかしその後の日本の歩みはそうではなかった。逆に、なんだ、憲法だ法律だと言っても米軍には通用しないんだ。それなら法律なんか自分達も二の次でいいんだ。そうなったのです。せっかくの父たちの戦い、米軍を相手にした戦いは日本の民衆たちによって、真逆に捉えられたのです。


    今、私は幼い頃門前の小僧として学んだ法律の知識に新しく労働基準法、教育基本法などを学んで、石巻の労働問題や不登校で苦しむ人々に対応しています。

    しかし私がそう言う仕事をするときに一番感じるのは、石巻の人々は、あまりにも「法律」を意識しなさすぎます。石巻の方々はしばしば、法律を全く知らないだけでなく、社会のマナーだとか、会社の慣習とか、地域のお付き合いと言ったようなことだけでものを考えてしまいます。その結果、弱い人が弾かれてしまうのです。


    法律というものはまさに、人が弱い立場になったときに不当な攻撃から身を守るためにあるのです。また強い立場の人間が不当に弱い立場の人間を攻撃させないために存在するのです。だから「法律は知らんけど土地の慣習だから、ウチの会社はこれまでこうやってきたんだから云々」という理屈は、まさにその「弱い立場におかれた人々」を追い詰めます。私の父たちが米軍に対峙して引き出した日本の国法の現状をまさに御都合主義で解釈して、法律なんか知らん、向こうが法律を持ち出して来ても、弱い奴は脅せばどうにでもなる、とやります。


    しかし宮城県石巻市は間違いなく日本国の一部です。そうであるならば、在日米軍の軍人以外は日本の国法が適用されるのです。法律というものは(法律よりもっと強いのが憲法ですが)、土地の慣習だのマナーだのと言ったことよりも上位の規則なのです。土地の慣習だろうが職場の慣習だろうが会社の上司だろうが社長会長の意向だろうが,それら全てに法律が優先します。違法な慣習、違法な指示なんてものは要するに無効なのです。


    ところが石巻の人々は往々にしてそれが理解出来ていません。職場でそうなっているから、上司が言ったから、地元の慣習だからと言います。しかしそれでその人は苦しんで、どうにもならなくなって当院心療内科に飛び込んできているのに、それでもなお職場が、上司が、周りが、と言います。そうじゃないよ、と私は言うんです。


    あなたの上司はパワハラやってるんじゃない、暴行罪を犯しているんだ、しかもそれによってあなたは精神的に障害を受けているのだからそれは傷害罪なんだよ、傷害罪って、15年以下の懲役あるいは50万円以下の罰金なんだよ、と説明するんです。そうするとそういうパワハラを受けてきた人はびっくり仰天するんです。なんと、あの上司が行っていたのは傷害罪だったのか、そしてそれは15年以下の懲役に当たるんだと、初めて知るんです。


    いいですか、石巻においても、在日米軍の軍人でない限り、日本の法律が適応されるのです。あなた方が知ろうが知るまいが。いや私は法律なんか知らなかった、なんていう言い訳は通じないのです。これを是非、石巻の方々には理解していただきたいのです。


    それでこれまでやってきた、みんなそうやっているなんて言う理屈は、法律の前には通じません。無論、それで誰も困らなければそれでも良いですが、それでは困る、問題が起きたと言うときには「法律ではそれはどうなのか」が問われるのです。そこが大事なのです。交通法規は守っても労働法規は知らない、著作権法も知らない・・・しかし知らないということは言い訳にはならないのです。

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